4-3「砕かれた希望」
4-3「砕かれた希望」
聖剣マラキアは、サムのその手から離れた瞬間、粉々に砕け散った。
マールムが振り下ろした刀の斬撃の威力と、マールムが刀に込めた強力な魔法の力とを受けて、その刀身は耐えきることができなかったのだ。
もし、光の神ルクスから選ばれた者、サムの手にあり続けたのなら、この様な結末とはならなかったかもしれない。
だが、本来、勇者の手にあってこそその力をはじめて発揮する存在である聖剣は、勇者の手から離れた瞬間、その力を失っていた。
刀身全体に微細な亀裂が走り、聖剣はガラスが割れる様に砕け散った。
光の神ルクスの力を象徴する聖なる光を帯びた聖剣の破片は、キラキラと宝石の様に美しい輝きを放ちながら周囲に飛び散って、やがて、光りを失い、ただの金属の欠片となっていった。
元の形を保っていたのは、その柄の部分だけだった。
積み重なった、かつての聖剣だったものの破片の上に、ぼとり、と柄が落ちた。
サムは、目の前で起こった出来事に呆然とした。
魔王を倒し、世界に平和と安定をもたらすために必要な、切り札。
人類にとっての希望が、たった今、粉々になってしまったのだ。
ショックのあまり、サムはその場に尻もちをついてしまった。
腰が抜けてしまったのだ。
そんなサムと、砕け散った聖剣を見下ろし、マールムは哄笑する。
「ギャッははははははは! 砕けた! 聖剣が! 砕けたぞォ! 」
それから、マールムは呆然としているサムに向かって、人間の貴族がするような恭しいしぐさで一礼をして見せた。
「礼を言いますぞ! 勇者殿! 実を言うと、我輩、鞘に納まったままであれば、聖剣に手出しすることができなかったのですよ! 全て! 全て! 勇者殿のおかげです! 勇者殿が聖剣を抜いてくれたおかげで、こうやって破壊することができましタ! アリガトウ! アリガトォウ! ギャッハハハハ! 」
甲高い、耳障りな声のマールムの哄笑を聞きながら、サムは、うわごとの様に呟くことしかできない。
「オレの……、オレの、せいで……っ」
オークに姿を変えられてから、20年。
何をしても人間に戻ることはできず、そして、自分はもはや勇者ではなく、別の誰かが新しい勇者として選ばれたはずだと、サムはそう考えて生きてきた。
だが、サムはまだ、選ばれし者だった。
だからこそ、サムは聖剣を鞘から解き放つことができたのだ。
自分には、力と、使命がある。
サムは戦いを挑むことが恐ろしかったが、足がすくんで動けず、目の前で少女たちが倒れていったことへの後悔と罪悪感から、ようやく前へと進みだすことができた。
それが、大きな間違いだった。
聖剣マラキアの鞘は、光の神ルクスによって選ばれし勇者以外にその力が渡って悪用されないようにするための鍵であり、同時に、マラキアをいかなる攻撃からも防ぐ鉄壁の護りだった。
もし、マラキアを抜くことがなければ、鞘の護りによって、聖剣マラキアは無事なままであり続けただろう。
だが、聖剣は砕かれた。
人類の希望は粉々になった。
サムが、聖剣を鞘から引き抜いてしまったせいで。
サムは、自分の目の前が真っ白になっていくのを感じた。
呆然自失とするサムを見下しながら、マールムは嗤い続けている。
「ヒャハ! ヒャハハハハハ! サイコーだ! 何て、素晴らしい! これで、魔王様の復活を妨げるものはなくなった! 暗黒神テネブラエ様の支配を拒む力は無くなった! スバラシイ! アア、今日は何てスバラシイ日だ! 」
それから、マールムは感極まった様にその双眸から涙を流し、はっとしたように魔王の玉座の方を振り返ると、その場に跪いて祈りを捧げる。
「ああ、魔王様! 我らが救世主よ! とうとう、とうとう、成し遂げましたゾ! 魔王軍四天王最後の生き残りたる我輩、マールム! これまで幾度も勇者どもを阻止すること叶わず、魔王様のご期待に沿えませんでしたが、ようやく! ようやく、また魔王様の下で戦うことができます! 」
それから、マールムは勢い良く立ち上がると、天に向かって声を上げた。
「戦い! 戦い! 戦いだ! 全てを滅ぼせ! 全てを殺せ! そうして、世界を暗黒神様のものに! 我々魔物の世界とするのダ! 」
マールムは叫び終わると、不意に、その場に尻もちをついたままで呆然としているサムの方へと顔を向けた。
それから、サムを憐れみ、嘲笑う表情浮かべ、ゆっくりとした足取りでサムへと向かっていく。
サムはマールムが近づいてくる足音を聞いていたが、しかし、そのことを認識することはなかった。
後悔と、罪悪感。
サムの心の中に膨れ上がったその感情が、サムの意識を覆いつくしていた。
そんなサムの目の前までやってくると、マールムは突然しゃがみこんで、サムと視線を合わせた。
そして、サムの毛を無造作につかむと、左右にゆすって無理やりサムの意識を自分へと向けさせる。
「聞けぇ、聞け、勇者よ。醜いオークよ。お前のおかげで、とうとう魔王様が復活するのだ。改めて、感謝するぞ! 」
サムは目をつむり、耳も塞ぎたかったが、そうすることはできなかった。
サムは、その赤黒い鮮血の色をした不気味な双眸から、目を離すことができなかった。
サムの暗く沈んだ心の中に、マールムの声が響き渡り、サムの脳裏に忘れ得ない記憶となって刻み込まれていく。
「戦いが始まるのだ。人類殲滅の戦いがな! くくくく、勇者よ、絶望している暇など与えんゾ! 精一杯、力の限り、抗うのだ! そうでなくば、面白くない、全く、面白くないからな! 簡単に、諦めてなどくれるなよ? 選ばれし者よ! 」
言いたいことを言うと、マールムはサムから手を放し、そして、耳障りな声で哄笑した。
「ヒハッ! ヒーハッハハハハハ! お前は惨めに生きるのだ! オークとして! 醜い醜い、哀れな豚の怪物として! 世界が我輩たちによって滅ぼされていく姿を、何もできずに指をくわえて見ているがいい! イヒヒヒ! イーッヒッヒッヒ! 」




