急.
「すごい! すごいですよ! 紡さんと呼ばせて下さい!」
「はっはっはっはっ」
「私感激です! 感服です! 心酔です!」
「単純な子だな」
「大先生! 貴方が大将!」
「ちょっとうるさいな」
あれから本部に連絡し、珠姫ちゃんを無事ご両親に引き合わせ、いつの間にか居なくなっていた紡の分まで上司に誉められ親御さんに感謝された桃子。
自分だけなのが釈然としない持ち上げラッシュから解放された帰り、桃子は防犯カメラを見せてもらったお宅の前で、庭で寝そべるスペアリブの上に乗る鶏に話し掛けられた。
「おい。昼間のミル・クレープの残り、食べに来ないのかい」
夏の夜のバルコニー。紡はそよそよと団扇を揺らしている。それに合わせて蚊取り線香と灰皿の縁に乗った百sサイズの煙草の煙も捻れる。むう、と蒸し暑い中、冷蔵庫から出したてのミル・クレープだけがひんやりとしている。
「でも、だからこそ今回は貴方の功績なのに私だけ誉められたのが心苦しかったです。さっさと帰ってしまわれて」
「いいんだよ。今回は『事件を解決して詐欺師の疑念を晴らす』という条件で協力したんだから」
「はい……」
「だから、詐欺師とか犯罪者呼ばわりは撤回してくれるかな?」
「はい! もちろん!」
桃子は紡の手を握って上下に振った。捜査中の問題行動はすっかり忘れている様子だ。
「しかしあれはどういうことだったんですか? 急にお花畑に飛びました」
「あれはね、『仙界』という所だよ」
「仙界って、仙人が住む?」
「そう。このミル・クレープのように、この世の上に重なった異なる層」
「それはすごい。仙人なんているんですね」
「だから遭遇してもいいように正装したんだけどね。桃子ちゃんは超絶ラフな格好だったねぇ」
紡は道士服の袖を摘んだ。
「いやだって、そんな所行くなんて知らなかったんですもの!」
まぁ知っていても彼女が持っている正装なんて喪服くらいしかないのだが。
「それよりなんで私達、急にそんな所に行ったんですか?」
「『九字護身法』を行ったでしょう?」
「あぁ、あのリン、ビョー、トー、シャー」
桃子が目を見開いて手刀を動かすと紡は団扇で口元を隠して「下手くそ」とご満悦だった。
「で、それがなんなんです?」
「あれは今でこそ破邪破敵、精神統一なんかに使われてるけど、元々は修験者が霊山神山に修行に入る時に唱えたものなの」
「へぇー」
「山の難から逃れる為と言われてるから『護身法』って付いてるけど、実はあれにはもう一つの『呪』があるの」
「というのは」
「彼らは修行の為に人の層とは違う『真の』霊山神山に入らなければならない。その為に異なる層同士を開いて繋げる鍵が『九字護身法』なんだ」
「つまりあれを唱えたことで仙界と層を繋げた、と?」
「そう」
桃子は一旦納得したような顔をしたが、また小首を傾げながらミル・クレープを口に運んだ。紡は煙草を口に運ぶ。
「しかし何故仙界があんな所に?」
「あんな所に、じゃない。何処にでも。層は全く同じイラストを複数のレイヤーで重ねたみたいに、ぴったり被さっているけど同じ所には無い、影響し合わないように存在しているの。ただ入り口を開き易い場所開き難い場所があると言うだけ」
「その例えはよく分かりませんが……。じゃあ反り橋は開き易い場所なんですか?」
「日本庭園や中華庭園で反り橋をよく見掛けない?」
「イメージはあります」
「ああいう庭はね、仙界とか神界とかをモデルに、つまりはそこに勧請すべく作られたものなんだよ。そしてそこで戯れることによって神仙と同一化し、不老長寿を得ようとした」
「得られるんですか?」
「結果は歴史が証明してるでしょ? その庭に反り橋があるのも再現なの。古来より人間の世界と神仙の世界の間には反り橋が架かっていて、その向こう側は神仙の世界とされて来た。だから入り口になり易いんだよ」
「反り橋も馬鹿になりませんね。でもですね、私の一番の疑問はですね」
桃子は最後のミル・クレープを口に放り込んだ。紡は煙草を灰皿で消した。
「九字を切った紡さんが仙界に行けるのは分かります。どうして珠姫ちゃんはあんな所に行ったんでしょう。まさか橋の上で、あんな小さな子が九字切りをしたとか?」
「そうとも、そうでないとも言える」
「え、どういうことです?」
「自分で層を開けたんじゃ帰れなくて泣いてた理由が無いでしょ。あの子は迷い込んだんだよ」
「迷い込めるもんなんですね。と言うより『そうとも言える』って言い方はなんなんですか」
「あの子アナログ、針で時刻を指すタイプの腕時計してたでしょ」
「腕時計……」
確かに腕時計をしていたような気がする。
「あれが何か」
「私が珠姫ちゃんと同じタイミング、ペースで行ったら二十時のもうすぐ一分で反り橋へ着いたの覚えてる?」
「はい」
「でも私達は珠姫ちゃんより時刻が一時間早かった。つまり彼女は二十一時、九時に反り橋に至ったことになるね」
「え、まさか?」
「そう。仙界への入り口になり易い反り橋の上で、腕時計の針が『九時』を『切』った。これで『呪』が成り立ってしまったんだね」
「え、えぇ〜!?」
「何さ」
「そんなの駄洒落じゃないですかぁ!」
「語呂合わせを舐めちゃいけない。日本では掛詞と言って古来から親しまれてきた『呪』なんだから。和歌の『浮き』と『憂き』とか『松』と『待つ』みたいにね」
「そういうものなんですか」
「そういうものだからそういうことになった」
「はぁ。つまり時計と反り橋、偶然条件が重なったから珠姫ちゃんは仙界に入ってしまったと」
「そう」
「だったら安心ですねぇ。時計が九時を過ぎるだけでホイホイ迷い込んだら堪ったものじゃないです」
「だね」
紡は蚊取り線香を団扇で消した。
「ま、そこはどうでもいいよ。今回はこれで一件落着なんだから」
「そうですね!」
「じゃ、後は一つだけ」
「え?」
紡はフォークを持ち上げた。彼女の分のミル・クレープはまだ残っている。
「何がですか?」
「よくも私を詐欺師とか呼ばわってくれたね……?」
「え、は、まぁ、それについてはすいませんでした。でも私も撤回しましたから……」
「君が納得して認めたのは君の満足でしょ? 私の方は詰られたことについて溜飲が下がってない……!」
「そ、そんな馬鹿な!」
青ざめる桃子の横で、紡はミル・クレープにフォークを突き立てた。
ビカッ! と空が光ったかと思えば真横で轟音が炸裂する。
「ひぃっ!」
椅子から転げ落ちる桃子。
「また庭に落雷したみたいだねぇ」
「き、脅迫! 暴行!」
「何言ってんの」
腰を抜かした桃子の顔を紡は覗き込む。
「陰陽師は詐欺なんでしょ?」
彼女は意地悪そうにニヤリとすると、高笑いをしながら室内に入って行った。




