9-26「取引」
9-26「取引」
「なっ……、何で、だよ……? 」
地面に横たわったまま動かない少女たちの姿を目にして、サムは愕然とした。
そこは、夢の世界ではない、現実の世界だった。
目の前に広がる景色、肌に触れる空気の感触、臭い。
サムが初めて玉座の間を訪れた時と全く変わらない世界が、そこにある。
サムは、自分が夢の世界から引き戻されたのだと思った。
そして、その現実の世界で、少女たちが倒れている。
サムは、彼女たちを夢の世界から救ったのだと思っていた。
しかし、目の前にある現実は違っている。
少女たちは倒れ、動かず、息をしている気配さえない。
「ようこそ、光の神ルクスに選ばれし者よ」
倒れた少女たちの向こう、玉座には、魔王ヴェルドゴが腰かけていた。
鮮血の様に赤い髪を長く伸ばし、肌の色は青白く、瞳は赤く、人間で言えば白目の部分は闇の様に黒い。
その容貌は、人間、と言うよりもエルフに近かった。
端正に整った顔立ちに、少しの無駄も無いスラリとした長身。
魔王は漆黒に塗られた鎧を身に着け、玉座の側らには、幅広の刀身を持つ大剣が立てかけられている。
「よくぞここまでたどり着いた。この魔王、暗黒神テネブラエ様の第一の眷属、ヴェルドゴが、貴殿を歓迎しよう」
サムは、震えそうになる身体を必死に制しながら、聖剣マラキアをかまえなおした。
あれが、魔王。
これまで想像してきた、どんな恐ろしい姿とも異なっていたが、その端正な顔立ちから向けられる冷酷な視線は、見ているだけで底冷えする様な気がしてくる。
少なくとも、サムが1人で戦って、勝てる様な気はしない。
サムは恐怖に必死に耐えながら、ヴェルドゴに向かって叫ぶ。
「貴様! 嬢ちゃんたちに、何をした!? 」
ヴェルドゴは眉一つ動かさなかった。
「なに、簡単なことだ。……私としても、無駄な争いはしたくないのでな。眠ってもらったのだよ」
ひとまず、少女たちは無事であるらしい。
そう思ってサムは少しだけ安心したが、状況は最悪だった。
サムには時間が残されていない上に、これまで旅を共にしてきた少女たちを人質に取られてしまったのだ。
魔王ヴェルドゴが指を鳴らすと、突然、倒れていた4人の少女たちが、ふわりと起き上がった。
彼女たちが意識を取り戻したのではなく、ヴェルドゴが魔法の力で動かしている様だ。
少女たちは魔王の左右の空中に並べられる。
目立った外傷はなく、全員、ただ眠っているだけの様に思えたが、ヴェルドゴが何をしたのか分からない以上、サムは心配でならなかった。
「さて、勇者殿。取引をしようではないか」
サムが表情を険しくしながらヴェルドゴを睨みつけていると、ヴェルドゴは悠然とした態度で玉座の肘かけに右腕の肘をつき、自身の右頬をその手の上にのせ、足を組んで見せた。
「取引、だと? 」
「ああ、そうだ。取引だ。……貴殿ら、人間、エルフ、ドワーフ、そしてこの世界に存在するありとあらゆる生命と、我ら魔族との取引だ」
何が、取引だ。
サムは直感的にそう思ったが、少女たちが人質に取られている以上、下手な動きを見せることはできない。
「言ってみろ、聞くだけは、聞いてやる」
「感謝しよう」
サムの返答にヴェルドゴはうなずくと、魔王が言うところの取引の内容を説明し始める。
「取引と言っても、そう難しいことではない。10年間、我ら魔族と、貴殿ら光の神の眷属との間で、休戦をしようではないか」
「休戦? 一旦、戦いを止める、っていうのか? 」
「そうだ。悪い話では無かろう? 我ら魔族は、一時このクラテーラ山の周辺に引き下がり、諸王国から手を引こう。各地に残留している魔物たちも撤退させよう。その代わり、貴殿らも軍勢を引き上げ、かつてウルチモ城塞があった場所を境目として、互いに接近せぬようにするのだ。そうすれば、我が名において、10年間の平和を約束しよう」
サムはゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
こんな話は、嘘に決まっている。
第一、時間が経てば経つほど魔物の数は増え、後々の戦いが不利になっていくのだ。
だからこそ、サムは無茶を承知で、自分の命も考慮の外に置き、ここに立っている。
「不安があるというのなら、その10年の間に限り、新たに魔族をこの世界に呼び寄せぬようにしよう。貴殿らの方から代表者を出し、その点を直接見張ってもかまわぬ。そのうえで、10年後、我らと戦争を再開するか否かを、また話し合おうではないか。……つまり、私は、貴殿らと魔族とが、共存できないかと言っているのだ」
「共存、だと? 一方的にこっちの世界を侵略しておいて、共存、だと? 」
「そうだ」
魔王ヴェルドゴはうなずくと、足を組み替え、再び口を開く。
「正直に言おう。私は、貴殿らに手を焼いている。最初は、マールムが貴殿を、勇者を始末できると思っていた。しかし、マールムは失われ、貴殿はここにいる。そして、城外で戦っている貴殿らの軍勢も、なかなかしぶとい。このまま戦い続ければ、戦乱は長きに及び、我ら魔族が必ず勝利するとも言いきれぬ。……私は、長き封印の間、退屈していたのだ。ようやく目覚めたというのに、再び封じられてはつまらん。故に、休戦しようと言うのだ」
サムは、返答に窮して黙る他は無かった。
しょせん、魔王の言うことだ。
信用などできるはずが無かったが、しかし、少女たちを人質に取られている。
サムは、自分が命を失い、消滅する、その覚悟はすでにしている。
しかし、少女たちまで犠牲となることは、どうしても認められなかった。
そんなサムの思いを見透かしている様に、ヴェルドゴは玉座に立てかけられていた大剣に手を伸ばし、その柄を握ると、その刃をティアの首筋へと突きつけた。
「どうであろう、勇者殿? 勇者殿がうなずいてくれれば、この者たちは助けよう。しかし、そうでなければ……」
魔王がわずかに大剣を動かすと、ティアの肌が小さく裂け、じわりと血がにじんだ。
サムは、どう答えることもできず、ただ、荒い呼吸をくり返しながら、必死になって打開策を考え続けた。




