4-2「戦いの時」
4-2「戦いの時」
サムの突進は、さほど素早いものではなかった。
オークの足は短いから、走ってもそんなに速度を出すことはできないのだ。
だが、オークは身体の大きな魔物だった。
その巨体、その重量での突進は大地を揺らし、見るものに強い圧迫感を与える。
サムは一際大きな声で雄叫びを上げると、全身の力をマールムに向かって叩きつけるべく、聖剣マラキアを思い切り振りかぶった。
マールムは、余裕の表情を崩さなかった。
サムの攻撃を完全に見切っているからだ。
鋭く、空気を切り裂きながら振り下ろされたマラキアを、上体をわずかに逸らしただけでマールムは回避する。
空を切ったマラキアが床に突き刺さり、砕かれた石材の破片が飛び散って、粉塵が巻き上がった。
オークの強靭な腕力によって振り下ろされた斬撃の威力は、人間のそれとは比較にならないほどのものだ。
だが、当たらなければ意味がなかった。
サムはオークの不器用な手で必死にマラキアの柄を握りしめ、何度も、何度も、マールムへと切りかかった。
そのどの攻撃も、マールムへと届くことはなかった。
サムが振るうマラキアは、オークの体のつくりのためにどうしても大振りにならざるを得ず、その刃の軌跡を予想し、回避することは容易いことだった。
もし命中すれば、恐らくはどんな魔物でも、魔王であろうとも一刀両断できたはずだ。
だが、それだけの威力があろうとも、当たらなければ意味がないのだ。
余裕の笑みを浮かべるマールムを睨みつけながら、サムは肩で息をしている。
全力で剣を振るい続けたことと、焦りからら息があがっているのだ。
元々、サムは剣の扱い方など心得ていなかった。
20年前、人間だったころのサムは貧しい農民のありきたりな子供に過ぎず、農機具の使い方や農作についての知識はあっても、剣を振るって戦う術など知らなかった。
オークに姿を変えられてからの20年間は、そもそも、人間の道具に触れることさえ稀なことだった。
サムはどこからどう見ても魔物、醜いオークに過ぎず、人間は近寄ろうとはしてこなかったし、無理に近づけば人間たちはサムを攻撃し、排除しようとした。
そもそもオークの太く不器用な指では、どんな道具もまともに使いこなすことはできなかった。
今だって、サムはマラキアの柄をうまく握ることさえできていない。
少しでも気を抜いたら取り落としてえしまいそうになるのを何度も握りなおして、必死になって持ち続けているのに過ぎなかった。
「おんやぁ? 勇者殿、まともに聖剣を振るうことすらできないようですねぇ? 」
疲労と焦りから汗を浮かべるサムを見下しながら、マールムは嘲笑した。
「当然だよなア! だってお前は、醜い豚の怪物、オークなんだから! ギャッはははは! 」
「黙れぇっ! 」
サムは、怒りに任せてマラキアを横に薙ぎ払うように振るった。
ブォン、と音を立てながら、マラキアは空しく空気だけを切り裂いた。
サムの斬撃を後ろに飛び退って回避したマールムは、ふと、自分の足元に何かが当たったことに気がつき、その何かを見下ろして、口元を歪めた。
意地悪で、残酷な、「いいことを考えついた」とでも言いたそうな笑みだった。
「おーおー、勇者様よォ、いい加減当ててきてくれないと、退屈しちまうぜぇ? 」
そう言いながら、マールムは満面に気色悪い笑みを浮かべ、自身の足元に転がっているものに足を乗せる。
それは、ティアの身体だった。
「あんまり退屈過ぎてぇ、別のオモチャで遊びたくなっちゃうぜぇっ! 」
マールムは嗤いながら、自身の足元へと力を込める。
ティアの胸甲が軋む音を立てながら歪み、まだ冷め切っていないティアの身体から血が押し出されて、冷たい床の上に広がっていく。
「ヤッ、ヤメロォォォォォォォッ! 」
サムは叫ぶと、我武者羅にマールムへ向かって突っ込んでいった。
過去の記憶。
マールムによって故郷を滅ぼされ、全てを奪い去られ、オークへと変えられた過去。
その情景が頭の中に蘇り、サムは、4人の少女たちが戦っている間中、動くことができなかった。
あの時と同じだった。
あの時も、自分は恐ろしさのあまり、動くことができなかった。
そして、目の前で全てを奪われていった。
今回も、何も変わらなかった。
奴隷と主人という関係とはいえ、ここまで困難な旅路を共にし、そして、サムにとってそうすることが決して嫌ではなかった、もう少しでもしかしたら「仲間」となることができたかもしれない少女たち。
その少女たちが傷つき、倒れていくのを、サムはあの時と同じように見ていることしかできなかった。
サムは、こんなことは嫌だと思った。
臆病な自分から生まれ変わりたいと思った。
後悔と罪悪感、そして、変わりたいという強い気持ち。
それが、サムから冷静さを完全に奪い去っていた。
サムが思い切り振りかぶり、叩きつけた聖剣マラキアは、やはりマールムの身体をとらえることはできなかった。
マールムは全てが自身の思惑通りに進んでいるという余裕と、すでに勝利を確信している笑みを浮かべながらマラキアを回避し、そして、石造りの床に叩きつけられ、食い込んだ聖剣へと向かって、自身の刀を引き抜き、そして、振り下ろした。
激しい衝撃が起こった。
斬撃の威力だけではなく、強力な魔法と魔法がぶつかり合うことで起こった衝撃だった。
「ぐォっ!? 」
その衝撃を受けた瞬間、サムの手から聖剣マラキアが滑り落ちる。
元々、オークにされてしまったサムの手ではまともに持てていなかったのだ。
聖剣の柄は、いとも簡単に勇者の手から離れていった。
聖剣が砕かれたのは、その瞬間だった。




