独りじゃなんにも出来ない
やばい、ヤバイ。あの大きな手で殴られたら痛い。いや、確実に痛いじゃ済まないだろう。死ぬかも……。
杖を握り直して、ぐっと力を込める。俺は強い。いや、死ぬだろうな……。よりによって、なんでこんな強そうなやつに出会ってしまうんだよ!?
確かこいつ、俺のキャラクターがソロで倒せる相手じゃないぞ……。
飛びかかってこないのは、俺の必死の牽制の効果があるのだろうか。
魔物が一歩近付いてきたら、一歩下がる。その作業の繰り返しだ。
冷や汗が背中に伝わってきた。背中を見せるな、背中を見せたら殺されるぞ。
自分に言い聞かせながら、集中する。一歩……また一歩。
集中という細い糸を千切らないように、前方の魔物に神経を研ぎ澄ます。
その時、俺はある法則性に気付いた。この魔物、ある程度歩くと短時間だが動きが鈍くなる。
その隙を突けば、もしかしたら逃げ切ることが出来るのでは……。
ゲームの歩数システムがここにも反映されているとは。
周辺視で、自分が居る場所にアタリをつける。よし、ここならば知っているエリアだ。街までの道も分かるだろう。
1、2、……よし、今だ。くるりと背を向けて走る。隙を見て、走りながら杖を鞄に突っ込む。
ローブのマントが翻り、爽快に走って戦闘から離脱する……俺のシナリオではそうだったが。
1つ。魔導師のローブは走りにくい。俺の足の速さは、まぁ人並みのはずだが、それでも遅いと感じる。
ローブの長い裾が足に絡み付いて非常に走りづらい。魔導師が鈍足と囃される理由を体感した。
2つ。さっきまでゆっくりと歩いていた魔物が地を蹴って迫ってくるのが音で分かる。完璧に本気モードじゃないか。
狩猟本能とやらに火を点けてしまったらしい。
ローブをはためかせてドタドタと走る魔導師と、それを追いかける熊という、なんとも無様な構図が完成してしまったわけだ。
それでも、死ぬよりかは幾分かマシだ。
俺は必死に懸命に、ただひたすら街を目指して走り続けた。
どれほど走ったかは覚えていないが、街が見えてきた頃には背後の気配が無くなった。
俺のスタミナゲージはもう空っぽだろう。
流石にもうヘトヘトだ。キャラクターを操作している時の移動はほんの短時間だが、実際に自分の足で歩くとなると、相当の労力だな……。
強敵との遭遇により、俺の主人公補正が発揮されて強大な魔法を自由に操れるように……という特典は無かった。
時間はまもなく正午といったところか。魔法が使えない魔法使いなんて、魔物から見たらただの餌だろう。
せめて、対等に戦えるようになるまでは戦闘を避けたい。
おそらく、街の外に居るスライムにすら負けるのではないだろうか。……あれっ、もしかして俺、この世界の村人よりも弱いんじゃね?
