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SAME SOUL  作者: 吹岡龍
第一章【善意と悪意】
6/9

〔一‐5〕 その道の名は

【前回までのあらすじ】

 両親をその手にかけ、自ら死罪を求める少年――レオン・マーウォル。

 彼のたった一つの願いに、騎士達は動揺を隠せなかった。

 トラディウス帝国軍大将はそんな彼から既視感にも似た感覚を抱くのだった。

 帝都西部で静かな衝撃が波紋を描きはじめた頃、セイルとラナンは皇帝と謁見すべくトラディウス城を目指していた。

 “北の大門”から南へ真っ直ぐのびる大通り。そこはかつて国家間での争いが絶えなかった時代に、軍が肩で風を切って凱旋していた道路である。車道の両端に歩道が作られている様子は他の都市でもよく見られる光景だが、その道幅の広さはそれらの倍以上。世界にも類を見ない。


「すんごい人の多さですね、先生……!」


 ラナンは驚きを口にした。

 飲食や服飾、金物などの専門店をはじめ、様々な露店が所狭しと(のき)を連ねている。広いはずの歩道は群衆で満たされ、足の踏み場もないかのようだ。田舎育ちの少女の鼓膜はかつてない騒音にすっかり驚いたものの、好奇心を刺激され、立ち込める人(いき)れにさえ胸を躍らせていた。

 二人は車道に獣車を走らせている。左側通行と厳しい速度制限がしかれているため、向かいくる獣車と衝突することはほとんどない。


「大きな街はこれまで何度か訪れましたが、ここまで活気に満ちあふれている様子は初めてでしょう?」


 セイルはどこか誇らしげだ。

「はい、ビックリです! 何かお祭りでもあるんですか?」と愛弟子が声を弾ませると余計に気を良くしたようだった。


「いいえ、ここ十数年の帝都は毎日この調子のようです。時世が安定し、他国との交流が目立つようになると、経済が活性化するようになりました。暮らしに余裕ができると、国内を旅する人も多くなったのです。今では一日に一五〇〇人、年間五五万人をも超える人々が帝都を訪れると言われています」

「いっせんごひゃく、ごじゅうごまん……!?」


 戦後、この大陸を支配するトラディウス帝国は、国内各主要都市を結ぶ本街道の舗装(ほそう)を徹底させた。ほぼ全てが石畳で、道の左右になだらかな勾配(こうばい)を作ることで側溝の役割を持たせた。それは車道として利用され、その両脇に歩道も用意されるようになった。

 この一大工事には、多くの秘術士が駆り出された。頑丈な石の掘削、加工、整備など、手作業ではあまりに多くの労力と技術力と時間を要する。しかし秘術を用いればそれらを難なく解決できる。地べたを平らにならす術、車道と歩道になるよう削り出す術、水はけや見栄えが良くなるように格子状の溝をつける術、滅多なことで割れないように硬度を高める術などを使えばよいのだ。

 ただ、一人の秘術士では大陸全土の舗装は困難を極める。連続して秘術を使えば精神も肉体も疲弊(ひへい)してしまう。よって、一般労働力よりもはるかに少ない人員とは言え、相当数の秘術士に協力が求められた。

 もちろんトラディウス帝国と軍事協定を結んでいるキテーン秘術団も助力を惜しまなかった。幼くして才能あふれる秘術士だったセイルも、その仕事を手伝った経験がある。

 キテーン秘術団を管理する新興国マァグ・キテーンにとってみれば、これほど美味しい仕事はなかったはずだ。秘術で人々の生活を豊かにする。その題目のもと、帝国と物理的にも精神的にも固いつながりを持てる好機だったのだ。

 いまだに秘術団は軍事的側面が強い印象を与えているものの、その残虐性を知らない世代にとってみれば、秘術を自在に扱うことができる彼らに憧れさえ抱いてしまう。秘術を学びたい者が多くなれば、マァグ・キテーンを訪れる者も自ずと増えるのは道理。帝国と共にいることで、キテーンの発展は約束されているのだ。

