初雪の呪い
「あら。オリヴィア様。雪が降ってまいりました。どうりで寒いはずですね」
侍女が外を見ている。
「そう。初雪ね」
答えて窓辺に寄る。
灰色の空から白い結晶がひらひらと舞い落ちていた。
「膝掛けを出してね」
「かしこまりました。ですが何故、毎年初雪の日に出すのですか?」
侍女が不思議そうに首をかしげる。どんなに寒かろうが、風邪をひこうが、この慣習は変えない。
「呪われているからよ」
ふふっと笑うと、侍女はますます不思議そうな顔をした。けれどまた、いつもの王妃の戯れだと判断したのだろう。それは大変でございますね、と笑顔で返答して、膝掛けを出しに行った。
「この呪いは永遠なの」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
遠く離れた異国に嫁いで五年目の冬。
恐らく二度と帰ることのない母国に、思いを馳せた。
◇◇5years ago◇◇
パタパタと廊下を走る。王女にあるまじき振る舞いだとは分かっているけど、とても淑やかぶっている場合ではない。
案の定、乳母に見つかって、
「オリヴィア様!」
と呼び止められたけれど
「お小言は後で聞くから許して!」
と答えて駆け抜けた。
建物を出て、裏門に向かう。
見えてくると、ちょうど勤務を終えた若い見習い兵たちが出ていこうとしていた。
「ロドルフォ!」
兵たちが全員振り返る。その中のひとり、幼馴染のロドルフォだけ足を止め、仲間に挨拶をするとこちらにやって来てくれた。
「姫。どうされましたか?」
「『姫』はやめてと言っているでしょう」
ひとつ年上のロドルフォは、騎士団長の息子で、幼い頃から父親について城に出入りしていた。兄姉たちとだいぶ年の離れている私には、絶好の遊び相手だった。
お互いロドルフォ、オリヴィアと呼び合い対等に話していたのに、二年前に彼が見習い騎士になると、ロドルフォは私を姫と呼び敬語を使うようになった。
「今更、何を仰るのですか」ロドルフォの顔に優しい笑みが浮かぶ。「そんなに息を切らせて、どうされました」
じわりと目が滲んだ。
「結婚が決まったの。嫁ぎ先は、メッツォのコルネリオ王ですって」
「それはそれは。おめでとうございます」
ロドルフォの笑顔は変わらない。
「……メッツォはとても遠いのよ。きっと帰郷は出来ないわ」
「そうでございますね。ですが、発展していて気候も穏やかだとか。我が国よりも冬は短く春が長いそうですよ。暮らしやすい国でしょう」
「……会えなくなってしまうのよ」
「淋しくなりますね」
「私、結婚してしまうのよ」
「コルネリオ王は若く美男との噂。良縁でようございました」
ロドルフォの声が僅かに震えていた。笑顔がいびつになり、口元が震えている。
「……ロドルフォ」
「……申し訳ありません。失礼、致します」
「ロドルフォ!」
手を伸ばし、ロドルフォの上着を握りしめる。
「『姫』。お願いです。手をお離し下さい」
「……私、来月には、あちらへ向けて旅立たないといけないのよ」
「……存じています。先程父から全て聞きました。臣下として、姫をしっかり送り出すようにとの命令です。あなたに慈悲のお心があるなら、私が失態を犯す前に、どうぞ、手をお離し下さい」
ロドルフォの目が潤んでいる。
ゆっくりと上着を離した。
ロドルフォは一礼すると、何も言わず踵を返した。彼の姿が門の外に消える。
私も来た道を戻った。
いつの頃からか、私はロドルフォが好きだ。だけれどその気持ちに気づいた頃には、完全に『姫』として扱われるようになっていたから、てっきり片思いなのだと思っていた。今の今まで。
「オリヴィア様!」
名を呼ばれてハッとする。顔を上げると、廊下を乳母が駆けて来るのが見えた。
「王女が自室以外でそんなお顔をしてはなりません!」
彼女はそう言いながら、ハンカチで私の顔を拭く。
「ですが今日だけは、お小言は言いません。さあ、部屋に戻りますよ」
乳母が、小さい頃にしてくれたように、手を繋いでくれた。誘われて、歩き出す。
「出立まで日がありません。明日からは嫁入り準備で忙しくなります。泣いてよいのは今夜までですからね」
「……私、ずっと片思いをしていたのよ。知っていた?」
