第3話♂ 遺伝子という名の運命に逆らえるか
衝撃の結果から1週間……いつもの実験付けの日々が続いていた。
変わらないのは日々の実験、ちぃの僕に対する態度、べーさんの冷静な態度。
変わったのは、僕のちぃに対する想い。なんだろう、少し距離を感じるようになった。
遺伝子で恋愛の相手が決まるなんて、バカバカしいと僕は思う。僕らはゼブラフィッシュという小型魚類を使って遺伝子の研究をしていて、当然遺伝子が重要だというのは承知している。ただそれは体の基本構造を作る上で必須という意味であって、表面の模様だとか性格だとかは周囲の環境で影響されるのはよく分かっている。実際、体表の模様を物理学的にアプローチしている研究もある。もちろんある程度は遺伝子が影響している、けれどもそれ以上に環境の影響が強いわけであって、ましてや恋愛の相手が遺伝子で決められるなんて、そんなバカな話はないと思う。
……ないと思うのだが、やっぱりああやって数値で出てしまうと受け止めてしまうのが理系の情けないところだ。しかもちぃとの相性が低いだけではない。今まで気にかけたこともなかったゆっきーとの相性が抜群だった。
別にゆっきーのことは嫌いというわけではない。ただ恋愛対象かというと少し違う。彼女は今年の4月に他の大学からうちの研究室にやってきて、同じ修士1年として、日々げんなりする研究室日々を過ごす仲間――戦友みたいなものだと感じていた。それに、多分彼女はべーさんのことが好きだ。ただべーさんはなぁ……そのうち「あのこと」をそれとなく言わないといけないかなぁ。
その日の夜。ちぃは先に帰り、べーさんは夜中の実験に備えて家で仮眠してくると言って研究室を出て行った。僕が自分の机に戻ると、隣でゆっきーがパソコンに向かっていた。
「なにしてんの?」
「CUPIDのシークエンス。エラーがないかチェックしてるとこ」
DNA鑑定はほぼ全自動だが、しょせんコンピュータがやることだからごくまれに読み取りミスがある。それがないか、最終的には人間がチェックするのが普通だ。
「で、ありそう?」
「うーん、むかつくくらいに波形がキレイ。私とベーさんやってみたけどエラーなし」
ほほう、じゃあゆっきーとべーさんの可能性はやっぱりなしか。まぁ実際そうなんだから仕方ないよな。
「一応ふじーとちぃの分もやっとくよ」
「一応ってなんだよ」
まあモチベーションがほぼゼロなのは分かるけどさ……
「はぁーさすがに目が疲れる……」
そう言ってゆっきーはバッグから何かのケースを取り出した。
「ラボでつけるのは卒論以来か……」
ゆっきーはそうつぶやきながら、ケースの中からメガネを取り出してかけた。
「え、メガネつけるの?」
「うん、普段は大丈夫なんだけど、パソコンずーっと見てるとね……なに?」
「いや、別に……」
やばい。今メガネフェチの血が騒いだ。ゆっきーがすげーかわいく見えた。
もう一度ちらっと見る。細いスクエアフレーム。オシャレタイプではないけど、逆にフェチとしてはそそる。これはヤバい。どストライク。
気を紛らわそうと、僕はマグカップを持ってコーヒーを注ぎに行った。ゆっきーの後ろ姿を見ると、メガネをかけている耳から白いコードが伸びている。
「何聴いてるの?」
「ん、なにー?」
「イヤホン。何聴いてるのかなって」
うちの研究室には一人一台パソコンが与えられており、人によっては音楽を取り込んでいたりもする。もちろん本来なら禁止されているはずだが、こうしてボスがいないときは音楽を聴きながらデータ整理することはよくある。そのボスにしたって、土日に来てるときには教授室にクラシックを響かせているのだから、もはや黙認されているようなものだ。
「あー、YUI。今は『feel my soul』」
「『不機嫌なジーン』のエンディングだ」
「知ってるの!?」
メガネ美女、もといゆっきーはイスを回転させてこちらに振り向いた。
「たしか5年くらい前だっけ?竹内結子がでてたヤツ」
「そうそう、あー研究室ってこんな感じなのかなーって」
「ドラマだから誇張も入ってるんだろうなーとは思ってたけど、実際は近からず遠からずってところだよね」
「うーん、さすがに昆虫採取はないけどね」
実際の研究では、野生生物では個体差が大きすぎて使えない。昔から研究者のみんなが使ってきた系統のもので研究するのが常識だ。
「確かに。しかもドラマだといろんな生物に手を出してたよね」
「ありえないよね。あんな維持費どこにあるんだよっていう」
「うちらはゼブラ1種だけでも手一杯だっていうのに」
メガネをかけたゆっきーはいつの間にかイヤホンを外して笑っていた。
僕がコーヒーを一口飲むと、ねぇ、とゆっきーが話しかけてきた。
「ふじーってYUI聴く?」
「好きだよ。アルバム全部持ってる」
「じゃあ一番好きな曲は?」
「あー『Rolling star』かな」
おお、とゆっきーがびっくりしたような顔をした。
「けっこうマイナーなところいくねー。私も『Rolling star』大好きなんだけど、あんまり一番であげる人いないんだよねー」
「『不機嫌なジーン』でYUIは知ってたけど、そのイメージと全然違ったからさ、だから好き」
「そー私も!PVがめちゃカッコイイの!アイドルみたいにかわいく見せようとしないのがいいよねー」
メガネをかけたゆっきーもコーヒーを注ぎに僕のほうに近づいてきた。
それから僕とゆっきーはしばらくYUIの話で盛り上がった。そういえばゆっきーと趣味の話で盛り上がったのって初めてだっけ。メガネにドキドキしながらも、ゆっきーと楽しいひと時を過ごすことができた。
……これもCUPID遺伝子のなせる業なのか?このメガネゆっきーへのドキドキとYUIの会話も、CUPID遺伝子が作り出した運命なのか?