九.はやてと迦楼羅丸
「起きなよ桃子ちゃん」
「ん……」
頬をペチペチ叩かれる感触で桃子はゆっくり目を覚ました。すると、
「わっ! なんですかここは!?」
いつの間にか桃子は地べたで寝ていたようだ。周囲を見渡せばそこは大きく古い武家屋敷と庭。一言で表せば
「時代劇みたいですねぇ……」
「実際そうじゃないの?」
「えっ?」
キョトンとする桃子に、紡はやれやれと首を振る。
「話聞いてなかった? 前世の記憶なんだから平気で江戸時代とかあり得るでしょ」
「その辺は眠くてあんまり……、と言うかこんなVR状態になるんですか!?」
「あは。前世も今世も日本人って、結構な確率ですね」
「そこですか?」
そんな話をしていると、
「兄上様ーっ! 迦楼羅丸様ーっ!」
甲高い少女の声が響き渡った。と同時に、上等そうな着物に身を包んだ童女が角からパタパタ駆け出て来る。
「あ、姫子ちゃん……。あれ?」
「どうしたの?」
「私、どうして姫子ちゃんと思ったんでしょう?」
目の前の少女は姫子より幼いどころか、声も顔立ちも何もかもが姫子とは別人である。なのに今、桃子は彼女をごく自然に姫子だと思った。
「あぁ、そりゃ簡単だよ。私達は今、姫子ちゃんの前世の記憶を共有して夢で見ている状態。だから彼女の前世が知ってる情報は私達にも分かる。もちろんあの子が誰かということも」
「はえー、便利」
「だから騒いでも平気だし崖から落ちても死なないし、他の分からない情報もすんなり『思い出す』ことが出来ますよ」
「なるほど。ステータスオープン!」
「あは。それちょっと違う」
桃子が『思い出した』ことによるとこの記憶は江戸時代のもので、目の前の少女は関東のある藩の中間管理職的立場である大城家の娘らしかった。そして、
「どうしたはやて」
「兄上様! ……あれ? 迦楼羅丸様は?」
「いるよ」
「迦楼羅丸様!」
「あ、武くん」
「みたいですね」
「前世でも一緒だったとは」
「むしろ今世で関わりがある人は、大体前世でも縁があった人だと言われてるよ」
「へぇー」
この兄上様から一歩遅れて現れた少年ははやてと父同士が友人の加治屋家の跡取りであり、一家を流行病で亡くして以来、元服し家督を継げるようになるまでこの家に預かられているらしかった。そして何より、
「二人共探したのですよ!? 剣術のお稽古と聞いていたのに道場にいない!」
「庭で立ち木打ちをしていたのだ」
「怒らないで、はやて」
「う……、迦楼羅丸様がそう仰るなら……」
「惚れてますね」
「ベタ惚れですね」
はやては真っ赤になってしまった。
「けっ!」
恋する乙女を視界に入れないように、恋愛出来なかった桃子が今世紀最大級に態度悪い反応をしていると、
「おおあっ!?」
その視界がぐにゃりと歪んだ。
急に場面が切り替わり、二人が川の土手で並んで座っているところに。
「うわっ!?」
「記憶の中だからね。必要なところだけを編集して見られるわけだ」
「なるほど」
見ると迦楼羅丸が小さな手を動かして、せっせと何か作っている。
「何作ってるの?」
「まぁ見てなって。……出来た!」
それはちょうど今日、学校で見たような風車だった。迦楼羅丸はそれをはやてに手渡す。
「すごい! ちゃんと回るの?」
「もちろん。息を吹いてごらん」
「ふー! あ! 回った回った!」
キャッキャと無邪気に戯れるはやてと、それを幼いのに何処か大人びた目で見守る迦楼羅丸。そして、
「ぐあああああ!!」
「あぁ! また桃子さんの発作が!」
「誰か彼氏処方してあげて」
桃子が唸る内に視界はうねり、光景は同じロケーションながら泣いているはやてとまた風車を作る迦楼羅丸。
「あぁぁ〜ん!!」
「泣かないで泣かないで。武家の娘だろう?」
はやての手にはポッキリ折れた細い木の棒が。迦楼羅丸はそれをそっと取ると、新しい風車を握らせた。
「ほら、風車くらいいくらでも作ってあげるから、泣いてはいけないよ」
「かるらまりゅしゃま……。あぁぁ〜ん!!」
「ああああああああ〜ん!!!」
桃子の悲しみは言葉で言い尽くせない。その所為ではないだろうが、またも視界がぐにゃりと捻れる。
また場面は切り替わる。木刀を使い庭で立ち合いをしている迦楼羅丸と兄上様、そしてそれを熱の籠った目で縁側から見つめるはやて。彼女が心の中で必死に迦楼羅丸を応援しているのが、三人にもひしひしと伝わって来る。同時に兄上様がこれっぽっちも応援されていないのも。
「人の世は残酷だね。今も昔も」
「あは」
「やぁーっ!」
気合い一閃、迦楼羅丸が兄上様の木刀を叩き落とすと、
「やったぁーっ!!」
本人より大きい声を上げてはやてが飛び上がる。
「おいはやて、兄が負けて『やったぁ』とはどういうことだ」
「へへ、ごめんなさい」
はやては軽く舌を出して全く誠意が無い謝罪を兄に返しつつ、その目はさっきまで鬼の形相で木刀を振っていたとは思えない程爽やかな迦楼羅丸を捉えて離さない。
「お前は本当に迦楼羅丸に惚れておるな」
「なっ!? そっ! 違っ!」
兄上様の溜め息混じりに真っ赤になったはやてだが、
「違うの?」
迦楼羅丸が意地悪な笑みを浮かべると、
「う、あ、ぅ……」
小さい身体がもっと小さくなった。
「あらやだ紡さん。あの子あの歳で女の子転がしてますよ」
「違うよ。イケメンは何を言っても女の子が転がるんだよ」
「そんなのどうでも良いですよ。いつまでこのイチャイチャ見せられるんですか?」
嫉妬のあまり浅ましい苛立ちを発し始めた桃子が縁側で休日のお父さんみたいに横になっていると、
「ん、また場面が動くね」
紡が言うや否や、目の前の景色がゴッホの『星月夜』のようになる。




