第十二話 幸せな弟
俺たちがラップに連れられやって来たのは、えも校の図書室だった。
図書室には、沢山の本が綺麗に整列している。わや学の図書室なんて存在するのかどうかも怪しいところだが、えも校の図書室は掃除が行き届いており、誰かがきちんと管理しているのが見てとれた。
ラップを先頭に図書室の奥へと進んでいくと、図書委員の部屋だろうか、管理室なる物を見つけた。
扉を開くと、何やら本が何冊か落ちたような音と誰かの声が響いた。
バサバサッ
「いってぇ!」
中へ入ると、そこには大量の小説に囲まれて昼寝をしていたであろう男子生徒がいた。
学ランの袖とズボンの裾を捲り上げているその男子生徒は見るからに『ヤンキー』なのだが、顔に似合わず難しそうな小説に囲まれていた。
机の上にはメガネが置かれている。貸出カードが散乱しているのを見るに、返却された本を戻す作業をしていたのだろうか。
「よう『ハッピー』、相変わらず真面目に図書委員してんのな」
「うおッ! びっくりした! なんだ、ラップかよッ」
眉間に皺を寄せ、鋭い目つきでこちらをみた『ハッピー』と呼ばれた生徒は目を凝らすとラップの存在に気付いたのか苦笑いをした。
それにしても、爽やかな兄のラッキーとは似ても似つかない。
「……後ろの二人は?」
眉間の皺が濃くなる一方のハッピーは、俺らの存在にも気づきラップに尋ねる。
「てめぇの兄貴の暴走を、止める奴らだ」
「兄貴の……? んん……なんだって……?」
「ダチがあんたの兄さんに連れてかれたんでな……お前にも着いて来てほしいんだ」
ケンバンが口を開くと、ハッピーは椅子へと座って黒縁メガネをかけた。
「ダメだ、俺はもうあいつとは関わらない」
「なんでそんな……」
「あたりめぇだろッ! あんな悪魔みたいなやつが兄弟だなんて恥ずかしくて外も歩けねぇ」
ハッピーは頭を抱えてしまった。
「あいつは、変わっちまったんだよ……」
悲しげな声で、ゆっくりと過去を語り出した。
――――
「お前ら、フールズなんだろ! 近寄るなよな! おマヌケなのがうつるだろ」
「うるせぇ! 俺も弟もマヌケなんかじゃねぇ!」
「わあ! あんぽん兄弟が怒ったぞ! 逃げろ逃げろ!」
幼い頃、兄貴と共にフールズだと言うことが判明してからずっと馬鹿にされ虐げられてきた。
数日前まで一緒に遊んでいた友だちにも、近寄るなと言われた。
「ちくしょう……絶対あいつらの運奪って、犬のうんこでも踏ませてやるからお前は気にすんなよ、ハッピー」
「俺は気にしてないよ、にいちゃん」
両親からも見放され、俺らは施設で育った。後ろ指をさされ笑い物にされても、兄貴だけは俺の味方でいてくれた。どんな時でも前向きで強い心を持つ兄貴の背中を追いかけた。
しかし……
――あいつは……兄貴は変わってしまった。
えもすぎ高等学校へと入ってから、兄貴はまるで何かに取り憑かれたようにわや学に対しての敵対心を剥き出しにし、憎しみに溺れていった。
事あるごとに、能力を使って周りの人間を脅しては、捨て駒のように扱うようになっていった。
「兄貴、どうしちまったんだよ」
「気にすることはないよハッピー……必ず、俺が……フールズが生きやすい世界にしてやるからな」
「いつからそんな風に笑うようになっちまったんだよッ!」
「わや学がえも校の傘下にさえ入れば……復讐は目の前だ……ふふ」
兄貴は、もうあの頃の優しい笑顔を見せることはなくなった。仮面のように気味の悪い笑みを浮かべるようになっていった。
俺は、兄貴のやり方に賛同することはできず、次第に会話も減っていった。
兄貴が『何か』に囚われていることもわかっていた。その正体が今まで俺らを馬鹿にしてきた一般人たちへの『復讐』ということも。
しかし俺は、暴走を止めることができず、否、止めようともせずここまできてしまったのだ。
――――
「俺は、いとも簡単に兄貴を……諦めた」
「……話はわかった」
ハッピーの話を聞き、俺は口を開いた。
「なら、尚更あんたが必要だ」
俺は、ハッピーの肩に手を添えてこちらを向かせる。
俺を捉えた大きな瞳はさらに大きく見開かれている。
「きっと、あんたの言葉しかあいつには響かねぇ」
「響く訳ないだろッ! わかった口を聞くなッ!」
「わかるよ」
黙って聞いていたケンバンが口を開いた。
「俺にもすげぇ怖い姉さんがいるからわかる。でも、兄を戻すためにも……そして自分を変えるためにも……弟の心からの言葉ってすげぇ大事なんだよ」
ケンバンは何かを思い出したように、微笑んだ。
きっと、姉のことを思い出しているのだろう。その表情は今まで見たこともないほど優しく温かい物だったからだ。
俺も続いて言葉を発する。
「お前は本当はなんて言いたいんだ? 兄貴のやり方は間違ってる? その笑顔が気に入らない? 違うだろ」
「俺は……」
ハッピーは、ポロポロと涙を流して、自分の言葉を噛み締める。
「俺……兄貴に笑ってほしいんだ……昔みたいに笑ってほしい……もう復讐だとかそんな難しいことはどうだっていい……俺の隣で『一緒に笑ってくれ』と、そう言いたいッ!」
「耳元で思い切り叫んでやろうぜ」
古い本の独特な匂いがする。
その中で、一人のすすり泣きが少しの間響いたのだった。
――――
「それで……どこ向かってんだ?」
「あいつらが行くとこなんてたかが知れてる……」
「やっとかめ神社か」
図書室を出て、先頭を歩くラップに続く。少し歩いたところで、俺が行き先を確認すると、『やっとかめ神社』という言葉がハッピーの口から出て来た。
「あそこはあいつらの溜まり場なんだ」
やっとかめ神社はえも校から車で10分もかからない位置にある小さい神社である。
えも校生徒の溜まり場だとは聞いたことがあるが、まさかそのなかにトップまで含まれていたとは……
「けどまぁ、そこまで行かなくても良さそうだぜ」
ラップに言われ、彼が目線を向けた方を見るとそこには先ほど去っていった一台の車が信号待ちをしていた。
「見つけたぞッ!」
信号が青になり走り出した車を走って追いかける。しかし車は『やっとかめ神社』とは別の方向へと向かっている。
それにしても、何かが変だ。なぜ溜まり場から離れていく……?目的地は『やっとかめ神社』ではないのか……?
