S1-par.1 『将来の夢は暗殺者』
空青く、雲白く、注ぐ陽は星のように音を立てる。清らかな快晴。夜行性でもなければすがすがしい朝だろう。
「後ぉ……五十分」
誰も何も言っていないが、少女は携帯のアラームに返事をする。通話でもするように耳に当てそのまま伏せてしまう。
「ツクヨ、遅刻するよ」
完全に二度寝を始めてしまう前に名前を呼ぶ女性の声が聞こえる。
「後十五分」
「それは厳しいんじゃない」
「じゃあ五分」
「もうすぐ五分よ」
「――むぁ! もうほっといてぇ……よ?」
母親にして強制的ではなく、いつもより粘る相手に違和感を覚えた。加えて、寝起きで考えさせられたことにイラつき跳ね起きる。しかしそこにいたのは、むしろ構って欲しい人だった。
「頼まれた手前放っておくのはちょっとねぇ」
「お姉ちゃん!」
少女は眠気を忘れ、目には輝きを得る。感情のままに目の前にいる姉へと飛び込だ。
「おかえりー! いつ帰って来たの?」
「今朝よ。おはようツクヨ」
「あのねあのね! お姉ちゃん、私――」
「ツクヨ」
姉の少し強めた語気に少女は言葉をつまらせる。怒らせてしまっただろうか。久しぶりに会った姉に高揚していた彼女の気持ちは、憂いへと移り変わる。そして、視線は奥へと移っていく。
「ツークーヨー?」
「お、お母さん」
「早く支度しなさーい!」
姉の苦笑、母の怒声を浴びて、少女は登校の準備を急いだ。
「もう中三なんだからしっかりしてよねぇ」
「お母さんそれ前にも聞いたー」
「だったらなおさらでしょ!」
普段通りのひと悶着、毎日の朝、見慣れた光景の一員になる少女。ただ一つ、しばらくぶりの景色が頭を離れない。
「お姉ちゃん、また行っちゃうよね。高校はいつまで休みなの?」
妹の悔やむ声に、姉は笑顔で答えた。
「一週間はいいよ。うちには五日ぐらいかな。帰ってから、いっぱい話そ」
少女は姉以上に、幼子にも負けない満面の笑みを見せる。出掛ける前から帰りを楽しみにして、少女は声色を弾ませた。
「行ってきまぁす!」
少女の名前は音無月夜。姉を慕っている中学三年生。憧れの人は優しい姉――。
「マシロ、それ学校の?」
「うん。今覚えてるのが、『暗殺競技のルール』ってとこ」
――暗殺者だ。
季節を残していた葉桜も一色に染まるころ、生徒もまばらな教室にみずみずしい声が広がる。
「おはよー!」
「おはようツクヨちゃん。今日は早い――走って来たの?」
息を乱すツクヨに女生徒は問いかける。ツクヨは直接彼女の席に向かうと机に両手をつき、隠しきれない――そんな気など毛頭ない――笑みをあふれさせた。
「ヒナコちゃん! お姉ちゃん帰ってきた!」
「え、マシロねえ今ツクヨちゃんちにいるの?」
「うん。今日の朝! 今週はいるって」
「いいね。私も遊びに行くよ」
「もちろんだよ! お姉ちゃんも喜ぶよぉ」
久しぶりに親しい人に会う喜びを分かち合う二人。先のことに思いを馳せ、話題はその人のことばかりになる。
「マシロねえが引っ越したのって中学卒業してからだよね。だからぁ……二か月? まだそんなに――」
「もうそんなにだよ!」
ほぼ頭突きの勢いで顔を寄せるツクヨ。必死さに目も顔も丸くした彼女の顔を間近に、ヒナコは謝罪より笑いが先に出る。
「ふふ、あはは。ごめんごめん。ツクヨちゃんは本当、マシロねえのこと好きだよね」
ツクヨはその言葉にうなずき返す。ムキになった思いはとうに消え、無垢な呆け面を見せた。
「うん! 大好き」
ツクヨのお花畑がヒナコにも広がっていく。そんなとき、ツクヨを呼ぶ声が聞こえた。
「なんだ音無、今日は早いじゃないか」
「んあ? あ、先生! おはよー」
「おはようございます」
「はいお早ぅ」
ツクヨとヒナコは担任の先生とあいさつを交わす。少々あった時間も、楽し気に話していればすぐに過ぎて行くもの。
ツクヨはカバンを背負ったままであったことを思い出し、ひとまず自分の席へ意識と体を向けた。まだ朝の会が始まる時間ではない。中身は後のことにして、カバンを机の横にかける。
ツクヨは時刻を確認して、もう一度ヒナコの元へ戻ろうとした。すると先ほどと同じ声が、彼女たち二人を呼び掛ける。
「音無、木洩。これ配っといてくれ」
「あ、はい。分かりました」
了承するヒナコにツクヨが寄ってくる。その途中、ヒナコに渡されたものを確認する前に、ツクヨは先生に質問をした。
「先生これ何?」
「"進路希望調査"の用紙だよ。朝の会で渡す書類、今日は多いから今から回し始めてな。手伝ってくれ」
「私決まってるから今書いて――」
「まず配ってくれ。で、提出は一週間後だぞ。ちゃんと親御さんと話し合いをしてからな」
「ぶぅーい」
ツクヨはヒナコから紙の束の半分を持ち上げた。ヒナコは立ち上がり、二人並んで歩き始める。配って回る途中、ヒナコはツクヨに話しかけた。
「ツクヨちゃんはもう決まってたのね。知ってたけど」
「えぇ? じゃあ当ててみてよ」
「マシロねえと一緒、でしょ?」
ツクヨは息を漏らす。楽し気に、自慢気に。
「大正解! そう、模忍高校!」
最後の一枚を残して用紙を配り終えたツクヨは、自分の席に戻りその名前だけを書き込んだ。