二.般若と糖質オフの負ふモノ
「当たり過ぎても良くない? どういうことです?」
桃子は言われた意味が分からず、ついついテーブルに身を乗り出す。
「占いなんて当たってナンボでしょう。むしろ当たらないんじゃお話にならない」
「すいません、黒ビールお願いします」
ビールを注文することを優先して反応しない紡に代わり、オニオンリングをパクついていたつばきが答える。
「では桃子さん。甲、乙、丙、三人の占い師がいるとしましょう」
「急になんですか」
つばきは皿の空きスペースに向かって左からガーリックシュリンプ、枝豆、オニオンリングを並べる。
「まぁまぁ。甲は八割、乙は五割、丙は一割の確率で占いが当たります」
「なんでそんな数値が出てるかは知りませんけど、丙さんはよくそれでやっていけてますね」
「では桃子さん。あなたは今『転職すべきか否か』で悩んでいます」
「そうなんですか?」
「いや、現実はどうでもいいんですよ」
つばきはポテトで並べたアテを順番に指す。
「桃子さんなら甲、乙、丙、どの占い師に相談しますか?」
「そんなの決まってるじゃないですか」
桃子は間を置かず箸を伸ばす。
「甲ですよ。八割が一番確率が高いじゃないですか」
彼女はそう言い切ると唐揚げを取ろうとして、一瞬早く横から紡に取られた。
「あーっ!」
「大声出さないの」
紡は甲を黒ビールで流し込むと、メニューを見ながら呟く。
「ちなみにそれ間違ってるよ」
「なんと!? 何処がですか!?」
「あは。正解は丙です」
つばきがオニオンリングの穴の中にポテトを突き立てる。
「んなわけないでしょう! 騙されませんよ!? 的中率一割なんでしょう!?」
「はい。なので八割当たるのに従うより九割外れるのの逆を行ったらいいんです」
「……あー」
「ね? 変に当たり過ぎるなら当たらない方がいいでしょう?」
つばきがウインクすると、桃子も小さく拍手する。
「なるほど! そういうことなんですね、紡さん?」
「んなわけないでしょ。そんな論理クイズの話してるんじゃないんだよ」
「なんと」
じゃあどういうこと? 桃子が分かったような分かってないような顔を浮かべていたが、分からないことは基本分からないままにしておくのが彼女の流儀。桃子は頭を切り替えて飲むことにした。
「すいませーん! 糖質オフ下さい!」
桃子が注文すると紡は少し怪訝そうな顔をした。
「どしたの。ダイエット中?」
「特にはですけど、ビアガーデンですしたっぷり飲むとなるとオフが安心ですよ。なんたって糖質が無いんですから」
「糖質が無い?」
紡の眉がさっきより険しくなる。
「糖質オフは糖質あるよ」
「なんと!?」
紡はジョッキにそろーっと伸びて来たつばきの手をわしっと捕まえる。捕まったつばきはバツが悪そうに言葉を紡いだ。
「通常のビールより規定の量糖質をカットしているか、従来の自社製品より規定の割合カットしているかすれば糖質オフと名乗れます。つまり一般的なビールの糖質量から計算すると、一〇〇ミリリットルあたり二.三から五グラムくらいの糖質は含まれているんです」
「はえー」
「ちなみに糖質ゼロも規定量があるだけでゼロじゃなかったりします。なので確かに少ないのは少ないですが、油断して飲み過ぎ注意ですよ」
「しっかり太るよ」
「意外なトラップですねぇ」
桃子が酔いも覚めたような顔をしていると、紡はジョッキから一旦手を離してテーブルに両肘を載せる。不味いポーズだ! 桃子は察して身構えたがもう遅い。
「本人も気付いていない内に蓄積していって身体を蝕む。これは『呪』でも『あるある』だね」
「ぬわーっ!」
「なんだよその断末魔」
「いえ……」
紡は気を取り直して続ける。
「例えば生成や真蛇といった鬼女や蛇女の類い。世間的には『般若』として定着しているアレ。アレなんかは自身の中に蓄積した嫉妬や恨みが女性を蝕み鬼に変えてしまう。実に分かり易い事例だね」
「いや、知りませんけど」
「なんだと? 日本人のくせに『葵上』も『安珍清姫』も知らないの?」
「オカルト界の義務教育が世間の常識と思わないで下さい」
興が削がれた、という顔の紡は椅子の背もたれに沈んで投げ遣りになった。
「ま、そーいうことでね。ヤバいの」
「ヤバいのですね」
「ちなみに本来般若は仏教用語で『智慧』を指します。知恵と違って『物事の道理や心理を見抜き理解する能力』という意味の言葉です」
「なんか壮大ですね」
まぁ般若だろうがサンバだろうがどうでもいいですけど、桃子が一生智慧は得られなさそうなことを考えながら運ばれて来た糖質オフを受け取ると、
「あのー……」
「はいっ!?」
背後から急に声が掛かる。桃子が飛び上がると、声の主はちゃんと三人から見える位置に移動した。
「驚かせてしまってすみません。なんだか占いの話をされていたみたいなので」
相手はさっき手相を見ていたショートカットだった。白いワンピースの上から躑躅色のジャケットを羽織り、照り返すピアスや複数のネックレスに複数のブレスレットと、総じて目に明るい格好である。
「ちょっと日和! 止しなよ!」
ウェーブが追い付いてきて日和と呼ばれたショートカットの手を引っ張る。彼女も大体ショートカットと同じ歳の頃に見える。
「だって由佳子、この人達占いがどうこうって」
「またアンタったら!」
由佳子は困り顔で日和の肩をパシッと叩く。そのやり取りを見る紡は淡々としていた。見ていないのかも知れない。
「それで、占いがどうかしたんですか?」
これに日和は「受け入れられた」と感じたのだろう。遂に人のテーブルに手を突いた。
「占いなさるんですよね? 私も占って下さいませんか?」




