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4 ピクルスとスイカマシュマロ②

第3~6話【ピクルスとスイカマシュマロ】は、銘尾 友朗様が主催されている 「冬のドラマティック」企画の参加作品です。


 マリサは、それ以来レディックと出会ったマーケットへは行かないようにしていた。


(それなのに……)


 たった2回、それも少し会話をしただけなのに、マリサの心からレディックが消え去ることはなく、日増しにその存在が大きくなりつつあった。


(困った、重症だわ。悪魔(レディック)1号のおかしなウィルスが脳内に増殖している。彼の期限の2ヶ月がいつまでなのかはわからないけど、それまでは彼に会わないように祈るしかないわ。仕事に集中よ、集中!)


 それでも仕事中、客のいない時に気を抜くと、つい思考がレディックに行ってしまうことがあった。


「マリサ! おい!!」

「あ、カイル……。何?」

「大丈夫か、おまえ。この頃やけにぼーっとして。納品済んだぞ。これ、受領書だ」

「ああ、お疲れ様。ごめん、なんでもないから気にしないで」

「二股のやつか?」


 カイルはたまに姉の自分を気にかけてくる。

 弟と同じ職場というのも善し悪しだ。


「ち、違うわよ! あんな奴。とっくに別れたわよ。もう好きでもなんでもないし、会ってもいない。会いたくもない!」


 マリサの剣幕にカイルは一歩引きながらも、


「じゃあ、別の男か?」


 確信をついてくる。


「ちょっと、カイル。まるで私が男を取っ替え引っ替えしているような言い方しないでよ!」

「違うのか?」

「違うわよ!」

「おまえ、気が強いくせに、用心深いわりには結局惚れやすいし騙されやすいからな」

「な……」


(胸に痛い)


 レディックは今までの男とは違う。何が違うのだろう。

 今までは、自分のほうが相手に対して興味を持って積極的だったし、恋人になれば愛情も相手以上に注いでいた気がする。

 逆にレディックには最初からかなり素っ気無い態度を取っている。

 それにもかかわらず、彼は明らかに自分への興味を示してくれていた。


『またあなたに会えるといいな』

 

 その可能性を自分から遠ざけている。

 住む環境(せかい)の違う男には、本気になりたくないから。



「ただいま戻りました~!」

「リジー、お使いごくろうさま!」


 出かけていたリジーが出先から帰ってきたようだ。スーザンの声もする。


「カルロスさんが、スーザンによろしくって言ってたよ」

「はいはい。なに? またカルロスにお菓子貰ってきたの?」

「違うよ~。これは今帰ってきたら店の周りをうろうろしてる人がいたから、声をかけたら押し付けられたの。おいしいからお嬢ちゃんにあげるって」

「リジーのことお嬢ちゃん? や、やだ、危ない人じゃないの? 変な物もらっちゃだめなことくらい、子供でもわかるでしょうに!?」

「だって~、突然だったから。断る間もなくその人走って逃げちゃったんだよ」

「ますます怪しい!」


「すぐに捨てろ!!」


 カイルの怒った声が響く。

 そうだ、リジーは警戒心がなさ過ぎる。

 相変わらずジョンに心配をかけているのだろうか。


「何それ? スイカマシュマロ!? うわ~!!」


(!!?)


 3人のやりとりを頭の端で聞いていたマリサの心臓がドクッと跳ねた。


(スイカマシュマロ……!?)


