3-9「ゴブリン」
3-9「ゴブリン」
空に稲光が閃き、雷が大地へと突き刺さって岩を砕いた。
すると、それを合図としたように、魔王城がそびえるクラテーラ山の山麓に大粒の激しい雨が降り始めた。
ここは遥か北方の土地で、本来の気候は寒冷なものであるはずだったが、活火山であるクラテーラ山の周囲はその溶岩の熱で暖かく、降るのも雪ではなく雨だった。
それは、恵みの雨ではなく、恐ろしく、危険な雨だった。
火山から立ち上る噴煙を核として生まれた雨粒は大きなものだったが、強い酸性を示し、植物だけでなく人間などの生物は長時間それを浴びていることはできない。
魔王城の周辺が不毛の土地であることは、この酸性雨が降り注ぐことも原因だった。
しかし、自分自身が魔物であるサムにとっては、それほど大きな問題とはならない。
オークの皮膚は分厚く硬いもので、強い酸性の雨を長時間浴びていても全く問題にならないからだ。
サムは、雨の中を1頭だけで歩いていた。
鉄製の手枷、足枷は身に着けたままだったが、それらを結び付けてサムの行動を阻害していた鎖は取り払われている。
背中にはたくさんの荷物が詰め込まれた荷袋を背負ったままだったが、一見すると、サムは自由の身になった様だった。
「嫌な雨だぜ、まったく。俺は、雨が嫌いなんだ」
サムは盛んに降り続ける雨の出どころ、頭上に広がった黒い雨雲を見上げて、そう言いながら顔をしかめた。
その祈りが通じたのか。すぐに雨は止んだ。
どうやら、一時的な通り雨の様だった。
雨が止むと、今度は周囲に、不気味な緑色をした霧が広がった。
火山性の、有毒なガスだ。
これには、さすがのサムも、霧の届かないなるべく上の方に自身の豚鼻を突きだし、慎重に呼吸をせざるを得なくなった。
オークの頑丈な表皮は毒ガスにもなんともなかったが、さすがに肺の中まではオークも守られていない。
もし、サムが人間と同じような背丈しか持ち合わせていなかったら、毒の霧の上に豚鼻を突きだして呼吸することができず、窒息するか、肺を毒に焼かれてしまったことだろう。
サムは、歩くのをやめなかった。
その進んでいく先には、廃墟となってもなお、その威厳と禍々しさを失わない魔王城がそびえている。
毒の霧から抜け出し、もう少し進めば魔王城の城門に到着するというところまでたどり着いた時、突然、サムの前に緑色の小さな影が飛び出してきた。
細長い手足に、大きく曲がった、ゴツゴツとした背中。
体格はサムの半分程度と小さいが、頭でっかちで長く鋭く突き出た鼻と耳、黄色く濁った双眸、ギザギザと尖った歯を持つ。
それは、ゴブリンと呼ばれている魔物だった。
オークの様に強靭な力はなく、人間の武器でもたやすく切り捨てられてしまう程度の防御力しか持たないが、その動きはすばしっこい。
知能は高く、狡猾で、卑劣で、正面から戦うよりも裏側に回り込んで罠を張り巡らしたり、妨害工作を行ったりすることで有名な種族だった。
「オイ、お前! そこで止まれ! 俺様は魔王城の門番だ! 」
ゴブリンはキーキーと甲高い声でそう叫ぶと、細長い腕の先端についている、臭気を放つゴブリンの体液でぬらぬらと濡れている鉤爪をサムの方へと向けた。
ゴブリンはその体液に毒があることでも有名で、その鉤爪には猛毒が分泌されている。
オークの強靭な皮膚をゴブリンの爪が貫けるかどうかは分からなかったが、もし、その毒が体内に入ろうものなら、サムでもただでは済まないだろう。
「お前、見ない顔だな? 巡礼者か? その背負った荷物はなんだ? 」
「へぇ、これは、魔王様への貢ぎ物でさぁ」
サムはゴブリンに言われたとおりに立ち止まり、へりくだった様な口調で質問に応じる。
「俺みたいなオークは、魔物の中では下っ端でしょう? だから、こうやって少しでも貢ぎ物を差し上げて、少しでも覚えをめでたくしておきたいんでさぁ」
「ほぅ、バカなオークにしては、殊勝な心掛け」
ゴブリンは少し感心したようにそう言うと、サムに向けていた鉤爪を下した。
それから、首を傾げながら、サムが背負っている荷袋を見上げる。
「それは、中身はなんだ? 魔王様への供物として、ふさわしいものか? 」
警戒は解いてくれたようだが、しかし、まだサムのことを疑っている様子だった。
「へぇ、いろいろでさぁ。人間から略奪したもので、価値がありそうなもんを適当に詰め込んできやした。オークにはよくわからんのですよ」
「フン、まぁ、仕方なかろうよ」
ゴブリンは、サムの言葉に、嘲る様な笑みを浮かべた。
ゴブリンに力は無いが知能は高いから、愚鈍なオークたちを見下している様だった。
「へぇ、門番様。行ってもよろしいでしょうかね? 」
サムはあからさまにバカにされているにもかかわらず、意に介さないでそう確認する。
こんなところで、足止めを食っている時間は無駄でしかない。
「待てィ! 供物の中身、吟味する! 」
だが、ゴブリンはまだ納得していない様子だった。
そういうと、サムが許可を出すよりも早く、素早くサムの後方に回り込むと、鋭く突き出た鼻でフンフン、とにおいを確かめた。
それから、ゴブリンは怒った様に言う。
「おい、バカなオーク! 人間の臭いがするぞ! 」
「そりゃ、まぁ、人間から奪ったもんですから。……先に進んでもいいですかい? 」
サムは平静な声で、億劫そうにそう答えたが、ゴブリンは同意しない。
「いいや、俺様の目で直接確認する! バカなオーク、変な動きは、するんじゃない! 」
そう命じるや否や、ゴブリンはサムの背中の荷袋に飛び乗って、無理やりそれをこじ開けようとした。
だが、ゴブリンは、その荷袋の中身を確かめることができなかった。
なぜなら、袋を突き破って飛び出してきた鋭いナイフの切っ先が、ゴブリンの急所を一瞬でとらえ、ゴブリンの命を奪ったからだ。
「いいわ。行きなさい」
ゴブリンの毒のある体液がたっぷりとついてしまったナイフが荷袋の外に投げ捨てられた後、その荷袋の中から、少しくぐもったティアの声が発せられる。
「へい、へい、かしこまりましたよ」
サムは億劫そうにそう言うと、荷袋の中に4人の冒険者を隠したまま、魔王城へと向かって再び歩き始めた。




