オゼ一座1
暑苦しくも期待感を覗かせる列車内に何とも言えない気持ちで座っていた。オゼ一座がプリントされた黒シャツを着た右前に立つ女性も、左隣のプリント入りトートバッグを持った家族も同じ駅で下車をした。彼らの顔には期待の色が溢れていた。本当なら俺もこうだったはずなのに、崎谷のせいで得体の知れない不安感が俺をいら立たせていた。今日のネットニュースのトップはタイのクーデターで、オゼ一座が首都バンコクで公演したのが大体二週間前だが、あえて思い出さないように努めた。
会場の最寄り駅はごった返す人の群れで気温が3℃は上がってんじゃないかと思う酷さだった。この賑わいに食いついた便乗商売が繰り広げられているせいで人の流れが詰まっているようだった。逃げるようにそこから脱出して、予め目星を付けておいたレストランへ向かった。会場になっているの公園に特設されたホールから徒歩十分の距離。予約を取れたのはラッキーだった。レンガ風の如何にもな洋風レストランで、店内は落ち着きがある。ファミレスに比べるとほんの少しお高いけど今日はそういう無粋なのは無しだ。開場が始まるまでの一時間を優雅に過ごすべくカウンターに着き、ハンバーグとライス、オニオンスープを注文した。
あらかた食事を終えてお茶を飲んでいた。左にはスポーツでもやっていそうなスラっとした金髪の女性がいた。サラダとスープ、しかし昼間から白ワインを傾けるのが優雅なのか怠惰なのか判断に困る。なんて思っていると俺が横目に見たことがばれたのか、声をかけてきた。
「ねえ君。君もオゼの公演を見に行く、そうだよね?」
「え、えぇ! あなたもですか?」
「そんなところ、ね。今は夫を待たせてるから急がないといけないんだけど」
そう言ってクイっとワインを口に含んだ。言う割に急いでいる様子はないし、そんなギリギリで合流するって言うのも不思議な夫婦だ。しかしこの人、色気とか、貫禄とか、そういうのを感じる。
「変だと思わない? こういうのって土日や祝日にやるものでしょうに、なんで木曜日なんて半端な時なのかなって」
そう言うと困ったように微笑んだ。何か大切な仕事を延期したり、そんな気苦労でもあったのかもしれない。お姉さんはそれきりサラダに向き合ってしまったので俺はお茶を飲み干し、店を出た。
会場に着くと見事に押し寿司状態になっていた。少し時間は早いが既にホール内への案内が始めていて、この列を少しでも崩そうとスタッフも必死である。
チケット受付まであと少し。シルバーメタリックに輝く球状のホールを見上げた。壮観というほかない。一体どうやってこれを組み上げているんだろう。二万席がこの中にある。
受け付けを済ませて自分の席へ向かった。中央にステージがあり、球の内側に沿って観客席が並んでいて、等間隔に八つある通路の一つを登って五段目、通路を右手にして二席目が俺の席。既に七割程度埋まっていて、今や遅しと開演を待っていた。右隣の席はまだ空いていた。席に着いてパンフレットを広げると三人のスター、とりわけ座長オゼ・クラウスがサーベルをステッキのように突き立て、その上に逆立ちする写真が大きく載っていた。青白く細い瞳はいかにも食えない奴って感じ、逆さになっても白銀の髪も黒いダウンコートも重力に引っ張られない。公式には三十四歳ということだが、もう何百年も生きているような威圧感を漂わせる。写真でこうなら実物は一体……。
「楽しみだなぁ~」
「そうだね」
右の席で、崎谷が呼応した。俺には一瞥もくれずにステージを睨みながら。