-1話 神社にて
『彼女』は歓喜した。
それは不意に訪れた好機。
残された時間は既に無きに等しい。
『彼女』は自分で自分を救えぬ程、その存在を失いつつあった。
最早、一刻の猶予もない。
『彼女』は語りかける。
かつて父が、そうしたように。
「彼女」は歓喜した。
それは不意に訪れた救い。
残された希望は既に無し。
絶望と憎悪と怨嗟に彩られた「彼女」の、唯一の救い。
何も、未練はない。
「彼女」は享受する。
かつて子が、そうしたように。
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私はいつもの居場所へ向かうことにした。
あそこであれば誰も居ない。
必要なものをカバンに詰め、いつもの白いワンピースに着替える。
サンダルを履き、誰もいない家にいつもの挨拶。
「いってきます」
鍵はかけない。
扉を閉めて、ずっと住んできたアパートに別れを告げる。
自転車に乗り、幾度と無く通った道程を辿る。
時刻は昼食時、夏休みではあるものの、私が向かっているのは人が寄り付く場所ではない為、私の知る顔は歩いていない。
元来、あまり汗をかく体質ではないのだがこの季節のこの時間は流石に暑く、嫌な汗が額を伝う。
あぁ、私はこれが嫌いだ
光が嫌いだ。
日光も、照明も、ありとあらゆる光が嫌いだった。
暗闇に紛れてそのまま溶けてしまいたいと思うほどに、私という存在を写し出す光が嫌いだった。
そんな光が今、私を照らし、その熱で私を苛む。
いいさ、お前に悩まされるのも今日が最後だ。
何もない、それが私の全てだった。
未来を見据えれば見据えるほど、世界を理解すれば理解するほど、私の生きる意味は無くなっていく。
私より不幸な人はいるのだろう。
私より孤独な人はいるのだろう。
だが私には関係のない話。
私の大事な人は死に、他人には疎まれ、忌避され、虐げられてきた。
最早未練はない。
そして、いつもの場所に着いた。
小さな林の奥にある、人々から忘れられた小さな神社。
林に日光を遮られた神社は薄暗く、木漏れ日が光の帯を象り、実に神秘的な雰囲気を纏わせる。
小さな鳥居と小さな社。
そして一際大きな神木。
それだけの小さな神社が、私の定位置。
独りになってからずっとこの場所を、私だけの場所として占有してきた。
ここは誰もいない、ここは何もない。
奉られている神様が何かは知らないし知るつもりもない。
ここは私だけの場所、だからここを選んだ。
涼しげな風が境内を吹きつける。
私は社の階段に腰掛け、持ち込んだ物をカバンから取り出す。
折り畳みの椅子と、麻縄と、裁断鋏。
それ以外の持ち物は必要ない。
麻縄の端を輪にして神木の太めの枝に投げ掛ける。
落ちてきた輪に麻縄を通して引き、枝から縄が吊り下がる形にする。
自らの命を断つ物を作っているというのに、妙に楽しくなっている事に気がつき、自分で自分を嗤う。
最後にもう一つ輪を作り、裁断鋏で縄を切る。
誰がどうみても立派な絞首の縄の完成。
久々にちゃんと動いたせいで息があがってしまったので一旦息を整える事にする。
休みながら私は思う。
あぁ、本当に何もない人生だった。
両親は善き人達であったらしい。
しかし、私が物心つく前に交通事故で二人とも亡き人となったので私は彼等の事を知らない。
孤児となった私を引き取ったのは母の妹にあたる叔母の夫婦であった。
彼等は私を育ててくれたが、私を愛してはくれなかった。
義務的に教育し、義務的に養育し、それでも愛することだけはなかった。
叔母夫婦には、血の繋がった子供がおらず、それが肉体的な物なのか、精神的な物なのか、他人の子である私にはわからない。
しかし彼等の世界では私は外敵で、邪魔者だったようだ。
彼等は私が中学校を卒業すると同時に、私の両親が残した遺産を渡して関係を絶った。
悲しくはなかった、その時にはもう私は人というものに辟易していたのだ。
そんな状態のまま今の高校に通い、私は一人の友達と出会った。
彼女との日々は、ささくれ立った私の心を癒すには充分過ぎて、彼女を失ったという事実は私に生を諦めさせるには充分過ぎた。
ましてや、それを私のせいにされてしまっては。
そして、今に至る。
「今そっちに行くから」
一言呟き、私は椅子の上に立ち、縄を首にかける。
恐怖はない。
むしろ、私が冷静であることに自分で恐怖するぐらいだ。
大きく深呼吸をして、一瞬の躊躇いのあと、椅子を蹴る。
息が止まる、あぁ、苦しい。
体が酸素を求めて虚空を蹴り、掴む。
次第に視界が薄暗くなり、力が抜けていく、苦しい。
意識を失う直前、何故か木陰から着物を着た小さな子供が私を見ていることに気がついた。
私はそこで意識を手放した。
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私は静かになった彼女を見る。
彼女の魂はまだそこにある、だがすぐにでも霧散してしまうだろう。
私では今の彼女を助けられない。
ならば死した彼女であれば助けられるのだろうか?
私は半分は彼女の救済を願って、半分は自らの救済を願って、彼女の体へと手を伸ばした。
これは二人が生きるための物語。