 それをして、キテーンを寄生虫と揶揄(やゆ)する声も少なくはない。

 しかし大にして叫べないのは、こうして道路が舗装されたことで国内の経済発展に多大な成果をもたらしているからだ。もしもキテーンに助力を仰がなければ、あと一〇年は戦後の困窮(こんきゅう)した暗い時代を生きなければならなかったと推測されている。

 舗装を命じた現皇帝の英断であった。


「今後はさらに多くの人で賑わうと見込まれています。先程のジャターユのような猛獣との遭遇を回避する術を徹底させることで、人々は安心して遠出ができるようになりますから」

「そんなこと、できるんですか?」

「猛獣除けの〈秘術陣〉を街道に一定間隔で刻印していけばいいのです。そのためにはバイコーンなどの家畜だけは通れるような陣を構築しなくてはなりません」

「じん?」

「ある条件を満たすことでひとりでに秘術を発動してくれる模様のことです。アナタがはめているその手袋に描かれている模様も秘術陣の一種です」


 ラナンは両手に黒い手袋をはめている。それに描かれた白い模様が秘術陣なるもののようだ。大好きな先生からの初めての贈り物ということで毎日欠かさず使っているが、すっかり舞い上がってしまっていたので、彼からの詳しい説明を聞き逃してしまっていた。

 覚えているのは、“セイルが良いと言うまで外すことができない”ということだけだ。


「先生。たまにはこの手袋外したいんですけど、ダメなんですか?」

「その秘術陣には手の清潔を保ち、爪も最適な長さを維持する作用も含まれています。蒸れることもないはずです。何か問題でも?」

「気分の問題ですよ。自分の手なのにたまにしか見れないって、何だか変な感じがして」

「お気持ちは察しますが、アナタが一人前になるまでは認められません」


 頑としてゆずらない先生に、ラナンはふくれっ面を見せた。


「仕方ありませんね。手袋を外すことはできませんが、代わりに帝都の名物を御馳走しましょう」

「めいぶつ?」


 セイルは路肩に獣車を止めた。運転席から降りると、一軒の露店へと歩いていった。露店の店主は、彼を見るなり顔をほころばせていた。知り合いなのか、しばらく談笑していると、店主は彼に何かを手渡していた。巾着からお代を取り出そうとする彼だったが、何やら遠慮されている。

 仕方なく(きびす)を返す彼の顔は、珍しくゆるんでいる。その両手には串焼きが握られていた。


「何です? お肉?」

「えぇ、ベヒモス肉の串焼きです。私が帝都へ初めて訪れたとき、ガロン卿に御馳走していただいたのです」

「ガロン卿って、さっきの黒い鎧の?」

「はい。当時の彼は皇帝騎士団の副団長で、私に街の案内をするよう陛下から命じられていました。初めての帝都、初めての大きな任務ということで、私はすっかり緊張していました。ガロン卿はそんな私の心を、持ち前の明るさと優しさで解きほぐしてくださったのです」


 帝都へ入ってからというもの、セイルは穏やかな表情を崩さない。それはラナンにも伝染し、この帝都という空間に心地よさを感じはじめていた。

「さぁ、冷めないうちに」と手渡された串焼きを受け取り、「いただきまーす」頬張って、咀嚼(そしゃく)する間もなくラナンは叫んだ。


「んんまああああああああああああああああああああっ!」


 柔らかく口どけのよい触感。噛むとあふれ出す肉汁と染み込んだ甘辛いタレがまじりあって、芳醇(ほうじゅん)な旨味が口いっぱいに広がっていく。そんな一口大に四角く切りそろえられた肉の塊が、五つも串に刺さっている。

 お肉なんてどれも同じだと思っていた。固くて、筋張っていて、臭みがあるものがほとんど。だけど腹持ちが良いし、お店によっては香草で臭みをしっかり消していて味つけもされているから、そこそこ好きという感じだった。

 でも、コレはどうだとラナンは驚きを禁じ得なかった。こんなにも心の底から美味しいと思ったお肉は初めてだ。どんなお店や宿でも出されたことがない。本当にお肉なのか、これこそがお肉なのか。もしもそうならば、今まで自分がお肉と思って食べていたものは何だったのか。


