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8 空手マスター

 今回は、ジョンと空手の師匠との交流の話です。

 時系列的には本編88話と89話の間、ジョンが一人で寄った場所での出来事で、本編から外したエピソードです。

 ことごとくアクションシーンは避けています(笑)

 よろしければ、お付き合いください。



 ジョンは懐かしい建物の前に立った。

 自分が昔、母親と住んでいたぼろぼろのアパートメントを見上げる。

 少し修繕されたようで、以前よりはましだったが、クリーム色から黄土色に変色し、一部剥げ落ちた壁は変わらない。

 ほとんどの記憶がここからだった。

 あるクリスマスの夜、この家にサンタクロースが来てから、自分のすべてが変わった。

 心も身体も疲れ果て、限界だった母と自分に訪れた奇跡。


 奇跡が起こる前、自分を支えてくれたのは空手と空手の師匠だった。


 ジョンはかつて自分が通った空手道場に向かっていた。

 ハーバーシティに移ってからは、年に一度くらいしか訪ねていない。

 

 日本人のマスター・ミヤジ。

 自分を一から鍛え上げてくれた。


 ジョンはミヤジの道場が見えると、ゆっくり車を進めた。

 吹けば飛びそうなガレージのようなその道場は、ミヤジの家屋の隣にあった。

 

 その道場の前で、4人の男たちがひとりを取り囲んでいる光景がジョンの目に入った。


「ジジイが偉そうに、何ほざいてんだ!!」

「黙ってすっこんでりゃいいんだよ」


 よく見ると4人の方は、まだ若い高校生くらいのようだ。

 青年たちが、少し背の低いがっちりした肩幅を持つ白髪交じりの年配者を見下ろしている。


(マスターミヤジ!)


 ミヤジは見慣れた白い道着姿で、姿勢よく胸をはり、その場に雄々しく立っていた。


「公道にごみを捨てるなんざあ、おまえたちもごみ同然だな。若造ども」


 ミヤジは、青年たちを見回すと、はっきりとした口調で怯むことなく言う。


「な、なんだと!? ジジイは、痛い目に遭いてぇみたいだな!」

「おまえたちのほうが、余程痛い目に遭うと宣言しよう。わしはそこの空手道場の師範だからな。堂々と空手道場の目の前の道にごみを捨てるとは、たいした度胸だ」


 ミヤジの威圧感に、青年たちが一歩下がる。


「は? このおんぼろのガレージが道場だって? 聞いたか? あはははは」

「何がカラテだ!! ナイフにゃ敵わねーだろ。謝るなら見逃してやるぜ」


 青年の中のひとりがポケットから折り畳みナイフを取り出し、ちらつかせる。


「おまえたちはただのごみじゃなく、卑怯なごみクズなんだな。それなら掃除してくれる!!」


 ミヤジはナイフを見ても、まったく怯えない。


「この、ジジイ!」


 青年がナイフをミヤジに向ける。


 ジョンは車から素早く降りると、臨戦態勢を整え始めた。

 青年たちに音を立てずに接近する。


「わしらが勝ったら、おまえたち、わしの道場に来て空手を習え!! わしは引退しているから、特別無料で教えてやる!」

「は? わし……ら?」


 複数形に変わったことに気が付いた青年たちが、わけもなく振り返る。


 いつの間にか背後に立っていた険しい顔つきのジョンに、青年たちはたじろいだ。


 両腕は下げているにも関わらず隙が無い。

 鋭い眼光はすでに戦う意志を見せている。

 