車は、法定速度を守り40キロほどで走り、距離を離されていったところで横断歩道前で止まった。
意外にも法律をしっかりと重んじる運転手なようだ。
「追いついたッ」
「いや待てッ!」
ケンバンが追いついた車の窓ガラスを覗き込むと同時にハッピーがそれを静止する。しかし、その声は間に合わず、車の扉がガコンッと開きケンバンは顔面を強打した。
「ガハッ」
「ケンバンッ!」
急な攻撃にケンバンがよろめく。ラップがケンバンに手を伸ばしたところで車から飛び出して来た『シートベルト』が二人に巻きつき車の後ろ……つまり後部座席へと引き摺り込んだ。
「コースケッ! ここに『奴ら』はいないッ! やはりやっとかめ神社だッ! 俺らのことはいいッ! はやく行けッ!」
「でもお前ら2人ともッ、」
――もう二人には能力を使う『武器がない』ッ!
そう言いかけたが、ラップの言葉にかき消されてしまう。
「お前の能力聞き出せなかったダッシュが無事でいられる保証なんてねyoッ! 今頃ラッキーにボコられてるぜッ! 早く行けッ!」
そうだ。
ラッキーの最終的な目標は、フールズ集団の拡大。そしてそのトップに立つこと。そのための近道としてわや学を傘下に入れるため、わや学生徒の能力の把握とトップの座を手に入れようとしているのだ。
しかし、最後の1人である俺の能力について、ラッキーは聞き出すことはできなかった。
役立たずだと、みなされた場合……どうなるのかは想像もしたくない。早くダッシュを助けなければ……ラッキーを止めなければッ!
「必ずッ! 必ず生き延びてくれッ!」
「任せたぞッ!」
俺とハッピーは、二人を乗せた車と反対の『やっとかめ神社』へと向かったのだった。
――――
ケンバンとラップを乗せた車は、法定速度を破ることなく、左車線を走行していた。
運転している男は全く口を開くことがない。その後ろに座らされているケンバンは、シートベルトを外そうとするものの、どれだけ試しても外れる様子はなかった。
「やめとけケンバン……やつのシートベルトは最強だ」
ケンバンがふと隣に座るラップへと目を向けると、ラップは大人しく座っている。
「まさか……てめェ、ラップ……俺を嵌めたのか」
ケンバンの額に冷や汗が流れる。
「何言ってんだ……そもそもラップ先輩は、えも校の人間なんだよ。嵌めたもクソもねぇだろ」
飴を口の中で転がしながら助手席に座ったキャンディが口を開いた。
「この状況わかってんのかァ? 3対1なんだよ……最期に飴でも食べるか?」
キャンディがニヤリと笑ってケンバンの方を振り返り、棒付きの飴を差し出した。
「くそッ! いるかよそんな幼稚なもんッ! うっ、」
差し出された飴を振り払うと、シートベルトがギュッとケンバンの身体を締め付けた。
「お客さん……運転中はあんま暴れんとってください……」
運転席に座った無口な男が口を開く。その間もシートベルトはキツくキツく身体を締め上げる。
「ぐっ、あ……」
「おいおい、その辺にしとこうぜ。後部座席で吐かれちゃ困る」
ふっとシートベルトから解放されたケンバンは、呼吸を整えるため大きく息を吸った。
( やばいやつらに捕まった……しかも、3対1…… この状況は非常にまずい…… )
ケンバンは呼吸を整えながら自分の状況を整理した。
運転席の『ベルト』と呼ばれた男は、さしずめシートベルトを操る能力……その隣には一度やり合って苦戦したキャンディ……そして、自分の隣に座るラップ……
そして、目的地だったやっとかめ神社からはどんどん離れていっている。それはつまり、コースケからも離れていっているということ……
「まさか……コースケから俺を離すことが目的かよ、てめーら……」
「Bi.ngo! さすがは特進クラスのケンバンちゃんだなァ」
隣で不敵に笑うラップを殴り飛ばしてやりたい感覚になったが、シートベルトが両腕に巻きつきそれも叶わない。
「どこのサービスエリアに行こうかなあ……」
「まさか……今向かっているのはッ『高速道路』ッ!」
「ご名答……コースケの手助けなんかさせねぇからな」
キャンディの低い声が狭い車内に響き渡った。
「( どうか……無理だけはすんなよ、コースケ…… )」
フールズメイトを読んでくださりありがとうございます。
少しでも多くの方に楽しんで頂ければ幸いです。よろしくお願いします。