7 鬼に小悪魔
さて、小悪魔は誰だったか、覚えていらっしゃいますか?
本編終了後、数週間過ぎてからのスーザンのお話です。
いつの頃からだろう。
気が付くとあたしの目がカイルを探していた。
リジーに世話を焼くカイルを目で追っていた。
カイルの言動をいちいち観察していた。
本人はあまり自覚していないようだが、カイルの目はいつもリジーに向いている。
リジーへの想いは報われないと知っているくせに。
カイルがリジーに向ける目には、優しさが見える。
姉のマリサに向ける目は、少しひねた感じがする。
あたしに向ける目は、何か品定めをするかのような厳しさが含まれる。
その目にイラつくようになった。
そんなカイルが、いつの頃からか気になる存在になってしまった。
今までずっと冷めた人だと思っていたのに、リジーにだけ見せるさりげない気遣い。
最初はそれを見て呆れていたのに、それがとても羨ましく感じるようになった。
なぜか胸が苦しくなってきた。
この苦しさは、この気持ちは、経験がある。
それを隠して普通に仕事をしていた。
誰にもこの気持ちは気付かれていないと思っていた。
でも、一番気付かれてはいけない人に気付かれていた。
◆◆◆◆◆◆
スーザンの部屋に来た眼鏡の男が、ジャケットを脱ぎもしないで話し出した。
『スーザン、僕たちの関係を終わりにしないか?』
『え!? どういうこと?』
『言葉通りだよ。きみ、最近ずっとうわの空もいいとこで、僕をまるで見てないじゃないか』
目の前にいるボーイフレンドの言葉に、スーザンは返事に詰まる。
眼鏡の奥からの射るような視線は、スーザンの心の中まで突き刺さる。
『そんな……』
『そもそも本当に僕のこと好きになってくれてた? 僕といると落ち着くと言ってくれて嬉しかった。僕は友達からきみを紹介された時、明るくて溌剌としてる女の子で嬉しかったのに』
『わ、私だって……』
『でも、いつからか一緒にいるのにきみの心が僕じゃない所にあるのがわかったよ。嫌だった。僕が気が付かないとでも思った? きみは僕を最後の砦みたいに思ってない?』
そんな事を言う目の前の交際相手がスーザンにはやけに遠く感じた。
『そんなこと思ってないよ。ザック!』
彼、ザックは真面目で、頭も良くて、自分にはもったいないくらい良い人だとずっと思っていた。
それなのに、どうしてこうなるのだろう。
『この前、職場の子に告白されたんだ。ずっと好きだったって。その子はずっと僕だけを見てくれていた。その気持ちに応えたい』
『!?』
『だから、悪いが別れてくれ』
スーザンは背を向けられた交際相手にすがりつくこともなく、その後ろ姿を茫然とただ見送った。
フラれたショックで、身体が脳が、何も動かなかった。
自分はフラれたのだ。
カイルのせい……!!!
リジーに未練がましい態度をとるカイルが気になったせいで!
◆◆◆◆◆◆
スーザンは、休憩室のドアの鍵を内側からかけた。
目の前には、その行動に驚いた顔をしているカイルがいた。
どうして閉じ込められたのか、当たり前だが全くわかっていないという鈍そうな顔をしている。
「リジーなら、ここには来ないわよ!」
スーザンは平然とした態度で言い放った。
「は?」
「あの子なら、恋人が迎えに来て、宝物のように大切に扱われながら帰ったから」
「そうか……」
カイルがため息を吐きながら、俯いた。
安堵のため息なのかはわからない。
「バカみたい」
スーザンはまたイラついた。
「あの保護者は恐ろしく過保護だからな」
「カイルのことを言ってるんだよ」
「!?」
カイルから鋭く冷たい視線を向けられ、スーザンの胸に痛みが走った。
「朝から具合悪そうにしていたリジーの様子を見るためにここにいたんでしょ! だからバカみたいって言ったの」
「なんだと!?」
カイルの目つきが一段と怖く感じたが、スーザンは言葉を続けた。
「カイルって意外と往生際の悪い、諦めの悪い、ねちっこいタイプなんだね」
「な、なんだと!? ここにいたことと、あいつは関係ない!」
「嘘!!」
「やけにつっかかるな」
「あたしがザックにフラれたのはカイルのせい……」
言い掛かりなのはわかっているが、スーザンはもう気持ちを止められなかった。
「はあ? 俺のせい……って」
「30近いくせにあんたが報われない恋に悪あがきするから、気になってしょうがなくなったのっ!!」
「え……?」
カイルが得も言われぬ、ポカンと口を開けて見たことのない表情をする。
「バカなカイルの事が、頭から離れなくなっちゃったの。可哀想な奴って、同情してただけだったのに!」
「……」
「なによ、その間抜けヅラ。あたしも相当なアホだけどね。鬼にほだされるなんて、どうかしてると思う」
どうにか言葉を繋げて吐き出す。
「こ、小悪魔め。男にフラれて錯乱したのか?」
カイルの容赦ない冷たい言葉に、スーザンは耐えられなくなった。
涙も想いも決壊した。
「なによ! ……鬼! バカ!! 人でなし!!! クズ! うわ~ん!!」
スーザンは泣きながらカイルに突進して抱きついた。
「わ!? 離れろっ! 馬鹿っ!!」
カイルが両手を挙げて慌てている。
「慰めてくれるまで、離れないから~!」
「おい! 止めろ! 誰か来る!!」
「責任取って!!」
「なんの責任だよ~。おい~」
