〔一‐4〕 たった一つの望み
【前回までのあらすじ】
長旅を経て、セイルとラナンは帝都に辿り着いた。
幕壁に設けられたたった一つの大門をくぐった彼らは、皇帝に謁見すべく城を目指した。
一方、彼らの後に続いた幌獣車は、皇帝騎士団に先導されて帝都西部へ向かった。
幌獣車に乗せられた少年のことが、セイルはどこか気になっていた。
石畳の道路は苦手だ。人の手が過剰にはいった場所よりも、自然の柔らかい土の感触のほうが好きだ。
獣車の檻の中、同じように揺らされても、少年はそんなことをぼんやり考えていた。
でも、好きも苦手も今は些末な問題だ。どんなに他のことを考えてみても、結局は自らが起こした悪行が――当時の光景が脳裏で暴れだすばかりだ。
今は昼か。あちこちに開いた幌の切れ間から細い光が届いて、暗く埃っぽい空間をわずかに照らす。手足の自由を奪う固く分厚い枷が存在を主張する。
細い手足にピタリと密着する枷は、どちらも金属だが軽い。両手と両足をそれぞれ短い鎖でつないでおり、歩くことはできても走ることは難しい絶妙な長さにされている。
少年は騎士にこれで縛りつけられたとき、“マジュツ”によって重量を操作されているから、逃げようとしても無駄だぞと脅された。何を言っているのか分からなかったが、どうやら逃げようとしたり、悪いことを考えたりしてしまうと、急にこの枷が重くなってしまうらしい。そうなればどんな怪力の持ち主であっても、地面に頬をこすりつけなくてはならないほど動けなくなってしまうようだ。
そんな脅し文句を受ける前から、少年にその選択肢はなかった。脳内で現実逃避すらままならない彼は、犯した罪から逃げ出す気などさらさらなかった。
今の今まで、そして全てが終わるその時さえも考え望むのは、たった一つ――
「レロイアム村駐屯騎士団! 昨日お伝えしておりました被疑者を移送して参りました!!」
獣車が止まった。騎兵隊長が声を上ずらせて誰かに報告するのが聞こえる。彼は確か髭面で、いかにも屈強といった風貌の男だったはずだ。しかし先程から、妙に情けない声音ばかり耳にしているのは気のせいだろうか。
その彼をさらに威圧するように、野太い声が静かに空気を震わせた。
「遅かったな。レロイアムと言えば子爵マイッツ卿の領地であったか。かつては陛下や大公閣下と轡を並べ、文武を競うように学んでおったという賢人も、田舎に腰を下ろせばずいぶんと怠けた村政をとっておるようだな」
沈黙に、少年も息が詰まる思いだ。すぐそばに怖い人がいるのだと直感できた。
確かにその容姿はいかにも恐ろしい。門番の男よりもいくらか低い背丈だが、筋骨隆々の肉体に分厚い鎧をまとっているから余計に胸板が厚く見える。丸坊主の頭には深いしわがいくつも刻まれ、上向きの髭の仰々しさが、彼の堂々とした佇まいをより際立たせている。
「め、面目次第もございません……」
「ふん、まぁよい。何やら外で一悶着があったと聞いておる」
あの小僧が性懲りもなく戻ってきたこともな。
丸坊主の大男は、愚痴るようにつぶやいた。
何の話だろうかと騎兵隊長は小首をかしげた。しかし大男は彼になど目もくれず、不愉快そうな視線を黒い甲冑に向けた。
「して、ガロン卿よ。貴様がどうしてここにおる」
幌獣車を先導してきたジックはバイコーンから降りると、兜をとってから答えた。
「城の中にいてばかりでは身体がなまってしまいますので、見回り騎兵隊に出動の機会を譲ってもらったのです」
「貴様らは陛下の盾であろうよ。それが自ら離れるなど……」
「大将閣下。お言葉ですが、我が皇帝騎士団は粒ぞろい。我々第一分隊が不在でも、第二、第三と盾のご用意はしております。それに当然、陛下のお許しは頂いております」
「生意気な口を利くようになったな」
「お褒めにあずかり光栄です、閣下」
