3-4「バンルアン辺境伯」
3-4「バンルアン辺境伯」
一行が近づいてくると、バンルアン辺境伯は恭しく頭を垂れた。
お互いに視認してから接近するまでの間に、サムというオーク奴隷がいる現実に向き合うことができたのだろう。
「歓迎いたしますぞ、勇者様。ウルチモ城塞の城主、バンルアン辺境伯でございます」
「ティア アミーキと申します。わざわざのお出迎え、感謝申し上げます。」
バンルアン辺境伯からの丁重な出迎えに、ティアは軽くひざを曲げ、衣装のスカートの端を軽くつまんで持ち上げて、まるで貴族のお姫様のような上品なしぐさと口調で挨拶を返した。
(おいおい、マジかよ)
サムは黙っていたが、内心では驚きを隠すことができなかった。
なぜなら、ここまでの旅の間に見てきたティアのしぐさからは、これは全く想像もつかない出来事だったからだ。
サムが見てきたティアというのは、常に横暴で、お淑やかさとはまるで無縁のものだった。
サムのことを鞭で叩くのは無駄だと理解してからは使わなくなったが、それでも、サムを朝起こすときは鉄板で補強されたブーツを履いた足で思い切り蹴飛ばしたし、何か不満があれば怒鳴りつけられた。
ティアは、喜怒哀楽が激しく、それを隠そうともしなかった。
だが、それはどうやら、気の置けない友人たちだけの冒険者パーティで、サムも奴隷に過ぎないから、少しも遠慮しなくていい環境だったからそういう態度であったということらしい。
サムはティアの豹変ぶりにとても驚かされたが、しかし、すぐに納得もしていた。
確かにティアがこれまで見せてきた態度からは今のティアの仕草は想像もつかない上品さだったが、しかし、彼女たちの「育ちの良さ」は、サム自身、ずっと感じていたことだったからだ。
まず、ティアたちには、警戒心が不足していた。
危険を避けるために周辺を警戒する、というのとはまた別の警戒心のことだ。
彼女たちは、自分たちが騙されたり、裏切られたりするかも、というのを考えていないようだった。
それは、サムからすれば、あまりにも危ういものだ。
ティアたち冒険者の仕事は魔物を退治することで、ティアたち自身は「聖剣を使って魔王を倒す」ことを目的として旅を続けている。
だから、ティアたちにとって人間というのは、あくまで魔物たちの攻撃から守るべき対象であって、自分たちはその人間を守るために旅をしているのだという風に思っている。
そして、そんな自分たちに対しては当然、人間たちは好意的であるものだと、そう信じ切っている様子だった。
実際、旅の途中、ティアたちが出会った人々は皆、ティアたちに対して好意的だった。
サムの前職の様に山賊を営んでいた人間たちもいたが、それらは「悪者」とはっきり分かっているのだから、さしたる問題ではなかった。
サムが危惧しているのは、「表面的には善良な」人間たちのことだった。
世の中には、善人だけではなく、悪人が存在している。
そして、その悪人の多くは、自分自身のそういった性質を隠している。
悪事を働くのが好き、という人間もいるが、悪人の多くは、自身の欲望や野望などのために、あるいは、「それ以外に生きる方法がない」という必要に迫られて、様々な悪事を、狡猾に、冷酷に行ってくる。
こういった点では、最初から人間と敵対しているとはっきりしている分、サムの様な魔物のほうがわかりやすかった。
人間のうちに潜んでいる悪人というものは、表向きは柔和そうな笑みを浮かべ、しかし、その内面では、どうやって自分自身の利益を最大化し、欲望や野望を叶えようかと、悪だくみを働かせている
ティアに、ラーミナに、ルナに、リーン。
サムにとってリーンはいまだによくわからない「不気味な」存在だったから判断はつかなかったが、他の3人については、人を疑うということを知らないとしか思えなかった。
サムのかつての仲間たちを討伐する依頼を受けた時、村から受け取るはずだった約束の報酬のほとんどを、村人たちが困窮しているからと返上してしまったことが、何よりの好例だ。
確かにその行為は村人たちにとって救いとなったのに違いなかったし、あの村で代々語り草にされるかもしれなかったが、しかし、サムからすればこれだって「甘い」としか言いようがなかった。
村人たちは確かに誠実で善良だったかもしれないが、その次に出会う人々が同じように正直な人々だとは限らないのだ。
もらえる時にもらっておかなければ、後々で困ることになるかもしれない。
お人好しで、世間知らずで、苦労知らず。
それが、サムがここまでの旅で持った、聖剣「マラキア」を携えてこれから魔王「ヴェルドゴ」を倒そうとしている勇者様ご一行への率直な印象だった。
(はてさて、このバンルアン辺境伯ってのは、善人かね、悪人かね)
サムは両眼を細めて、ティアに続いて上品な挨拶をバンルアン辺境伯にしていく少女たちの姿を眺めていた。
サムは魔物で、醜いオーク。
旅の仲間ではあるものの、サムの立場は少女たちにとっては奴隷に過ぎない。
家畜とほとんど変わらない。
それでも、サムは少女たちのことが心配だった。
35歳になるおっさんオークであるサムを人間と同じように見れば、ティアたちはサムの「娘」であってもさほどおかしくはない年齢の少女たちなのだ。
サムの奴隷としての生活は不自由なものだったし、家畜同然の扱いを受けてきていたが、それでも、少女たちのサムへの仕打ちは「まとも」だった。
サムには毎日きちんと(オークを満足させるほどの量ではなかったが)食事が出されていたし、サムが人間たちから過度に警戒されて、石などを投げつけられた時にはサムをかばってくれもした。
それが「奴隷」、自分たちの労働力となる所有物を守るための行為だったのだとしても、少なくともサムは奴隷として大切にはされている。
奴隷であるサムが、そのご主人様のことを心配するなど、まったく滑稽なことではあったが、それでもサムは少女たちのことが心配だった。
彼女たちは強い冒険者たちだったが、あまりにも若く、純粋過ぎるのだ。
「では、皆様。城の中へどうぞ。私がご案内いたしましょう」
ティアたちからの挨拶を受け終わったバンルアン辺境伯は、4人と1頭をウルチモ城塞の中へと導いた。
辺境伯が、悪人か、善人か。
オークは鋭い嗅覚を持ってはいたが、残念ながら、それで嗅ぎ分けることは難しかった。