明らかに困りはてた声に聞こえる。
スーザンにはそれが悔しくて、悲しかった。
「あたしがカイルの好みじゃないのはわかってるけど、あたし、カイルが好きになったみたい」
「……へ!? 悪いが女の涙を俺は信用しない」
カイルらしい返答に、スーザンはなぜか闘志が湧いてきた。
「涙を流す女にこっぴどくフラれたの? それとも騙された?」
「!」
カイルがぐっと息を呑んだのがわかった。
「カイルならあり得そう。意外と純情だもんね。だからって、もう女はこりごりとか? リジーは明らかに騙すようなタイプじゃないもんね。でもカイルの好意にかけらも気付かない相当な鈍感タイプだよ」
「おまえ、次から次へといったいどうしたっていうんだ?」
「あなたが好きになったって、言ってるのに!!」
「落ち着け。おまえ、フラれたんだな?」
「そうだよ、カイルのせいで。どうしてくれるのよお?」
「……それって、俺のせいじゃないだろう? おまえが自分勝手に気ままな付き合いをしてたからじゃないのか?」
「……」
「前に言ってたな、あまり尽くされると引くだの、気楽に遊びたいだの、それから……」
「よく、覚えてるよね。やっぱりねちっこい」
「な、そんなこと言う小悪魔は誰だって勘弁してくれって思う」
「……だって……」
「本気で好きな相手からなら、尽くされたら嬉しいし、束縛されたってちょっとは嬉しいって思わないか?」
「カイルがそんなこと言うなんて意外」
「ぐ……。コケにしやがって」
カイルがスーザンから距離をとろうともがくが、スーザンはカイルに回した腕を緩めなかった。
「俺はねちっこいんだろ、だから俺は束縛するタイプだぞ」
「カイルの束縛なら嬉しい気がする」
「気がするって、おまえなあ。本当に本気なのか? 俺は面倒くさい男かもしれないぞ。覚悟はできてるのか」
「あたし、本気だよ。なんなら、ここであたしの本気を見せてもいいよ」
「いらん、嫌な予感がするからな」
「え~? そこは見せてみろじゃないの?」
「今、ここでは必要ない!!」
「あたし、リジーよりは抱き心地は良いと思うよ」
スーザンは腕に力を込める。
「ば、馬鹿! 職場でそんなことを言……!」
「冗談だよ」
「くそ、覚えてろ」
「うん」
「余裕かましてられるのも、今のうちだってことをあとで思いしらせてやる!」
「楽しみにしてる」
「何なんだ、この流れは……」
スーザンは、さらにたたみかける。
「ひとつ言いたいことが……煙草は控えてね。あたし、匂い苦手だし、苦い味のキスは嫌」
スーザンはカイルが絶句したのがわかった。
カイルは長く万歳状態だった腕を下げ、スーザンの両肩を軽く掴んだ。
「近いうち俺はアナハイム支店に異動する予定だ」
「え? カイル、異動って、聞いてないよ。ここからいなくなるの?」
「ああ、シルビアから言われた。あっちの方を手伝ってやってくれって。丁度いいじゃないか。俺はここにいたらまたあいつが何かやらかすたびにあいつを気に掛けることになる。おまえは嫌じゃないのか?」
「それはそうだけど。……それじゃあ本気であたしとのこと、考えてくれるの?」
「……努力はする。21の小娘にさんざんコケにされて黙っていられるかよ。おまえの本気とやらにつきあってやる」
「じゃあ、これからはプライベートで会ってくれる?」
「ああ」
「良かった。嬉しいよ!」
スーザンは心からほっとして、ようやく気を抜いた。
「おまえもそんな顔するんだな」
「え?」
「おまえの顔はいつも挑戦的だったからさ」
「だって、負けたくなかったんだもの」
「何にだよ」
「自分にも、仕事にも、男にも」
「そうか……」
「あたしは、強い女なんだから」
「じゃあ、なんで涙ぐんでる?」
「! ごみだよ、ごみ。目に入ったん……」
スーザンの頬にカイルが手を寄せ、涙を指で拭った。
「俺の前では弱い女でいてもいい。挑戦的なおまえも悪くないがな」
「カイル……。じゃあ、手始めに今晩どう?」
「え?」
「あたしの部屋でも、カイルの部屋でも良いけど?」
「は?」
「は? って何よ。鈍いんだから」
「こ、小悪魔が! また女の涙に騙されるところだった」
言葉はきついが、カイルの目が鬼のように冷たくは感じなかった。
スーザンは、カイルから初めて優しい目を向けられているのがわかった。
「別れた男をもっと忘れられたらな」
「カイルが忘れさせて。あたしはカイルの心から、リジーを追い出す自信あるよ!?」
「焦るなよ」
「残念、誘いに乗ってくれなかったか……」
「あたりまえだ、馬鹿。お互いもう少し時間を置いた方が良い」
「そうだね」
眉を下げ視線を落とすスーザンを、カイルが緩く抱き締めた。
「!」
「時間を置くとは言ったが、寂しくなったら必ず俺を呼べ。他の男にすがるなよ」
「他の男になんてすがらない」
「おまえ、背伸びしすぎなんだよ。成人したばかりの小娘のくせに」
「カイル……」
スーザンはまた泣きそうになるのを堪えた。
頬に当たるカーキ色のシャツには、煙草の匂いが染みついていたが、少しは我慢しようかと思うスーザンだった。
本編54話で、小悪魔と言っています(笑)
読んでくださってありがとうございました。
姉に続き、弟も幸せになったかなと思います。
相手が小悪魔なので、もしかして苦労するかもしれません。