 マリサは胸の奥が苦しくなってきた。

 もっと若ければすぐにでも外に駆け出して行ったに違いない。

 マリサは意思の強い大人の女だ。


(レディック……まさか、あなたなの? どうしてここが……。もしかしてサムに聞いた? サムはジョンから聞きだした? ジョンも口が軽くなったわね。サムは何をしたいのよ。私を試そうとしているの? 天使みたいに綺麗な顔してなんて悪魔な男)


「マリサさん、顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」


 リジーが近寄ってくる。


(なんでもない。平気……よ)


「このマシュマロをくれた人は、少し寂しそうですごく優しい感じの人でしたから、心配しなくても、変なことにはならないと思います」

「悪魔こそ優しい振りをするのよ。リジー、ふたりの言う通り、早く捨てたほうがいいわね」


 マリサはなんとか店長らしい言葉をひねり出した。


「その人は、何か言っていた?」

「いいえ。何も。店の中を覗いていたので、見るだけでも中へどうぞって言ったら、これを押し付けて走って逃げてしまいました。お嬢ちゃんって、私、そんなに子供っぽく見えますか?」


 リジーが見当違いなところで眉を寄せている。


(レディックは私でさえ5歳も年下だと思ったくらい観察眼のない人だから、彼にしたらリジーは確かにお嬢ちゃんかも)


「マシュマロを見せて。悪意が無いか確かめるわ」

「はい」


 リジーが素直に応じて、マリサに袋を渡す。

 マシュマロの袋を改めて見てみると、確かにレディックから貰った物と同じだった。


(間違いない……かも)


「悪意は無さそうね」




 <フォレスト>の閉店後、いつも最後に帰るマリサは、店の裏口の鍵を閉めると駐車場へ向かった。

 乾燥した冬の冷たい風が吹いている。

 自分の心の中にも。マリサの足取りは重かった。



「マリサ!!」


 暗い中から突然現れた人物に、マリサは心臓が口から飛び出るほどに驚いた。


「!」

「ごめん、驚かせて。待ち伏せしてごめん」


 レディックが頭に手をやりながら、すまなそうにしている。


「レディック、どうしてあなたがここにいるの?」


(もしかしてとは思ったけど、まさかあれからずっと忠犬みたいに何時間も待っていたわけではないわよね)


「サムがここを教えてくれた。マリサに会いたかったから、待ってたんだ」


(……あのお節介悪魔2号)


「マーケットでも全然会えないし、マーケットでずっと待つわけにもいかないしね」

「だからって職場で待ち伏せも感心しないわね」

「ごめん。なら、別の日でも良いから会いたい」


(男のくせにすがるような目をしないでよ)


 レディックから会いたいと言われるたび、その甘い響きが脳を刺激する。

 マリサの心は揺れ動いていた。

 マリサに何度も会いたいと言ってくれた男は、今までいなかった。


「あなた、車で来たの?」

「うん。地図を見ながらね」


「じゃあ、……夜のドライブにでも連れて行ってくれる?」

「いいの? やった!!」


 レディックの拳を握り締めるという素直な喜びようが微笑ましかった。


(ここまで来てくれたのに、追い返すのも悪いわよね)


 マリサは悪魔1号の誘いに負けた。


「あ~っと、マリサ。悪いんだけどぼく、この街に来たばかりで、道がわからないんだ。ドライブでどこへ行ったらよいのかもわからないというか……あなたの行きたいところへ行くから、案内をお願いできるかな?」


 レディックが申し訳なさそうな、情けない顔をしてくる。


「わかったわ。じゃあマリーナにでも行ってみましょうか。プライベートヨットがたくさん浮かんでいて、面白いわよ。夜はヨットの明かりが綺麗だし」

「OK!」


 レディックの弾んだ声を聞き、マリサは自然に微笑んでいた。

 こんなに浮かれた気分なのは、何年ぶりだろう。



 レディックは、ハンドルをやけにぎっちり握って運転している。


「なんだか緊張する。あなたとドライブできるなんて夢みたいだ」

「お願いだから、そんなに緊張しないで。次の交差点を左ね」

「わかった」


(いちいち素直なんだから。こっちが照れるじゃない)




 港の潮風は、街よりもなぜか少し暖かく感じた。

 広大なマリーナでは港の灯りの中、大型のヨットやクルーザーが所狭しと並び、ゆらゆらと静かに揺れている。

 


