S1-par.5 『思い通りにいけない道理』
一つ夜が明け、ツクヨが進路について話した翌日。今日も今日とて学校生活は始まる。ツクヨもまた学校に到着していた。
「よっし! 教室に着くころには五分前――セェーフ!」
ギリギリである。
「アウトだよ」
「あでっ!」
耳に慣れた声と出席者名簿がツクヨの頭上に当たる。見上げれば、玄関から行く先に先生が立っていた。
「十分前行動を知らんのか」
「痛いよ! なんで先生がいるの。ここ生徒玄関だよ!」
「ちょうど通り道だったんだよ。どうしてか無遅刻無欠席の誰かさんがいたから注意しに来たんだ」
「私優秀じゃん!」
「先生より遅かったら遅刻な」
「脇から失礼しまヴっ!」
特に活性化はしないが、ツクヨの前頭葉付近から良い音が鳴る。
「昨日も言っただろ。廊下は走るな」
「ぐおぅ……ぅ私の偉大なる記録がぁ……」
「言うほど気にしてないくせして。遅かったらだぞ。一緒に行けばいいじゃないか。先生から足とめさせたからな、そこまで鬼じゃない。それとも何か、先生のこと嫌いか?」
「好きではないなヴっ!」
「そういうときはおべっか使うんだよ」
「もう! 仏の顔も三度までだよ!」
「仏ってか、おとぼけだけどな」
ひと通り漫才を繰り広げると、先生は出席簿を抱え込み歩き出した。
「ほら音無、遅刻するぞ」
「ちょ、待ってよ! カンベンだよぉ」
急いで先生の横に落ち着くツクヨ。並んで教室へ向かっていると、先生がツクヨに話しかける。
「音無、昨日の話どうなった」
「はぇ?」
「進路希望だよ。今日にでも調査書を叩きつけられるとも構えていたんだが」
「えぇっとぉ……、それはぁ」
「反対されたか」
ツクヨはもごもごしながら黙り込む。何やら音が漏れているが言葉にはなっていない。それを秒が二桁いかないうちに続けていると、ツクヨの髪がスポンジに似て沈んだ。
「ま、しっかり考えろって言われてるんじゃないか? 大事なことだ焦るこたねぇよ」
「――手じゃないんですか」
「先生はまだ先生をしていたいんだよ。セクハラ扱いは御免だ」
そう言って先生は出席簿を上げる。するとツクヨは走りに数えられない程度に歩みを先んじた。教室から彼女の姿が確認できる位置まで動く前に、ツクヨは足を止め振り向く。
「じゃ、遅刻はなしね」
ツクヨはおどけて腰を曲げ、手を後ろで組み、先生に歯を見せる。少女が脚を遊ばせて背中を飛ばし、進行方向に体を合わせる。二度踵を返し、ツクヨは教室へと姿を交ぜた。
「じゃ、ってなんだよ。まったく」
後手に回りクラスの皆に挨拶と姿をあらわす先生。それに応える声には当然少女の言葉も含まれていた。
いくらかの授業を苦痛や睡魔と戦えば、ときは過ぎ昼休み。おのおのが食事を済ませ、次の授業までの時間を消費している。そんな中ツクヨはヒナコの椅子を占領し、そこの席で彼女の持参したポータブルサプリプレーヤーを両手に抱えのぞき込んでいた。
「……おぉ、すっごぃ! かっくいー!」
画面には暗殺競技の動画が映し出されていた。
地形や運営陣営の妨害などを乗り越えゴールを目指す障害物競争……、一定時間内にどれだけ多くターゲットを壊すか、また何秒残して壊しきるかを競うタイムアタック……、決められたアイテムを指定のフィールドから見つけだす探索競技……。
中でもツクヨの視線を釘付けにしたのは、試合の映像だった。アスピュレータを身にまとい、常人では考えられない機動力を繰り広げている。武器や装甲に統一性はなく、剣、銃、拳、その他様々な戦いの連続である。
「すごいねヒナコちゃん!」
「楽しそうだねツクヨちゃん」
「すごいね!」
「ん、うん。そうだね」