「そやつはわしの弟子だ。4対2だぞ。しかもおまえたちはナイフを持っている。どうだ、やるか? それともやらんか。負けるのが怖くて勝負できんか?」

「なんだと、この野郎!」

「やってやる!」

「負けたらごみ拾いでも、道場にでも通ってやるさ!」


「お~、どうだジョン。一気に4人も空手人口が増えるぞ」

「それは良いですね」

「腕が鈍っちゃいないだろうな、ジョンよ」

「すみません。最近は最低限しか身体を動かしてません」

「おまえはやり過ぎるから最低限でちょうど良いくらいだ」


 のんびりした口調で話す師と弟子。


「ごちゃごちゃうるせー。実戦は違うってこと、わからせてやる!!」


 ナイフを持った青年が、ジョンに切りつけてきた所で戦いは始まった。

 ジョンが青年のナイフを素早くかわし、それを叩き落す。


「おまえたちがその身をもって知るであろう」


 ミヤジの落ち着いた低い声が響いた。





 青年4人は黒帯ふたりの敵ではなかった。

 ものの数分で決着はついた。

 4人は敵わないとわかって、逃げて行く。


「本当のクズには成り下がるなよ! 未来ある若者たちよ!」


 ミヤジが、その後ろ姿に朗らかに声をかけていた。


「ほう、どの若者かはわからんかったが、ごみを拾っていった者がいたらしい」

「それは良かったです」


 師と弟子は穏やかに微笑み合う。


「ジョン! おまえ、やられたのか!?」


 ジョンのジャケットの左の袖口が切れて破けていた。


「少し油断しました。でも手は大丈夫です。服だけです」

「サンディに繕ってもらおう。せっかく訪ねて来てくれたのに、巻き込んでしまって悪かったな」

「いいえ、しばらくの実戦でいかに鈍っていたかがわかりました。これでは守りたい人も守れません。鍛えなおします」


 ジョンは拳を握りしめる。


「おい、ほどほどにしておけよ」

「もちろんです。仕事がありますから、根を詰めたりはしません」

「ほう。だと良いがな」



「おーい! サンディ! ジョンが来たぞ!」


 住宅の方の玄関から入ると、ミヤジが声を張り上げる。

 すぐに広がるリビングの奥からミヤジより一回り大きい女性が飛び出て来て、腕を広げてジョンに抱きついてくる。


「ジョン!? お久しぶりね!! また大きくなって。まあまあ、なんだか益々色男になったわね」


 サンディは、ジョンの背中の何かを確かめるように、ペタペタと触った。


「筋肉は落ちてないようね……」

「おい……サンディ、弟子から離れろ」


 ミヤジが額に手を持っていく。


「ジョン、すまん……」

「大丈夫です……」


 ジョンは棒立ちだった。


「改めてマスターミヤジ、サンディさん、ご無沙汰しておりました。お変わりありませんでしたか?」


 サンディから離されたジョンは、腰を曲げ、綺麗なお辞儀をする。


「わしたちは、変わりない。おまえはどうだ? 少し元気が無いようだが」

「大丈夫です」

「心に悩みがあるのか?」

「……いえ」


「サンディ、お茶の用意と、ジョンのジャケットの切れた袖口を縫ってきてくれ」

「わかったわ。ジョン、ジャケットは預かるわね」

「すみません。お願いします」


 サンディはうきうきした様子でジョンのジャケットを受け取ると、リビングから出て行った。


「サンディは相変わらずだ。若い男を見ると、筋肉を確かめたがるくせは抜けん。さて、ジョンよ。悩みはありそうだが、顔つきが随分と優しくなったな。良いこともあったんじゃないか?」


 ミヤジは黒い革張りのソファにどっかりと座った。


 ジョンは自分が情けない顔をしているのがわかった。


(マスターの前では取り繕ってもわかられてしまう)



◆◆◆◆◆◆



『なんだ? ジョン、そんな顔をして。またクラスの奴に何か言われたのか? おまえはもう十分強い。自信を持て』

『はい』

『小者は相手にするな。口先だけの奴はどうってことない。みんなも神様だって、ちゃんと見てる。地味でも正しいことを真面目にやっているおまえは立派な子だと思う。逆に少しくらい気を抜け、羽目をはずせ、ずるく生きろ、そうしないと窒息するぞ。神様だって息抜きはするさ』

