HELLO WORLD
とりあえず、俺はまだ寝惚けている頭を働かせて思考を巡らせる。
まず一点。これは夢だ。いくらなんでもゲームが大好きだからといって、夢に見るほど夢中になっていたとは。アラームの設定をしていなかったから、早く起きないと仕事に遅刻してしまうな。この世界を少しばかり冒険してみたいと思う気持ちはあるが、何にせよ仕事が優先度第一位だ。
軽く頭を小突いてみたが、痛みが頭に走っただけだった。今度は頬をつねってみる。うん、痛い。残念ながら、これは現実のようだ。仕事、どうしよう……。
「まじかー……」
最近、流行っているよね。俺の働いている図書館にも、専用のコーナーが出来たくらいだ。ゲームの世界に閉じ込められるとか、異世界と現実が繋がってしまうとか。そういうライトノベルは手軽に読むことが出来るので、パーティのメンバーを待っている時とか、時間潰しによく読んでいる。
まさか、普段読んでいたライトノベルの主人公に俺が選ばれてしまうとはね。
とりあえず……。異世界転移で定番の、自分のステータス画面を確認するか。
俺は身体の前に両手を突き出すと、力を込めた。数秒ほど待ってみるが、何も起こらない。座っている状態がいけないのかと思い、立ち上がってみるが効果無し。手をパーからグーへ変更してやってみるが、それも効果は無い。
指を鳴らしてみたりだとか、他の方法も一通り試したが、効果は現れなかった。ステータス画面を開くことが出来ないという厳しい現実を受け止めて、俺は次のステップに進むことにした。
この装備を着けているということは、俺がゲーム世界のMakotoになっているか、或いはMakotoの装備を俺が着けているだけという可能性も……いや、その可能性は低いか。
着心地が良く、いかにも良い素材で出来ていると静かに主張している今の装備品は、俺が徹夜をしてやっと手に入れた物だ。いつ現れるか分からないボスモンスターをひたすら待って手に入れた物。ゲームのバージョンアップにより、世代遅れの装備となってしまってはいるが、まだまだ現役で使える性能だ。
アイテムは……お、あった。俺が課金をして買った「商人の鞄」が、肩から斜め掛けされていた。この世界では、アイテムの大きさや重量といった概念が存在するので、決められた数量以上の物を持ち歩くことは出来ない。
軽量化の魔法や、圧縮の魔法も存在するが、上位魔法として設定されている為に容易に使えなかったり、効果時間が定められている等の制約があるのであまり実用的ではない。
このゲームのプレイヤーが一番多く悩んでいるであろうアイテム事情は、課金アイテムではあるものの、商人の鞄を買うだけで解決する。この鞄は中身が特殊なアイテム保管スペースと繋がっており、金貨や薬品や重い武器をどれだけ詰め込んだとしても、キャラクターへ加わる重量は鞄の革の重さだけなのである。
物を取り出す時も、鞄を開いてお目当ての物品を探して取り出すだけ。いわば、四次元ポッケなるものと同じ概念なのだ。
この鞄の使用料は一ヶ月当たり1500円である。高いと感じる人も居るとは思うが、俺は一回使ってからは必需品となった。月に1500円を払うだけでアイテム問題とオサラバ出来るなら、俺は買いだと思っている。
さて、アイテムを取り出すことにしよう。
鞄を開くと、中身は暗闇に繋がっていた。まるで、深い井戸底を眺めている気分だ。
「ひぇー……モニターの画面で見るのとは大違いだなぁ」
叩いたり逆さまにしてみたが、アイテムが出てくる気配は一向に無い。思い浮かぶ限りの事を試してみたが効果が無いので、最終的に暗黒世界の鞄の中へ意を決して腕を突っ込んだ。自分の右腕がアイテム保管スペースへ転送されてしまったら……という最悪のケースを考えたが、そんな事は起こらなかった。
鞄の中身は外見と違い、どんなに手を動かしても革の感触は無い。これがアイテム保管スペースか。さて、どのようにアイテムを取り出すのか……。
その時、俺の頭の中に情報の波が押し寄せた。
「うっ……」
ぐらり。車酔いにも似たその感覚に、足元がふらついた。体勢を立て直し、頭の中に溢れる情報に集中する。
「これは……」
どうも見慣れた形の物があると思ったら、この世界で流通している貨幣やアイテムだった。
俺は目を閉じて意識を集中させた。俺が今欲しい物…武器……よし、こいつだ。
手に物体が触れる感覚がある。力を込めて引き上げると、鞄の中から魔法の杖が現れた。
アイテムの取り出し方は分かった。次は第二ステージだ。
やっぱり、魔法使いは魔法だろう。
「ふんっ……」
地面に突き立てた杖に魔力を集中させている(つもり)が、効果は現れない。普段ゲームの中で使っているような魔法を発動させたいが……。今度ばかりはイメージでも、どうにもならなさそうだ。
その時、傍の茂みがガサゴソと揺れた。思わず杖を構える。無意識に杖を握る手に力がこもる。
茂みから現れたのが、俺と同じ冒険者だったら、どんなに良かったことだろうか。せめて、街の外に居るような初心者向けの魔物ならば良かったのに。
茂みからゆっくりと出てきたのは、大型の魔物だった。いかにも肉食系という見た目だ。現実で言うならば、熊によく似ている。熊よりも数倍デカイ。
「やぁ、ロウ。随分とイメージを変えたんだね」
鋭い眼光がギロリとこちらを睨む。あっ、これあかんやつや……。
俺の生存本能が、危険信号を発した。