S1-par.4 『憧れる子と知らないこと』
ツクヨは我が家に入るなり、まず空腹を刺激する香りを感知した。それからは帰路の悩みはどこへやら。ツクヨは大きく息をほおばる。そして余力を残して自身の帰宅を知らせた。
「ただいまー!」
帰りのあいさつは、その日の学校生活がどんなものだったかを示す一つの指標となる。気持ちの良い声に、自身も嬉しくなった少女がいた。彼女は、背を向けて靴を脱ぐツクヨに後ろから声をかけた。
「おかえり。部活がんばってるみたいね」
ツクヨはその声をくれた顔を確認するまでもなく、目を輝かせて振り返る。
「お姉ちゃん! と、お母さん」
あいさつに答えた姉の横には母親がいた。大方予想通りといった顔をしている。
「ツクヨ、まずはシャワー浴びてらっしゃい。ご飯もうできるから、お姉ちゃんとはそのときにしなさい」
「はーい」
精一杯取り組めば、その分だけ汗と砂を連れてくる部活動。帰宅してから汚れを洗い流すのは、ツクヨにとってはいつも通りのことだ。しかし今日は昨日までとはまた違う。いつもと異なる一日に、ツクヨは胸の高鳴りを覚えた。
ツクヨは食事を前に手を合わせていた。
「いただきます!」
姉を合わせて四人全員がそろった一家団らんに会話は弾む。ツクヨが友達や部活動のことを話し、母親には勉強についてつつかれる。当然、姉の高校でのことも話題に挙がった。
模忍高校の授業も大半は一般的な高校と変わらない。マシロが通っている暗役科となれば専門的な内容も含まれるのだが、ツクヨには興奮する感じ以外の詳しい部分は理解できなかった。するとツクヨは、この高校の話に続いて思い出す。そのまま進路希望調査のことを持ち出した。
「私、模忍高校に行きたい!」
「どうした? 急にあらたまって」
「進路希望だよ。来週までに書いて出せって。ねぇいいでしょうお父さん」
ツクヨの希望に父親は楽観的に応じた。だが、そのとなりから真逆の答えが返ってくる。
「無理でしょ」
「なーんでぇ!」
「成績足りないじゃない」
一蹴である。
「そんなに低くないよ!」
「でも足りない」
「自分の娘なんだから応援してよー!」
「アンタね、マシロが受験勉強してたとき、何してた?」
「私だってがんばってたもん」
一向に引かないツクヨと、断固として認めない母親。成績ももちろん足りないが、もっと不十分な問題は別にあった。
「マシロがアンタと同じ時期には、もう暗役科の受験勉強を始めていたのよ」
ツクヨからのラリーが止まる。母親から聞かされたそれもまた、ツクヨは知らなかった。彼女の視線は、確かめるため、言葉を聞くため、マシロを探す。
「お姉ちゃん?」
「――そうね」
どうして。ツクヨは文字を浮かべ口を閉じる。姉が見えないところで努力していたことか、自分が何も知らなかったことか、ツクヨはその言葉が言えなかった。
「お母さんの言うように、暗役科に来たいのなら」
声を詰まらせたツクヨに、マシロは一つ前の答えを出す。
「私がそれを素直に喜ぶのは難しいわ」
ツクヨはマシロの言葉を受け入れられなかった。話の流れからして聞きたくなかっただとか、お姉ちゃんなら肯定してくれると思っていたから予想外だとか、そう言う話ではない。ただ、認めた瞬間から己の間違いも認めることになると感じたからだ。ツクヨは、姉を過ちにしたくなかった。
マシロは後に思いを続けた。
「ツクヨが私を慕ってくれているのは知ってるわ。でも、暗役科はアサシンアクターを目指すための場所なの」
マシロはよく聞くようにと目で訴える。
「アサシンアクターは、周りが思っているほど夢のある職業ではないの。プレイヤーであっても大ケガもする。フォースになれば、最悪命を落とすことになりかねない。それだけ危険な仕事なの」
真剣なまなざしが深い瞬きの後に途切れた。
「ツクヨ自身がアサシンアクターを目指したいわけではないのなら、やめた方がいいわ」