「オリヴィア様のことで、知らないことなどありません」
乳母が胸を張るのが、見なくても分かった。
「……でも、片思いではなかったみたい」
繋ぐ手に力がこめられた。
「……平和な時代ならばともかく、国家間の緊張が続く今において、王家の政略結婚はとても重要なのです」
「ええ。習ったわ。覚悟もしているつもりだったのよ」
だけど、いざその時が来たら、全く覚悟なんて出来ていなかったと分かった。
「ですが心だけは、自由でいていいのです」
乳母の言葉に思わず足を止め、彼女を見た。
「あなたは政略結婚をし、メッツォの王妃として生きなければなりません。だけれど心の中だけならば、オリヴィア様が誰を想っていても他の者には分からない。だから何の問題もないでしょう」
心の中、だけ。
そんなの嫌よ。両思いなら、ロドルフォと結ばれたい。二人でどこか遠くへ逃げてしまいたい。
そんな気持ちが沸き上がるが、それが無理だということは十分に分かっている。
だから彼の上着を離したのだ。
二人で逃げても、捕まったらロドルフォは死罪になる。
もしかしたら婚約不履行を理由に、メッツォに戦争を仕掛けられるかもしれない。
メッツォの若き王コルネリオは、数年前に武力によって元からの王朝を倒し、即位したという。それから僅かな間に、近隣二か国を征服した、かなり好戦的な王だ。
噂では、周囲の小国全てを支配下に置こうとしているとかなんとか。私が逃げたらそれを理由に、ということは十分にあり得るのだ。
そんな戦好きの王ではあるが、幸い、政治は善政を行う賢王のようで、国民にも、征服した国の民にも人気があるという。
だから安心して嫁ぎなさいと、父は話していた。
「心の中だけ」
それならばコルネリオ王を怒らせたり、戦の口実にされることはないだろう。
「心の中だけなら、許されるね」
「また、オリヴィア様!」
乳母が慌てて、私の顔の涙をぬぐう。
「私、ノインの王女として立派に輿入れするわ」
「……乳母として、オリヴィア様を誇りに思いますよ」
「だから今夜までは、赤子のように泣くことを許してね」
「今日はずっとおそばにおりますよ。さあ、廊下ではまずいですから、部屋へ行きましょう」
頷くと、再び歩き始めた。
今頃、ロドルフォも泣いてくれているのだろうか。
◇◇
それから私の嫁入りの支度が急ピッチで始まった。
元々この辺りは大きな帝国があり、それが分裂して我が国やメッツォ国が出来たので、言葉は共通だし、文化の差異も少ない。もっと遠くの異国に嫁ぐよりは、気楽ではある。
しかし。メッツォの歴史やコルネリオ王について学び……。
正直、憂鬱になった。王にとってこの結婚は三度目らしい。最初の妻はお産で亡くなったそうで、それはよいのだ(気の毒なのは、ひとまず置いておく)。問題は二番目の妻。
彼女はツヴァイの王女だったけれど、結婚数ヶ月後には離縁され、ツヴァイも滅ぼされたという。
全然安心して嫁げません、と思わず父に文句を言ってしまった。
ただ父の話では、王女にもツヴァイにも問題があったから仕方ないそうだ。
コルネリオ王は我が国の金鉱脈に目をつけていて、ノインが他国に滅ぼされる前に繋がりをもっておこうという算段だという。
それでもあまり安心は出来ないけれど、王女なのだから父王の命令に従って、結婚するほかないのだ。
花嫁教育に息がつまるから、とか、コルネリオ王に不安を感じてじっとしていられないから、なんて理由をつけて、一日に何度も庭園を散歩する。秋の終わりの寒いこの時期に。
王女がひとりで散歩する訳にはいかないので、乳母と護衛がつくことになる。そうすると、数回に一回はロドルフォに当たるのだ。
あの日以来、私たちは完璧な王女と臣下になった。結婚を控えた私は、もう幼馴染と楽しくはしゃぐ小娘ではいられない。……少なくとも、他人の目があるところでは。
私たちは一見、散歩する姫と護衛(と乳母)のふりをしながら、ぽつりぽつりと思い出を語り合った。
思い出以外に口にしたい言葉はあったけれど、それは必死にこらえた。多分、ロドルフォもそうだと思う。
そうやって過ごすうちに、あっという間に出立の日がやって来た。
朝からやけに底冷えがすると思っていたら、ついには雪が降り始めた。初雪だ。例年よりもかなり早い。