普段、ゲームをプレイ中には見向きもしなかったザコモンスターが、恐ろしく思える。
今の自分の戦闘能力が分からないため、実際は一発殴っただけで倒せる相手なのかもしれないが、致命傷を受けたり、ヘタをして死ぬのはゴメンだ。だから、近寄らないのが一番だ。
「でもなぁ……」
目の前をどちらが前か後ろか全く分からないブヨブヨとした物体が横切る。
「村人よりも弱い冒険者とか、勘弁だな」
俺は鞄に手を入れ、先程仕舞った魔法の杖をイメージした。無を彷徨っていた手に物質の感覚が蘇る。
鞄の中から杖を取り出し、構える。ダメ元で魔法を念じてみるが、何も起こりそうに無い。
こうなれば、物理攻撃だ。
ブヨブヨとしたソレとの間合いを詰め、杖を高く振り上げて、一気に振り下ろす。
ベチョンという、何とも言えない音がしてスライムの体内に杖が埋まる。
何度杖で殴っても、スライムの体内に杖が埋まるだけで、当のスライムはグニョングニョンと元気に跳ね回っている。
杖で殴りつける度、スライムの身体の一部が飛沫となって飛び散り、スライムの体積がどんどん小さくなっていく。
とうとう最後の一振りでスライムが消滅した時には、俺の両肩は筋肉痛で悲鳴を挙げていた。
スライムの弱点がなぜ戦士が好んで使うような斬属性の武器と魔法使いの攻撃魔法なのか納得した。
世界には筋力ステータスを上昇させて、武器の直接攻撃による物理攻撃を主体とする殴りヒーラーという戦い方もあるが、俺には到底向いていないと感じた。
俺は杖を鞄に仕舞うと再び歩き始めた。魔法の使えない魔法使いなんて、いよいよ村人よりも弱い存在なんじゃないかと、危機感に駆られながら。
街に入った俺は、とりあえず空腹を満たす為に市場通りへ向かった。
野菜や果物を売っている店、武器や防具を売っている店……様々な露店が並んでいて、多くの人でごった返している。
時折、商人の威勢の良い声が飛び交う。
「へい、いらっしゃい。中古品だが、まだまだ状態の良いロングソード。お安くするぜー」
「こっちはダンジョン攻略で手に入れた戦利品を安くしているよ!見ていってくれよな!!」
「長距離の移動に、馬車便はどうだい?」
たくさんある露店の中から、俺は1つの店の前で立ち止まった。食べ物屋だ。
「いらっしゃい。よかったらお1ついかが?お腹、空いているんじゃない?ウチのメニューは持ち歩きにも便利だよ」
メニューを眺める。ここは、俺がよく利用していた店だ。
「チキンサンドを1つ」
「はいよ、160ドンだね」
俺は鞄に手を入れて念じる。この世界の通過を。160ドンを。
手の内に7枚の硬貨が現れる。小さめの硬貨が6枚と、やや大きめの硬貨が1枚。
「160ドン、これで合ってる?」
「ちょうどだね、まいど。また来ておくれよ」
硬貨と交換でサンドウィッチが手渡される。
「ここのは美味しいし安いから、また来るよ」
俺は街の広場へと向かって歩き始めた。広場には掲示板がある。それで情報収集だ。
掲示板を眺めながら、先程買ったサンドウィッチの包みを開けた。
包みの中からパンの芳ばしい香りが漂った。一口、ほおばる。
レタスのシャキシャキとした歯応えと、ローストチキンの旨味が口中に広がる。もう一口ほおばりながら、掲示板の情報を眺める。
依頼の情報や、アイテムの交換募集、チームやパーティメンバーの募集が貼り出されている。
ふーん、ふんふん……俺じゃないMakotoならば、これらのクエストを成し遂げるんだろうなぁ……。
掲示板に貼り出されている紙を眺めながら、サンドウィッチをかじる。
「あっ、マコっちだぁ~♪」
不意に遠くから声がした。この声は、アイツだろう。
できれば知り合いには会いたくなかったのだが……。
声のした方を見ると、ロリ服の金髪少女が手を振っている。ルーシーだ。
「マコっち、クエスト一緒に行こ~?」
ぐっ……パーティ……どう考えても戦闘の絡むやつじゃん。今の俺には無理だ。
「すまん。俺、今困っていて。クエスト行かれねぇや……」
ルーシーが首を傾げた。
「……俺?マコっちには似合わない一人称だねぇ~?」
……?あっ、そういえばゲーム内の俺は一人称「僕」だったな。
喋り方も違ったな。気をつけなければ……。そうだ、ルーシーも魔法を扱うヒーラーだよな。
もしかしたら、魔法の使い方を教えてもらえたりして。
「あっ、間違えました。実は僕、困っていて。魔法の使い方を忘れてしまったのです。どうすれば魔法を使えるようになるか、知りたいです」
うへー……こんな見え見えな嘘を吐くだなんて。もっと良い言い回しは無かったのか……。
ルーシーが人差し指をアゴに当てて小首を傾げた。
「……マコっち……おバカさん?」
ぐぬ……うるせぇやい。