「帝都の中部以南には広大な産業区域があります。農作物を育てる田畑と、畜産業を担った牧草地がその大半を占めています。ベヒモスは牧草地で飼育されているとても巨大な獣です。暴飲暴食で知られ、個体によっては川の水を枯らすほどとも云われています」

「ほえ~」

「ベヒモスは恐ろしく狂暴なため、人材や知識がそろっている帝都でのみ飼育が許されています。一方で、一頭から大量の肉が手に入り、またその肉質はとても柔らかく美味しいことから、帝都の市場では安値で取引されています」

「うんまーっ」

「聞いてます?」

「うんまーっ」


 ラナンは夢中で肉にかぶりついている。串についた肉汁やらタレやらまで余すことなく堪能している。


「まったく。はしたないですね」

「だって、とっても美味しかったんですもん」

「後ほど改めて、お店のご主人にお礼を言わなければなりませんね。お代は結構だと言われてしまったので」

「えっ、どうしてです?」

「帝都在中時代、あのお店には何度も通っていましたので、ご主人とは顔なじみなのです。私が久々に顔を見せたことをとても喜んでくださいました」

「だからって、それでタダにしてもらえるんですか?」


 ラナンは目を丸くした。

 商売において、そんなことがあるなんて思いもよらなかった。何の代償もなく取引が成立することがあるなど信じられなかった。


「ご主人のご厚意です。私も見習わなければなりません」

「ご厚意……」

「こうした親切心や愛情というものは、秘術を扱う上でとても重要になります」

「えっと、善意の魂……、聖術、ですね?」

「はい、正解です♪ よく分かりましたね? 偉いですよ、ラナンさん」


 セイルの笑顔に、ラナンはいつになく胸の高鳴りを覚えた。


「優しく豊かな心を持つ方は、得てして聖術の素養があるものです。きっとあのご主人も、その気になれば聖術の一つや二つを扱えるようになるでしょう」

「じゃあ、ガロンきょーも聖術を使えるんですか?」

「はい。あの方は聖術だけでなく、魔術も使えます。そして剣術や武術にも長けています。その腕前は帝国一とも称されています。人はそんな彼のことを、“時代遅れの英雄”と呼びます」

「時代遅れ?」

「大戦が終結して二二年。このトラディウス帝国は平和な日々を過ごしています。そんな世の中にあって、ガロン卿のような(つわもの)は宝の持ち腐れとも言えます。もしも大戦時に彼がいれば、それだけで多くの人々の命が救われたかもしれない。そんな皮肉を込めた二つ名です」

「良い意味じゃないんですね」

「ですが陛下はとても良い意味で捉えています」


 まっすぐ南へのびる大通りを、グラネンが引く幌獣車が走る。周囲の景色が変わりゆく中、ラナンは小首をかしげた。


「この時代にも、トラディウスには腕のたつ男がいる。その存在ひとつで敵国バリムンド王国を威圧することができるからです。バリムンドは前大戦で、トラディウスの英雄に煮え湯を飲まされましたから」

「ガロンきょーじゃない英雄ですか?」

「アナタもきっと知っているはずです」

「んー、先生?」


 セイルは目を丸くしてから大笑いした。


「二二年前、大戦が終結したその日に私は生まれました。それに私であっても、きっとあの方には太刀打ちできないでしょう。数多ある伝説を聞けば聞くほど、その力の差を実感します」


 獣車は騒々しい街を抜け、静かな緑の中を駆けている。


「公園に入りましたね」


 生い茂る木々の緑と木漏れ日の交わりがとても美しい空間である。爽やかな風が頬をなでる様子はまるで森の中のようだ。

 しかしよくよく見ると、足もとは変わらず石畳で舗装されている。落ち葉が見当たらないのは、誰かが清掃しているからに違いない。


「ここは帝都の中心に位置する〈イルティアンネ公園〉です。ここではほとんど全ての商売が禁止されており、自然を壊す行為も固く禁じられています」

「こんな綺麗な景色を見たら、壊すなんてことも考えられませんよ」


 この風光明媚極まる景観を前にすれば誰もが彼女のように目を輝かせる。心なしかグラネンも足が遅くなった気がする。だが、それでいい。この公園は、街中以上に厳しい速度制限がしかれている。蹄鉄(ていてつ)が石畳をたたく音はとても大きいそれは公園の景観を損なうことになるのだ。