自室の窓からの最後の眺めが初雪。なかなか乙かもしれない。
「オリヴィア様」
乳母に声を掛けられる。そろそろ行かなくてはならない。
「分かったわ」
返事をして振り返ると、開いた扉の元にロドルフォがいた。
「最後に、幼馴染として別れの挨拶をしてよいと、許可をいただきました。そちらへ行ってもよろしいですか?」
頷いた。声が、出なかった。
私の元へ来たロドルフォは真新しい膝掛けを持っていた。
「こちらをお持ち下さい。馬車の旅は冷えるでしょう。私の給与で買えるような品では寒さはしのげませんでしょうが」
だけれどそれは、とても美しい織模様だった。
受け取って、ありがとうと声を絞り出す。
「……本当は装身具を送りたかった」ロドルフォの声が震えた。「肌身離さず身につけていられるような。だけれど万が一にでもコルネリオ王の機嫌を損ねかねない品は、恐ろしい。だから」
ロドルフォはそっと膝掛けに手を触れた。
「今から君に永遠の呪いをかける」
「呪い?」
「これから毎年、初雪の日にこれを使い始める」
「初雪の日ね」
「その日だけは、僕のことを思い出す。そういう呪いだ」
ロドルフォの顔が涙で滲み、よく見えなくなった。
「……私、呪われたわ」
彼の手が伸びてきて、涙をぬぐってくれる。
「僕は毎日祈っている。君がコルネリオ王の元で幸せでいられるように。オリヴィアが素晴らしい王妃になると、信じているよ」
私は懸命に頷いた。
「どうかロドルフォも幸せになってね。私のために」
「……君のために、努力すると約束しよう」
そうして私もロドルフォも、一番伝えたいことは心にしまったまま、別れの挨拶を終えたのだった。
◇◇the present ◇◇
何やら剣がかち合う音がし始めた。
視線を下げると、庭でコルネリオ王が親友の騎士と手合わせをしている。雪が舞っているのなんて気にしないのだ、あの人たちは。
ロドルフォの祈りの効果か、私はコルネリオ王に愛されてはいないけれど、気に入ってもらえてはいる。態度も優しいし、この五年の間に二人も子を産むことが出来た。
友人にも恵まれて、幸せな生活を送っていると言えるだろう。
ロドルフォも、乳母からの手紙によれば、この夏、父親になったらしい。騎士団長が選んだ女性と見合い結婚をしたようだが、夫婦仲は良好とのことだ。
「オリヴィア様。お持ちしました」
侍女が膝掛けを持ってやって来る。
「ありがとう」
「ここへ置きますね」と彼女は椅子の背にかけようとした。
「いえ、渡してちょうだい」
そう言って受け取った膝掛けをさりげなく抱き締め、しっかりと初雪を見せる。
「あら、陛下たちはこの寒いのに、手合わせですか」
侍女も窓の下を覗いている。
「まったくね。見て、あの楽しそうなお顔」
コルネリオ王は前評判通りに好戦的な王ではあるけれど、仲間を大事にし、彼らと一緒の時はいつも楽しそうだ。
そう悪い結婚ではなかった、と思う。
窓辺を離れる。
「少し疲れたわ。ひとりにしてもらえる?」
椅子に腰掛け、膝掛けを脚に広げる。
「何か温かいお飲み物をおもちしましょうか?」
「そうね。でも、今はいいわ」
ゆっくりとロドルフォのことだけを想いたいから。
遠く離れ、恐らくは二度と会うことの出来ない愛しい人に思いを馳せて。静かに目を閉じた。
お読み下さり、ありがとうございます。
こちらは拙作『冷血騎士の困難な恋』の番外編となります。
コルネリオは主人公の親友で、ちょこちょこ登場します。
オリヴィアはあまり出番がありません。
そのへん気にしないよ!という方は、よければ本編もお読みいただけると嬉しいです。
◇ こちらの作品に賞をいただきました ◇
第8回 ネット小説大賞 『短編企画賞』第2弾 グランプリ
をいただきました!!!
お読み下さった方、ブックマークや評価をして下さった方、ありがとうございました。
2020,3,6
◇ 応援イラストが発表されました ◇
上記の受賞賞品として、応援イラストを作成していただけました。
お手数ですが、活動報告『いただいたイラストのまとめ』からサイトに飛べますのでご興味がある方はご覧いただけると嬉しいです。とても素晴らしいです!
2020,7,2