「うわ、すごいね。ヨットやクルーザーの数、想像以上だ。みんな個人の所有なの?」

「そうね。富裕層のね」


 レディックのどこか拙い運転でマリーナに無事に到着したふたりは、ベイサイドの飲食店に入ることにした。

 外の見える窓辺のカウンター席に通され、並んで座る。

 マリサは軽めのカクテルを頼み、レディックはジンジャーエールにしていた。

 こうして、ふたりでまた一緒にいるのが不思議と自然で、ここの所すさんでいた心が穏やかになってくる。


「ごめんね、ドライブって感じじゃなくて。ぼく、運転必死だったし」

「いいわよ。私も、道を間違えたし。昼間と夜では周りの景色が違って見えて」

「夜はここに来たことなかったんだ?」

「ええ」


 肯定の言葉に、レディックの瞳が嬉しそうに揺れた気がした。


「その、マリサは今付き合っている男とか好きな男はいるの?」


 視線を彷徨わせながら、レディックが聞いてくる。


(もう直球? そういえば、あなただって……)


「正直言うと、少し前まではいたわ。でも今はいない。好きな男もいたけど、結局振り向いてもらえなかった。もう吹っ切れたと思う。それより、あなたは先日の紹介された女性とはどうなったのよ?」


 マリサの鋭い口調に、レディックは一瞬息を詰まらせてからゆっくりため息を吐いた。


「あ……。苦手なタイプだったよ。実はぼくはお酒が苦手なんだ。あまり飲めない。なのに、バーに行こうって誘われて、連れて行かれて、ちゃんと話をしたかったのにすぐに酔ったとか言って寄りかかられて……。困るだけだったよ。無理矢理タクシーに乗せて別れた」


 レディックの話に、なぜかホッとしていることに気がつく。


「次の日ボスに腰抜けって叱られたよ。でもぼくは、せっかくの紹介だから真面目にいろんな話をしたかったんだ。一夜の相手を探してるんじゃない。ボスときたら試したとか言うし、次は良い子を紹介するとか言われたけど、きっぱり断ったから」


 息巻くレディックは、とても30男には見えなかった。

 笑みが零れてしまう。


「ふふふ、スイカマシュマロを持っていったほうが良かったかもね。そうしたら、相手も違った考えを持ったんじゃない?」

「……マリサ、笑うと可愛い。若く見える」


 ひどく真面目で優しい光を放つ瞳を向けられ、マリサは顔が火照るのを感じた。


(若く……って。悪気がないのがわかるから怒らないけど、この微妙な褒め方では気分を害する女もいるかもね)


「ぼくは一生のパートナーを探しているんだ」


 熱く見つめられているのがわかる。


(そ、そんな目を向けられても。私は……あなたとは……。それなのに……)


 ここにきて、後悔の念が生まれた。自分は不誠実だ。


「ごめん、出会ったばかりなのに、こんな話」


 マリサの表情が曇ったのに気がついたのか、レディックが明らかにがっくりと肩を落とした。


 違う……。


「あなた、家はどこ? 田舎ってどこなの? 仕事は何をしてるの?」

「マリサ……。ぼくに興味を持ってくれたの? 嬉しいな。ぼくはサクラメントから車で1時間くらいの田舎町の小さな工房で木工品を手作りしてる。1点物の木製の器やカトラリーがメインなんだ。家具も少しやってる。じいちゃんがオーナーで父が責任者。ぼくは3代目。ぼくは不器用だから、いつも手は傷だらけだよ」

