4-4「起きろ」
4-4「起きろ」
マールムはひとしきり笑い続けると、やがて、去っていった。
勇者はまだ生きていた。
光の神ルクスに選ばれた者はまだ、倒れてはいない。
だが、聖剣マラキアが砕かれた今、マールムにとって、姿をオークへと変えられ、本来の力を封印された勇者など、さしたる脅威ではなくなっていた。
しかも、サムにかけられた魔法は20年もの間他の誰からも気づかれず、解かれていない。
今後、サムが勇者としての力を取り戻すことなど、ありえないことだった。
マールムにとって今のサムという存在はせいぜい、これから行われる「パーティ」に彩を添えてくれる、楽しい楽しいオモチャに過ぎなかった。
気色悪い笑い声を漏らしながらマールムが姿を消すと、魔王の玉座の間は静寂に包まれていた。
静かになるのは当然だった。
そこで動いているものは、もう、サムしかいないのだから。
サムは呆然としていた。
自分は故郷を破壊しつくされ、そして今また、4人の少女たちを目の前で殺されながら、何もすることができなかったのだ。
その上、自分が聖剣マラキアを抜いてしまったせいで、人類にとっての切り札が打ち砕かれてしまった。
その破片は今、光を失って、無残に辺りに散らばっている。
全て、自分のせいだ。
後悔と自責の念が大波となって押し寄せてきて、サムの心を支配する。
「サム。起きろ」
そんなサムに向かって、呼びかける声があった。
抑揚に乏しい、淡々とした口調の声だ。
「サム、早く起きる。起きないと、ティアたち、助けられない」
呼びかける声は続けてそう言ったが、サムはそれでも、呆然としたままだった。
サムの心は今、外から何かを言われても反応できるような状態ではないからだ。
数秒待ってもサムが反応しないため、呼びかけてきた声の主は強硬手段に出た。
サムの豚鼻を思い切り、何度もビンタしたのだ。
オークは分厚い皮膚と皮下脂肪を持つ生き物だが、例外的に防御が薄く敏感なところもある。
その代表的な部分が、オークの大きな特徴となっている豚鼻の先端部分だった。
「ぅおっ、な、なんだっ!? 」
突然加えられた衝撃にサムは思わず悲鳴を上げ、それから、目の前に赤毛の少女が立っていることに気がついた。
リーンだった。
「ちょ、おまっ、なんて格好で!? 」
サムは、思わずリーンから視線をそらした。
なぜなら、リーンは一糸もまとわない姿でそこに立っていたからだ。
そこには、継ぎはぎにされたような縫い目を体中に持つ少女の姿があった。
マールムが放った炎にまかれたせいか、特徴的な赤い髪はやや焦げており、少女の身体中に同じように焦げた汚れがついている。
その身体は痩せこけていて、あばら骨が浮き出て見えるほどだ。
「何か、問題? 」
慌てて視線をそらしたサムに、リーンはいつもの眠たそうな視線のまま、不思議そうに首をかしげる。
「も、問題だろーが。いい年頃の娘が、少しは恥じらいってもんをだな」
「はじらい? 」
リーンには、サムの言っている言葉の意味が分からないようだった。
「あなた、オーク。私、魔法実験で作られた、合成人間。恥ずかしく思う必要、ない」
「な、なんだって? 」
さらりと複雑な出自を打ち明けてくるリーンに、サムは戸惑うしかなかった。
サムは少女たちの奴隷となってもう何か月かたつが、このとらえどころのない少し不気味な印象の少女とは、これまであまり深く会話を交わしたことがなく、ほとんど何も知らなかったのだ。
「それより、サム。早くしないと、みんな助からない」
「みんな? みんなって……、そ、そうか! 」
サムはリーンに言われて、ようやく、倒れてしまった冒険者の少女たちの治療をしなければならないことを思い出した。
通常、死というのは覆すことのできないものだったが、しかし、光の神ルクスからの加護を受け、特別な素材を使い、魔力を込めながら調合したある種の薬を使うことで、死者を蘇生させることが可能だった。
100パーセントの確率ではなかったが、それでも、素早く蘇生薬を使用し、適切な回復魔法や薬品などを使えば、少女たちは助かるはずだった。
治療を行うのなら、早ければ早い方がいい。
サムはまだ力の入らない身体をどうにか動かし、ここまで苦労して運んできた荷物が置いてあるところまで戻った。
「お、おい、リーン! まずは何を使えばいいんだ!? どの薬をどれくらい使えばいいっ!? 」
サムは荷物の中の薬品を手当たり次第に取り出してみたが、それらをどうやって使えばいいのかは少しも分からなかった。
そもそも、オークの不器用な指では、薬の入った瓶を開けることさえままならないのだ。
今、頼りになるのは、リーンだけだ。
荷物の中から予備の魔術師のローブを取り出し、「恥ずかしいから」ではなく、「寒いから」という理由で着替えていたリーンはとりあえず服を着終わると、サムが足元に広げた様々な薬瓶へと視線を向け、相変らず何を考えているのかわからない半開きの双眸で眺めると、いくつかの薬瓶を手に取った。
「とりあえず、これだけあればいい。他のも後で使うから、サム、持ってついてきて」
「あ、ああ! 分かった! 」
サムの心は後悔と自責の念で一杯だったが、今はとにかく、動き続けなければならなかった。
魔術師のローブを身に着けたものの、はだしのまま歩き始めるリーンの後を追って、サムは慌てて薬瓶を荷袋に詰め込みなおし、それらを背負って走り出した。




