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食と怪奇と陰陽師  作者: 辺理可付加
第十六話 それは一体何処へ行くのか
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一.DV事件とスピットファイア

 その日も桃子の仕事は楽なもんであった。老人が来れば世間話をし、来なければ今話題のシンガーソングライターと相方が、ラジオで問題発言をしないか監視(なお問題が認められても逮捕も通報もしない)するだけの一日。


蛍雪(けいせつ)の功ってあるじゃん』

『あるな』

『蛍も雪も失われつつあるの悲しいね』

『そこ、そういう展開するか? 私はもっと尊い話になると思ったぞ』

『あー、あれって昔の中国の、灯油を買うお金も無いから()()()の光で夜遅くまで勉強頑張った、っていう苦学の故事でしょ?』

『そうだ。私の嫌いなエピソードだ』

『嫌いなのかよ!』

『私は努力が嫌いだ』

『そう……』

『でも今時蛍も雪も無いんじゃあ、苦学生は何の功になるんだろうな? アーティストとしてどう説く?』

『うわぁ私が一番嫌いなフリを……。今時電気代も払えないみたいなのは稀かも知れないけど、稀じゃないかも知れないけど、んー、「ダ◯ドー自販機の功」?』

『えぇ……、そこまでいったら街灯で良くないか?』

『良くないね。凡庸。もう一歩踏み込まないと』

『一般感覚から乖離し過ぎも共感得られないぞ。それに、貧乏感出したかったらチェ◯オの方が良くないか? 基本百円均一だし』

『でもダ◯ドーなら当たりが出ればもう一本もらえるんだよ?』

『貧乏の理由、そのギャンブル思考じゃないのか?』


「そもそも屋外で勉強しないでしょうよ」


桃子が湯呑みで梅昆布茶を飲んでいると無線に連絡が。


「もしもし、沖田です」

『沖田! 「マンションの隣に住んでいるカップルが大喧嘩して、女性の方が部屋から顔面血だらけで飛び出して来た」と通報があった! お前近いから応援に向かえ! 現場は上京区薬師町かみぎょうくやくしちょう……』

「了解しました!」


桃子は梅昆布茶を飲み干し交番を飛び出す。

同じ女として、桃子はか弱い女性に暴力を振るう男を許さない! なお桃子は小学生の頃男子と喧嘩して無敗だった。



 マンションの前にパトカーが複数止まり、サイレンが閑静な街並みに刺々(とげとげ)しい色をばら撒く。暴れるDV彼氏は屈強な同僚達が取り押さえてしまい、桃子が任されたのは同性であることによる被害者牧原佳のケアであった。

佳は傷こそ深くは無いものの、左の生え際辺りから出血しており廊下と薄黄檗(うすきはだ)のワンピースの左胸を真っ赤にしている。人間の頭部は他の部位より血行が良く、皮膚が張り詰めた状態になっているからちょっとした傷で出血し易い……何かの研修だか講義だかで聞いたエピソードを桃子は思い出す。

しかし出血が多い一番の要因は佳自身だろう。顔を真っ赤に紅潮させた闘争心溢れる興奮状態で、自身が作った赤いカーペットの上で押さえ込まれる交際相手を睨み付けている。それが血圧を上昇させ、彼女の出血量を跳ね上げているのだ。

桃子も同僚も、てっきり怯えてしまった佳の心を安心させる必要があると思って同性である桃子を彼女の側にやったのに、蓋を開けてみれば必要なのは今にも加害者に飛び掛かりそうな被害者をなんとか押さえておくことであった。



 男はパトカーに乗せられて一足先に署まで、佳は手当ての為聴取の前に救急車で病院へ。そして桃子はその付き添い。

病院に行くまでの道中、傷口をタオルで押さえながら彼女は、まだ気持ちが収まらないのか桃子に色々話をしてくる。


「ホント最悪よ! 前の彼氏が売れないバンドマンで浮気しまくりの碌でもない奴だったから別れたんだけど、それで新しく出来た彼氏がDV野郎ってどう!?」

「あんまり興奮されると出血が……」

「なんなの一体! 私には男運が無いっての!?」


桃子の声は佳には届いていないようだ。今の彼女は会話がしたいのではなく、とにかく思っていることを全部生身の人間相手に吐き出したいのだろう。

彼女はスマホを取り出すと、片手で手帳型ケースを開ける。


「婦警さん、縁切り神社とか行ったことある?」

「縁切り神社?」


桃子はちょっと記憶を辿る。


「ありま……せんね」

「そう、幸せな人生なのね」


なんだコイツ!? なんだか棘がある言い方で桃子もムッとしないでもないが、思えば親に愛されて何不自由無く過ごして来たので特に言い返すことも無い。むしろ「勝ったな。哀れな奴よのぅ」と精神マウントを取ることで適当に流しておく。


「縁切り神社ってすごいのよ? 私、彼氏もそうだけど職場にも碌な奴がいなくて」

「転職なさっては?」

「……それは『お前も同レベルの存在だからそういう職場にしか雇われないんだ。出来るもんなら転職でもしてみせろ』って言いたいわけ?」

「なんでそうなるんですか! 誰がそんなこと言いましたか!?」


こんなのもう面倒見切れるか! と投げ出したくなる桃子だが、任務だし何より救急車からそんなホイホイ降りられないので我慢である。佳はと言うと、さっき噛み付いたくせに今度はもう自分の話したいことに戻っている。


「すごいのよ? 縁切り神社って。そういう嫌な奴が現れる度に『いなくなれ!』って行き付けの縁切り神社に行くんだけど、嫌な奴きっちりいなくなるの」

「えぇ、怖……」

「お守りだって効果覿面(てきめん)だわ」


佳はお守りを大事そうに見詰める、かと思ったら


「なのにその後の縁がこんなんじゃ意味無いじゃない! ふざけてんの!? あったま来るわ!」


憎々しげにパシーン! とスマホケースを閉じた。

さっきからその性格が悪縁の原因なのでは……? 桃子がそんなこと言えないと口籠もっている内に救急車は病院に到着し、佳は何針か縫うことになった。

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