「そう……。あなたの手は、職人さんぽいと思ってたの。木工品を作っていたのね」

「うん。……よかったらこれ、あなたにあげる。ぼくが作ったスプーン。次に会えたら渡したいと思ってずっとポケットに入れてた。アクセサリーとかじゃなくて悪いけど」


 レディックの掌の上に小ぶりの木製のスプーンがあった。

 滑らかな曲線を持ち、流れるような木目の美しい、飴色のシンプルなものだった。


「美しいスプーンね。全然不器用なんかじゃない。あなたが作ったなんてすごいわ。これは、あなたの大切な女性にあげて……」

「ぼくの目の前にいるよ。出会ったばかりだけど、ぼくは最初からマリサのこと素敵だと思ってた。だから受け取って」


 レディックがテーブルに置いていたマリサの右手に自分のを重ね、優しく握って掌を上に向けた。

 温かみのあるスプーンがマリサの掌に置かれ、そのままレディックの大きな両手に包み込まれた。


「マリサの手は綺麗だね。しっとり艶々していて柔らかい。ずっとこうして触れていたいくらいだ。ぼくは手も心もいつもカサカサしてた。あなたと出会って、なんだかすごく潤った気がする」


 いつの間にか、マリサの手はレディックに頬擦りされている。

 怒る気にもならない。

 柔らかな手触りのものが好きなおかしな人。


「……レディック」


 マリサは客商売なのもあるが、手には気をつかっていた。

 乾燥した気候なので、保湿クリームは日々の手入れには欠かさない。

 顔と同じ美容液を手にも使っていた。

 こんなにも自分の手を褒めてくれた人は初めてだった。


 レディックは忘れ去った楽しい恋の夢を見させてくれる。

 だから惹かれるのだ。

 ただ好きという感情だけで良い、初恋のような甘くて軽くて膨らんで蕩ける夢。

 一時のふんわりした甘い感情だけで前に進んでは後で後悔する。

 溶けた先には、苦い現実が待っている。

 彼は一緒についてきてくれる奥さんを探している。

 自分はそれはできないのだ。

 現実に引き戻される。

 それでも……。それなのに。


 マリサの表情をじっと窺っていたレディックが、ふっと優しい笑みを見せた。


「いいんだ、マリサ。思い出にしてくれても。ぼくの一方的な想いで悪いけど、気持ちを伝えたかった」


 スプーンは幸せのアイテム。

 キッチンに飾れば温かい家庭を築くことができて、食べ物にも困らない暮らしができると言われているのだ。

 今のマリサには、アクセサリーよりも心のこもったこのスプーンの方が比べ物にならないくらい嬉しかった。


「マリサ?」

「スプーンをありがとう。レディック。嬉しいわ」

「良かった。受け取ってくれるんだね」

「ええ、でもお返しもしないと。タダというわけにはいかないわ」

「もう、あなたの大切な時間をもらってる」

「そんな……」


 最初に秤にかけたのは自分だ。

 秤などもう必要なかった。

 この人と比べるものなんて……。


「あなたの勤めているお店、良い店だね。あなたはあそこで一生懸命働いているんだね。そして築いたんだよね、今の生活を。わかるよ」

「……そうね」

「ぼくは……父が病気なんだ。帰らなくちゃならない」


 手を握ったまま、そう言ったレディックの顔は、強い意志が感じられる年相応の男のものだった。


 お互いに視線を絡ませるが、答えは出なかった。

 マリサの手の甲にレディックの温かい唇が寄せられた。

 それからスプーンをしっかり持たせるようにぎゅっと握ると、レディックの手は離れた。

 マリサの胸は張り裂けそうだった。


 その後、何を食べたか、レディックと何を話したかあまり覚えていなかった。

 


 帰りは、また<フォレスト>の駐車場までレディックに送られてきた。


「本当に、ここでいいの?」

「ええ、あとは自分の車で帰らないと。明日が大変だし。今日はごちそうさま。あなたと一緒に過ごせて楽しかったわ」

「マリサ、幸せをすくい取って。ぼくはもうあなたの大切な時間を浪費させないから……」

「!」


 レディックが切なそうな瞳を向けてくる。


「やっぱり、スプーンのお返しをもらっても?」

「今、あげられるもの?」


(あげられるものなんて、何も持っていない……)


「……いや、なんでもない。さよならマリサ……行って」


 視線を外したレディックに、軽く背中を押された。


「さよなら、レディック」


 涙ぐみそうになりながら、マリサは振り返ることなく駐車場にポツンと残っていた自分の車に向った。


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