「ここは人々の憩いの場として、時の王女イルティアンネ様の命令で作られました。日々の暮らしに疲れた者、戦いの連続で身体だけでなく心をも病んでしまった者、迷える王や貴族、そして何より全ての民が、身分の差も力の差も全て忘れて過ごせる心のよりどころとなるよう設けられました」


 公園の原型が完成されたのは一〇〇〇年も昔のこと。それから幾度とない改修工事が行なわれ、現在のような自然と人工物が共存する巨大な円形区画の姿となった。

 貴族と庶民。格差ある彼らの隔たりを唯一なくし、自然と心を通わせるためだけのこの場所の存在は、時には国家としての団結力を強める効果をも生み出した。

 “喧嘩ならば〈イルティアンネ公園〉でしろ”などという言葉もあり、どんなにいがみ合っている者達でも、この公園の美しい自然を前にすれば互いを認め合えるとされている。


「大門から南へ真っ直ぐとのびるこの大通りは、この公園をも縦断し、トラディウス城まで続いています。かつては凱旋通り、英雄通りなどと呼ばれ、戦に勝利した軍の列が肩で風を切って帰ってくる道でした。しかし二二年前の終戦を機に、その道を隔てるあるものが設置されたのです」


 自然、ラナンの茶色い瞳は前方のそれをとらえて、見開かれた。


「な、何ですか、アレ……?」

「アレも秘術陣によって生み出された秘術の一種です」


 公園の一本道を進むと、広場に出た。そこには巨大な水の柱が立っていた。それは直上から照らしつける〈天陽(たいよう)〉の光を受けて、まばゆいほどの光を散らしている。


「平和記念碑〈方尖水柱(トラナスク)〉。現皇帝陛下は心より平和を望んでおられる方です。こうして城へと続く軍用道路に、あたかも障害物のようにコレを設置したのは、“自ら戦争を仕掛けない”という強い誓いを示すためです」


 戦争は、他国の種族、文明、文化、言語、価値観を破壊・略奪し、領土や権利を侵し、あらゆる命をも奪う行為である。

 前大戦では様々な不幸が重なり、世界の人口の半数以上は死滅することとなった。

 現皇帝はその悲劇を顧みて、戦争の火付け役になってはいけないと貴族達に言い聞かせた。


「全ては“敵が決める”こと。戦争行為に及ぶか否かは、敵が勝手に決めるものなのです。帝国はその“敵”となるような侵略戦争を行なわないことを誓うため、貴族も民も訪れるこの場所にこの記念碑を建てました」


 ラナンは辺りを見渡した。

 円形の広場の端には長椅子がぐるりと設けられていて、そこに様々な身分の老若男女がゆずりあって腰かけている。子供と遊ぶ親子や、肩を抱きながら記念碑を見上げて散歩している恋人達もいる。彼女達と同じように何台もの獣車が足を止め、荷台の窓から記念碑を眺める貴族の姿もある。


「ラナンさん、降りてみましょうか」


 セイルに言われるがまま、ラナンは獣車を降りた。彼の後をついていき、記念碑の前までやってきた。

 それは確かに水の塊であった。足元には秘術陣がいくつも描かれており、それがこの大量の水を柱の形に維持しているようだった。


「二度もさせませんよ……!」


 ラナンは拳を記念碑に打ち込もうとしていた。秘術で制御されている以上、飛沫をかぶっても濡れないとはいえ、水人形のときの二の舞は御免だった。


「あの子達だってやっているじゃないですか」


 彼女が指さすほうを見ると、確かに三人の子供達が記念碑に飛び込んで遊んでいる。この水の中では、本当の水中のように髪の毛が漂う一方で、呼吸もできるようだ。お互いに水に入ってはおかしな髪型にして見せあっている。

 はしゃぐ彼らの一人が調子に乗り、上に向かって泳ぎはじめた。そしてずいぶん高いところまで達すると、水から顔を出した。すると急に重力が彼の頭にかかり、勢い余って全身が飛び出してしまった。