帝国軍大将らしい大男のこめかみに青筋が浮かぶのを一瞥しながら、ジックも問うた。
「ところで、閣下も何故このような場所へ?」
「なぁに、儂はこの国と都の治安をあずかる長だぞ。都に乱れがないよう、日々街を見て回っておるのだ。偶然ここへ通りがかったときに、地方で罪を犯した者が移送されてくると聞いてな、久々に立ち会ってやろうかと思いたっただけのこと」
「なるほど、偶然に」
「何か問題があるか」
「いえ。お時間をとらせてしまい申し訳ありませんでした」
では。ジックは再び兜をかぶると青い釣鐘外套をひるがえし、バイコーンにまたがって部下と去っていった。
ぼうと突っ立っている田舎騎士に気付いた大将閣下は、「何をしておる、その被疑者とやらを降ろさんか!」慌てて応じる騎兵隊によって、半ば強引に幌獣車の荷台から引きずりおろされた裸足の少年は、冷たく固い石畳に両膝をつけさせられた。
ここは帝都西部地区にある刑事施設――通称〈ラァーフの縦穴〉の門前である。三階建ての管理棟の地下に二〇階分の留置所がある。大昔の貴族ラァーフによって考案されたこの施設には、もはや一生涯を費やしてもあがなえぬ大罪を犯した者ほど、地下深くに投獄されている。
「ほぉ。こんな小僧が?」
偉そうな丸坊主の武人は、角張ったあごに手をやりながら、興味深そうに少年を見下ろした。
「た、大将閣下。こちらが調書と移送に関する手続き書類であります。どうぞ、お目通しくださいませ……」
すっかり畏縮した様子の騎兵隊長は、二軸の巻子本を譲渡した。
うむなどと言って、大将閣下はいかにも尊大な態度でそれらを受け取ると調書を開いた。目を通していると、膝をついたままの少年の瞳とかち合った。
「んん? その瞳の色……貴様、混血児か?」
トラディウス人は白い肌に金や銀、栗色の髪。そして青や翠の瞳といった特徴を持つ。少年の肌は同じく白く、髪も金色だが、しかして瞳は茶色である。
様々な国家と交流するようになった昨今では、さして珍しいことでもない。しかし大将閣下のように五〇も半ばの世代以前には、混血に対する偏見が少なくない。
「アナタが……してくれるんですか?」
時代遅れの侮蔑をはらんだ大将閣下の視線に恐怖をにじませながらも、少年は期待を口にした。
「何だ、文句があるのか?」
「……アナタがボクを殺してくれるんですか?」
どよめく一同に目もくれず、少年は言葉を重ねた。
「ボクは罪を犯しました」
大将閣下は少年から視線を外せなかった。彼の瞳を見ていると、どうしても惹き込まれて仕方なかった。そればかりか既視感と言うべきか、あるいは懐かしさと言うべきか、胸の奥でひっそりと眠っていた“しこり”が呼び覚まされるような感覚に襲われた。
儂はこの小僧を知っている。
直観が真実の輪郭に触れようとした寸前、「ボクは人殺しです」雷に打たれたような重い一撃が彼を現実に引き戻した。眼球が手元の調書を捉えた。氏名の横に用意された罪状欄には確かに〈殺人〉と記されている。
誰を殺したか。
大将閣下はその答えを、調書で確かめる前に知っている。“事前に聞かされている。”しかし――
「父さんと母さんを殺しました」
しかしだ、本人から直接聞かされるその言葉の切れ味は想像を絶するものだった。
「だから、裁いてください。ボクを早く、殺してください」
――そう、たった一つ。
親殺しをした自分には、生きていていい価値などない。
だからと言って、自殺などはもってのほか。それもまた“逃げ”である。
隠すことなどなく罪を公表し、法のもとに裁かれ、罰を受けなくてはならない。
少年――レオン・マーウォルは死罪を望んでいる。
【次回予告】
帝都を縦断する大通り。
そこはかつて、数多の英雄が凱旋した道だった。
今は一人の男の名がつけられ、人々に親しまれている。
次回、第一章〔一‐5〕 その道の名は
二二年前、世界は彼に救われた。