絵に描いたような、CGではない動きは見る者を止めるに十分である。世界中を魅了する暗殺者の姿に、ツクヨの意識も集中していく。
「マシロねえのこともあるし、そもそも有名だし。ツクヨちゃんが知らなかったことの方が仰天だよ」
「む、バカにしちゃってぇ。フォークの方は見たことあるよ!」
「フォースね。なのにそんなに驚くの?」
「こんな魔法みたいな動きしないよー」
「あぁ、それもそっか。OACEってほとんどが素人だからねぇ。アサシンスーツありって言っても、規模は知れてるのかも」
瞳を輝かせて試合映像に食いつくツクヨを横に、ヒナコは不安を覚え始める。マシロの伝えたかった危険性が、一切ツクヨの捉えるところになかったからだ。
楽観的なツクヨの様子を眺め、ヒナコはある動画のことを思い出す。その動画を見せようと、ヒナコはツクヨからプレーヤーを預かった。
「え! ヒナコちゃん、私まだ見てる――」
「どうせだから一番すごい動画を見せてあげる」
ツクヨの手元が暇になり、わずかな間ヒナコに催促の視線を照射し続けた。あせらされたヒナコの笑みに変な力が入ってしまう。監視される中で動画を探し出すと、ヒナコはツクヨに画面を向けてプレーヤーを差し出した。
機器を受け取るツクヨ。彼女の視界は発光する画面に支配された。
「え? え、ちょ、え?」
初めは分からなかったが、ツクヨの目が慣れ、光の切れ目が視認できてくる。そして理解した光の正体は――光線であった。
複数の光球が浮かび、そのすべてから光線が放たれている。さらに一つの光球から伸びる光は無数に途切れることはない。射出された光は直線的に、空中で向きを変えつつ、一定の範囲内に降り注いでいる。
猛攻の末、光線の雨脚が弱まり始めた。土煙を残して衝撃がやむ。試合会場から煙幕がはれたとき、二人の人影が映し出された。
「女の人?」
ツクヨの見つめる画面には、倒れている選手と、浮遊する光球を背負い仁王立ちでたたずむ少女の映像が捉えられていた。
動画の再生が止まると、ヒナコがツクヨに言葉をかける。
「マシロねえがケガするかもって言ってたでしょ? いくらアスピュレータに安全機能があっても、強い人と試合をしたら痛い思いをしなくちゃならないんだよ」
ツクヨは静止していた。ヒナコの心配が伝わったのか――。
「……っごい」
「ツクヨちゃん?」
「すっごーい!」
――試合の熱気が伝わったようだ。
「えぇ? 何今の!」
「ツ、ツクヨちゃ――」
「かっくぇー!」
ヒナコは動画を見せたことを少し後悔したが、むしろツクヨなら何も問題ないのではないかとさえ感じていた。
青空から太陽が帰宅の準備をする中、学校にはまだ残っている生徒が少なくない。ツクヨたちも部活動にはげむため部室に向っていく。連日のように着替え、グラウンドに挑む――はずだったのだが、この日は様子が違った。
「……えぇー! 中止ぃ?」
顧問の先生の発言に、部員の多くが驚きと不信を持つ。それだけの理由があるのだと、先生は詳しい内容を話し始めた。
「さっき連絡があったんだ。学校周辺の地域で不審者の目撃情報があったらしい」
「でも大会もあるんですよ? 早めに上がれば――」
「単に不審者ってだけなら、警戒した上で暗くなる前に帰せばいいとも言えるがぁ……――それがOACEかも知れないそうだ」
危険な単語を聞き、部員たちは静かにざわつく。ツクヨも『オーク』とつぶやく以外には、すぐに言葉は出ない。
「詳細は分かっていないが、目撃者の証言からしてアサシンスーツで間違いないそうだ。試合に出られなくなれば、それこそ意味がない。というわけで、今日の部活はお休みだ。寄り道せずにまっすぐ帰るように。それと一人では行動しないように。以上、解散」
不明瞭な危機感を残して、その日の学校での放課後は過ぎていった。