正体4
お母さんとの通話を終えるとスマホは布団に投げ捨てた。一瞬の心安らぐ時間だった。やっぱり心配そうだったけど、何とか安心させることが出来た。ふぅんと思わず鼻息が出てしまう、自由な生活が懐かしい。
気持ちを切り替えて、ちゃぶ台のような机の脇でかしこまっている崎谷の隣に腰を下ろした。ここは崎谷の部屋。自分の住むアパートはもはや事件現場となり果てた。俺の部屋は死人を出し、今や立派な事故物件となり果てた。同じアパートの住人が黙っちゃいないだろう。
俺はもう肩を寄せるくらいの距離まで崎谷に近づいた。
「何を委縮してるの? ここは崎谷の部屋じゃないか。俺は無力な人間で、君には力があるわけで。さっきオゼのところに連れて行かなかったのは何故?」
「そ、それは。分からないから。彼の居場所なんて分からない」
「なるほどね」
話しかけておきながら、潮が引くように会話する気が失せた。
疲れた腰を上げて、風呂場へ向かった。さすがに砂が実体の者が住んでいる部屋だ。風呂場はあいつが部屋を借りてから初めて使用されたらしい。石鹸? シャンプー? 洗剤? 白物家電? まるで人間の暮らしている部屋などではない。
シャワーは生き返ったかのように心地よい。気持ちの悪い汗は流れ落ち、全身にヒトらしさを覚える。服や歯ブラシの類、また腐らない食材に至るまで、崎谷俺の部屋から持ってこさせた。崎谷は俺の命令に何の意見もせずに遂行した。それは彼女の中に産まれた俺への負い目の大きさを象徴する出来事だ。俺は明確にオゼに目を付けられた。この一大事が、彼女にとっても一大事なのだろう。
さっぱりして服も着て、もう人間様は寝る時間だった。使わなかったタオルを枕代わりに床に転がるように寝た。
翌朝、昼頃になって俺はのそのそ起きだした。なるほど、よく眠れるはずだ。ベッドの上で眠っているのだから。ベッドに座って立ち上がる元気が出るまで頭を覚まそうとした。崎谷はパソコンに向かって何か熱心に見ている。
「こんにちは崎谷さん」
「あ……。うん。おはよう」
「何を見てるの?」
「いや、別に」
そう言ってぱたんと閉じた。そして姿勢を変え、俺の前に座り直した。
「アッハッハッハ!!!!」
なんだこの状況! ただ一人、ひとしきり笑う声が耳に反ってくるのが段々嫌になって笑いが収まった。崎谷の顎をくっと押し上げ、嫌でも目を合わせてやった。
「なんだよ! お前、これじゃまるで奴隷か召使じゃないか! そんな契約いつ交わした!? 誰がそんなことを頼んだよ!? 俺は人間だぞ。底の浅い人間だ。崎谷のように学も教養もあり、美しく、そして超常的な力を持つものが安易に従属していい相手じゃねえんだよ。俺を堕落させるつもりか?」
数秒間の沈黙の間、崎谷の表情は刻々と移り変わっていった。最初は驚いたような、呆れたような。
「じゃあ、どうして欲しいの? 私のせいで佐久間くんはこんなことになった」
「確かにお前のせいだ。俺の妨害をして理由も言わず、だから失敗した。お前は阿呆なんじゃないか? ……俺はオゼ一座のことをはっきりさせたい。そのためにはお前の力がきっと必要だろう。お前が主導権を握るな。俺と一緒に決着を付けようじゃないか。苦悩するのはもうやめにしろ」
崎谷はまたしばらく押し黙った。いつまでも待とう、彼女がすぐに答えられないのはこの先の自分たちのためだ。崎谷は不意に、顎を持つ俺の手首を掴んだ。決して強い力ではない、しかしとても強い力のように思えた。不敵な、危険な笑顔を覗かせてグッと俺を引っ張った。そして身体を輪郭ばかりの砂人形に戻して、鼻がくっ付きそうなくらい近くで囁くように質問をされた。
「私が怖くないの? 憎くないの?」
「それを知りたいなら俺と一緒に進むしかない」
──プハハハハハ!
何が愉快で何が面白いのか分からない。でもとても清々しくて、二人でずっと笑い合っていた。