5-12「魔法陣」
5-12「魔法陣」
魔導書を解読しながら行われる魔法の解除は、キアラが「時間がかかる」と言っていた通り、簡単には進展しなかった。
キアラはまず、サムにかけられている魔法が、正確にはどんな魔法なのかを確認し、明らかにすることから入らねばならず、魔導書で考察されている魔物が使う魔術についての記述を参考にできるものの、手探りで進まざるを得ない様な状態だった。
それでも、幸いなことに、時間ならあった。
何故なら、総攻撃が撃退された後、魔王軍はウルチモ城塞への積極的な攻勢を控えていて、静かなままだったからだ。
そんな日が、もう、何日も続いている。
人類軍はいつでも応戦できるように警戒を緩めてはいないが、魔王軍が攻撃してこないことで、その緊張も少しずつ緩和されてきている。
戦闘が開始されたことでウルチモ城塞は城門を閉じ切って籠城する体制に入ったが、魔王軍の攻撃が止んでいることで南側からやってくる商人たちのために城門を開くようになり、再び人の出入りが増えてきている。
商人たちも、魔王軍による攻撃が始まったということで慌てて南へと逃げていたのだが、人類軍が魔王軍の攻撃を撃退し、ウルチモ城塞を強固に維持し続けていると知ってからは、その商魂を燃やしてまた荷馬車を連ねてウルチモ城塞を訪れるようになっていた。
大道芸人たちも、芸を再開した。
兵士たちは籠城戦で緊張しているから、任務から離れて一休みする際のちょっとした娯楽に対して金払いがよく、大道芸人たちにとってはいい稼ぎ場となっている様だった。
万が一、出入りの商人に紛れて魔物が入り込みでもしたら大変だと、バンルアン辺境伯など一部の諸侯は危惧を示してもいたが、オプスティナド4世は商人の出入りをむしろ歓迎している様だった。
商人たちが持ち込む物資は籠城戦に大いに役立つものだったし、兵士たちにとっても豊富な物資は安心感を与えその士気を保つのに貢献している。
何より、商人たちはウルチモ城塞で見聞きしたことを、諸王国中に知らせるのだ。
それは、魔王軍の侵攻がウルチモ城塞で押しとどめられているという事実であり、人類軍の指揮を執るオプスティナド4世の指揮のすばらしさを広めることにつながる。
商人たちが口づてに伝える「事実」は、オプスティナド4世の名声をさらに高め、盤石なものとするだろう。
オプスティナド4世は満足そうな表情で、指揮所に設置した玉座に腰かけ、葡萄酒が注がれたゴブレットを片手に、商人たちが出入りする様子を満足げに見下ろしている。
その悠々とした様子を見た兵士たちは、緒戦の勝利もあってすっかり自信を持ち、より士気を高めている様だった。
魔王軍が動かないのは、このウルチモ城塞を攻めあぐねているからだ。
人類軍のほとんどはそう思っていたし、事実、ウルチモ城塞は魔王軍の総攻撃を跳ね返すことに成功していた。
そして、その際に人類軍が受けた損害は、わずかなものに過ぎなかった。
負傷者も戦死者も出てはいたものの、それは当初人類軍の誰もが想像していたものよりもずっと小さく、この様な戦いが続くのなら、ウルチモ城塞を維持することは十分に可能だという手ごたえを皆に抱かせていた。
人類側の戦いぶりに満足し、悠然と過ごすオプスティナド4世の様子を、バンルアン辺境伯など一部の諸侯は不安に思い、快く思っていない様子だった。
だが、オプスティナド4世はこれまで通り熱心に人類軍の指揮を執っていたから、決して油断しているというわけでもなかった。
ウルチモ城塞の城壁の防衛体制はさらに強化されており、魔物の大軍の攻撃にいつでも対抗できる準備が整えられている。
ただ、気が大きくなっているというのも事実だ。
緒戦の勝利に気分を良くしたオプスティナド4世は、「万一があってはならない」として手厚い保護下に置いていたティアたち一行に、より自由な行動を認めるようになっていた。
戦いの間中、一行はオプスティナド4世が鎮座している指揮所から動くことが許されなかったのだが、今は、わざわざ許可を得ずとも、ウルチモ城塞の中であれば動き回ることが許されるようになっている。
このおかげで、サムはキアラによる「実験」という名目で、自身にかけられたオークに姿を変えられるという魔法の解除方法を探ることができている。
サムにかけられている魔法を解除する試みは、バンルアン辺境伯に借り受けた、ウルチモ城塞内にある大きな地下室で行われていた。
本来であれば籠城戦に備えた物資を備蓄しておくための倉庫だったが、まだ物資が運び込まれていなかった場所をキアラが借りたのだ。
「どうでしょうか、お母様? 」
その地下倉庫の石造りの床に、キアラを手伝って巨大な魔法陣を描いていたルナが、魔法陣の最後の線を描き終わって、そうキアラに確認した。
「うん、いいわね。線も奇麗だし、形もいいわ」
ルナに問われて出来上がった魔法陣を確認したキアラは、満足そうに微笑む。
その姿は、娘の成長を喜ぶ母親そのものだった。
魔法陣は、白いチョークで描かれていた。
ありふれた材料だったが、大抵の場所で魔法陣を描くことができるために、魔術師たちの間で重宝されているものだった。
キアラはチョークで描かれた魔法陣を乱さない様に隅々まで確認し、要所に、サムにはよく分からない材料を使って仕上げを行っていく。
「それでは、サムさん、試してみましょうか」
「あ、ああ。早いとこ頼むぜ」
魔法陣の中心で、魔法陣が描きあげられるまでなすこともなく突っ立っていたサムは、すぐに頷いて応える。
「分かりました。では……」
キアラは頷くと、魔法の杖をかかげ、古代語で呪文を唱え始める。
サムの足元で、ただのチョークで描かれているだけのはずの魔法陣が光輝き、地下倉庫の中はまばゆい光に包まれた。