「危ないっ!!」


 ラナンをはじめ、多くの人が絶叫した。警備に当たっていた兵士や秘術士が走り出していた。

 しかし誰よりも早く少年を救い出したのは、ラナンが惚れる男だった。

 セイル・モーラン。彼は瞬時に彼女の傍を離れるや、少年のもとへ移動し、抱きかかえてやっていた。重力に抗って地上一五(メータ)ほどを浮遊する彼は、ゆっくりと高度を下げ、地面に降り立った。


「お怪我はありませんか?」

「う、うん……」


 無事に地べたにおろされた少年は、半べそをかきながらうなずいた。


「良いですか? これは遊具ではなく、人々の願いが詰まったとても大切なものなのです。アナタも大切にしているものを、誰かに大事にされなかったらどう思いますか?」

「やだ」

「そうでしょう。そしてアナタが怪我をすると、皆が悲しみます」


 少年の友達が彼の手を握っている。その目は涙で滲んでいた。


「ですが、元気なことは良いことです」


 頭をなでてやると、少年に笑顔が戻った。そこでようやくセイルの耳に、周囲の拍手が聞こえた。人々が総立ちで彼の行動を称賛していた。

 いち早く駆け寄ったのは、警備に当たっていた騎士や秘術士達だった。彼らはしきりにセイルに頭を下げた。


「先生って、やっぱり凄いですね!」


 ラナンの声に、セイルはすっかり赤らんだ頬を向けた。

 途端、地響きが彼らを襲った。動転したのも束の間、ラナン以外の人々は興奮した様子で柱に目を向けた。


「来るぞ、来るぞ!」

「一日一度のお目見えだ!」


 口々に期待が叫ばれる。

 それに応えるように、柱がぶるりぶるりと何度も震える。そして下から上へ、一際大きく波打つや、柱が突然、大きな音を鳴らして弾け飛んだ。無数の飛沫が彼らを襲ったが、まるで痛くもかゆくもない。それどころか、弾けた水滴が〈天陽(たいよう)〉の光を乱反射させて、美しい景色を広げていた。


「かつて世界には悪魔と呼ばれる恐ろしいものが蔓延(はびこ)っていました。突如として現れたそれらは人々を襲い、多くを死に至らしめました。悪魔を前に、人々はなす術がなかったのです」


 あたりは霧に包まれた。大門の秘術を思い出したラナンは、自然とセイルの腕を掴んでいた。


「悪魔の発生から永い月日が経ちました。トラディウス帝国は悪魔だけでなく、バリムンド王国とも戦争をしなければなりませんでした。そんな折、一人の青年が帝国に力を貸しました。彼は優れた剣術と秘術で次々と悪魔を倒し、迫り来る王国をも返り討ちにしたのです」


 霧の中、広場の中心でそれは像を結んだ。ラナンのちょうど目の前だった。


「そして彼は、悪魔の王ルシブルをも討伐せしめました。すると無数にいたはずの悪魔は途端にその姿を消しました。彼は、帝国のみならず、世界も救ったのです」


 白銀の像がたたずんでいる。衆目が凛々(りり)しい男の立ち姿に注がれる。

 人々の期待に応えるように、その像は真っ赤な炎と、淡く金色に煌めく風をまとった。それらはやはり彼らを傷つけることなかった。


「彼の名はアレス。アレス・ラディオン。炎と風の秘術で世界を救った英雄です。彼の名にあやかり、この道はアレス通りと呼ばれるようになりました」


 ラナンは彼の名を知っていた。彼の顔にも見覚えがあった。

 それらは幼い頃から擦り切れるほど何度も読み返していた絵本に書かれていた。英雄アレスの冒険(たん)である。

 皆が彼の像を憧憬の眼差しで見つめている。その様子を見ていると、セイルは思わずほくそ笑んだ。


“アタシはな、アレスに会ったことがあるんだぞ”


 粗野なはずの肉親の声が、妙に弾んでいたことを思い出した。

【次回予告】

 国家の中枢――トラディウス城の宮殿はいつも騒がしい。

 清楚な姉に、お転婆な妹。

 気弱な弟と、そして……。


 次回、第一章〔二‐1〕 高貴なる一族


 彼は帝位に最も近く、最も相応しくない男。

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