「じゃあお姉ちゃんはどうして! まるでなりたくないみたいじゃん!」
ツクヨの怒声がマシロに向けられる。自らを否定するような、ツクヨと距離を置きたがっているような、そんな感覚の発言にツクヨは必死になった。これを聞き、マシロは目と口を開く。
「なりたくない、とまでは言わないわ。でも、私の希望とは違ったわね」
「マシロ」
「お母さん安心して。後悔はしてないわ。あのとき全国大会でスカウトされて、可能性を見つけて、私の力が役に立つのならって。そう思えたの。こんなことそうそうないわ。したくてもできないことよ。だから、間違っていないと思う」
ツクヨにはマシロの瞳が宝石に見えた。やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだ。そう思いツクヨが声をあげ出す。
「お姉ちゃ――」
「でもツクヨに賛成はしないわ」
「なーんでぇ!」
「言ったでしょ? 暗役科はアサシンアクターを目指すための場所だって。私が理由なら考え直してちょうだい」
「んむぅ……んん。分かったぁ、よぉ。じゃあその代わり」
「ん?」
「プレイヤーとかフォークとかって何か教えて」
ツクヨは考えるための知識を習った。
家族会議を終えたツクヨは自分の部屋に戻っていた。現在彼女のボードPCはビデオチャットを起動し、進行形でつながっている。
「……って言われたぁ~」
「仕方ないよ。どっちが正しいかって聞かれたら、やっぱりマシロねえだし」
「だから今から考えるんでしょー」
「ふくれないの。そのつもりだからこうして話してるでしょ? まだ一週間あるから慌てることもないけれど」
「ぶぅ……、じゃあまとめるから合ってるか教えて」
「アサシンアクターの?」
「そうそう。確かぁ……、プレイヤーだっけ? あれが――」
アサシンプレイヤー、暗役職のうち暗殺競技選手を指した呼称。アスピュレータを用いて競技や試合をおこなう。選手としての活動が主であるが、実力者はフォースとして事件解決に加わる場合もある。
アサシンフォース、暗役職のうちアスピュレータを扱える特殊戦闘員を指した呼称。アスピュレータに関係した事件、その他の通常では対処が困難な事件の解決が目的である。
中でも、"アサシンスーツを使用して罪を犯す悪人"――OACEと戦うために組織された者たちを、"特殊暗殺武力対抗部隊" ――SOAF-OACEと呼ぶ。
「……で、お姉ちゃんは今プレイヤーの勉強をしてるって」
「マシロねえの競技、見たことあるの?」
「ううん、まだ。競技は練習段階だし、試合はもっと先だって」
「じゃあ参考にはできないね」
ちゃんと考えるとは言っても、ツクヨにとっては突然の話であった。自分がしたいことについて練るが、頭の隅には姉が浮かぶ。これと言って案はない。今まで姉を目標にしてきた彼女にとって、今日の話を解決することは安易ではなかった。ツクヨは机にあごを乗せて煮た餅のようになっていく。
画面越しにその様子を観察していたヒナコ。ツクヨに任せていてはこの時間は終わらないだろうと考え、彼女の方から提案をした。
「他の選手のことは知らないの? 過去の記録とか」
「見たことなぁい」
「なぁんでそれで、行きたいって言ったの」
ヒナコは思わず笑ってしまう。その答えは知っていても、口に出さずにはいられない。それだけ当たり前のことに感じていた。
ヒナコにつられてツクヨも楽しそうな声を出す。ヒナコの苦笑を目の前に、ツクヨの笑みは照れが表にあった。
「褒めてないし笑うところじゃないよー」
「ヒナコちゃんだって笑ってるじゃーん」
「えへへ。ごめんごめん。それじゃあ、お詫びに暗殺競技の動画、明日見せてあげる」
「え! いいの?」
「うん。わたしも気になるし、良さそうなの探しておくよ」
「ありがとー! ヒナコちゃんだーいすきぃ!」
二人はその後、他愛もない話を続け、ツクヨの宿題を片付けていった。