『は、はい……』

『ちょっと悪いことでもしようじゃないか。来い!』

『マスター?』


 ソファに座らされ、目の前の机に紙と鉛筆を置かれた。


『おまえが嫌な事や、やってみたい悪いことをこの紙に思いつくだけ書いてみろ』

『え?』

『正直に書いていいんだぞ。クラスの奴を殴りたいとか、夜中にお菓子を腹いっぱい食べたいとか。俺に見せなくて良い。勉強したくない、学校に行きたくない。誰が憎いとか先生が嫌いとかでも良い。さあ、書きたいだけ書け』

 

 自分が意外とたくさん書けたのには驚いた。


 そうだ、差別的なことを言うあいつを黙らせたかった。

 ひいきをする先生にも馬鹿野郎と言いたかった。

 頻繁に自分の鉛筆や消しゴムを隠して知らないふりをする、隣の席の嘘つきをとっちめてやりたかった。

 煙草の臭いを身体全体に染みつけて、夜遅くにやつれた顔をして帰ってくる母親を見るのが悲しかった!

 母親と自分を捨て、ひとりで祖国に帰った父親が許せなかった!!


 気が付けば、泣きながら鉛筆を走らせていた。


『これだけ色々我慢して生きているのか? おまえも大変な子だな』


 パシッと背中を叩かれた。

 そして大きな手で頭を撫でられた。


 自分の鬱憤を書きなぐった紙をクシャりと丸くすると、マスターは目の前の灰皿の中で火をつけて燃やした。


『これは浄化しよう』


 自分の吐き出したものは、燃えてただの塵になった。

 なぜか少しすっきりしたのを覚えている。


『さ、組手をするか。体を動かすのは良い。マイナスの気が抜けていくしな』

『はい!』


◆◆◆◆◆◆



(マスターにも救われた)



「しばらく来ないから、充実した生活を送っていると思っていたが。女か?」


 ミヤジがテーブルの上にあったパイプに、煙草の葉を詰めると火をつけた。

 少し甘い香りのする煙が漂い始めた。


「!」

「図星か。そんな甘くて苦い顔をしている」

「……」


 ジョンは言葉が出なかった。


「間合いだよ、ジョン。空手でも何度も教えて来ただろう。なんでもそうだが、相手との距離を制したものが勝つのだ。ただ、実のところ女にそれが当てはまるかはわしにもわからんがな。なにせ感情の生き物だからな。女というやつは、何を考えているかさっぱりわからん」

 

「マスターから、そんなお言葉が……」

「わしだって、若い頃は空手が強くて筋肉だって引き締まっていただろう? モテてモテてしかたがなかったんだぞ。サンディには、嫁にしてくれと押しかけられてだな……」

「マサーオ!!!」

「は、はい~!」


 ミヤジの背筋がピンと伸びた。


「ウソイワナ~イ!」


 お茶を運んできたサンディが、突然日本の言葉を使った。

 ジョンは意味はわからなかったが、ミヤジの気まずそうな表情からすると、おそらく訂正されたのだろうと察しが付く。

 自然と口角があがった。


「おい、サンディ! ジョンが笑ってるぞ!!」

「まあ!?」


 ミヤジとサンディに大袈裟に顔を覗き込まれる。


「……」


 今度はジョンの方が気まずくなり、首をすくめた。


「おまえが惚れた女性に会いたいものだな」

「私もお会いしたいわ~!!」

「来年は絶対連れてこいよ!」

「え!? ……はい。彼女が来年も僕のそばにいてくれたなら……」


「自信を持て、ジョン。おまえは黒帯だぞ。お茶を飲んだら手合わせといこう」

「はい!」

「どれだけなまっているか確認するからな。全力でかかってこい」

「わかりました」

「いや、やはり70%で頼む。わしも年だからな」

「……了解しました」

 

 自分は心優しい周りの人たちのおかげで、道を踏み外さずに済んだ。

 そして、心から笑えるようになったのだ。



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