孤高のコーヒー野郎
ヴィスティンハイム。
雨が降ることがない、温暖な土地。国ではなく、誰のものでもない。コーヒー生産の大部分を占める。が、それ以外は特に何もない。人口も少ない。
喫茶店の外にある日傘のあるベンチに座り、コーヒーの入ったカップを片手に小説のページを捲った。
ここ、ヴィスティンハイムは本当に良い。
亜熱帯に属するも雨が比較的少なく、風もほとんどない。もちろんほとんどが快晴だ。気温は常に絶妙で、人間が住むにはここ以上のものは無い。さらに、コーヒー豆の生産地として有名であった。
だが、
それ以外は何も無い。
ヴィスティンハイムは広大なコーヒー畑を有しながら、人口二千人という超過疎地であった。有り余った土地を使い、洒落た喫茶店を造ったものの客の出入りはほとんどない。
そして、そのうちの一人が私だ。
一章の区切りが着き、息抜きの合間に一口…。
「…ちっ」
本とカップをベンチの近くのテーブルに置き、カウンターに向かった。何も知らずにカウンターでカップを拭く女性に声を掛けた。
「不味い」
「あ…ゼンさん……」
彼女はコーヒー畑管理長の娘のファーヴェル・シシリアだ。釣り目と少し癖のある赤く長い髪が特徴の、可愛げのない女だ。
「ヴェル。余計な苦味が出てしまっている。何か考え事でもしてたのか?」
「あのね、こっちはいつもと変わらないんだけど…」
「普段と違うから、私は気付いたのだが」
「…何が言いたいの?」
「ふざけてるのか、偶然そうなってしまったのか。どっちなんだ?」
「ふざけてお客様にコーヒーを出すわけないでしょ」
「…そうか。まぁ、お前が考え事をするということは相当な事態なのだろう。ここは聞かないでおくとしよう」
「何で分かるの……?」
すまなかったと一声掛け、ベンチに戻った。だが、その出来損ないのコーヒーに口を付けることはなかった。
栞を挟んだ続きから黙々とページを捲り続けた。一冊を読み終え、休憩も兼ねて本を置いた。なんとなく店内に視線を向けた。
意味もなく視線を向けたわけではない。ただ、嫌な空気が漂っている。殺気や怒気ではない。表現のしようのない気配と言えば分かりやすいだろうか。
おそらく。いや、間違いなくこれは先程のヴェルに関わる 事態だろう。立ち上がり、もう一度カウンターへ向かった。快適な環境での読書に美味いコーヒーは必須だ。それが邪魔されるというならその根源を断つために全力を注いでもなんら不思議ではない。どうしても話さないつもりなら…実力行使も考えておこう。
「おい。何かあったのか?」
「ゼンさん…実は、ここの経営にも関わる事態が」
「も?」
「うん。今、パパが貿易中間職の人と商談中みたい。でも、前から何回も中途半端に終わってて」
貿易中間職。確か、国と国との貿易物資に相応な金額を定める商人だったか。基本は市場で物資を相手に活動しているものだと思っていたが妙だな。
「ヴェルは中間職のことをどこまで知っている?」
「ごめん。上手く市場で売ってくれる人、ぐらいしか分かんない」
「まぁ、それぐらいの認識だろう」
ヴィスティンハイムはどこの国にも属さない、誰でもない皆の土地という扱いになっている。だが、そこで生産されるコーヒーの質の高さから多少の金が集まるようにはなったが経済的には芳しくはない。今回はそれに関する問題とみた。
「この件を解決できたら、私に何をしてくれる?」
「何それ?」
「いいから」
「コーヒー二か月分無料にしてあげる」
「上等だ」
残していたコーヒーを一気に飲み干し、二階にある事務室に向かった。
◇◇◇◇◇
「従業員の給料をもっと高くはできませんかね?」
「我々は物に対する価値を定めますが、経営に関するのは上の方に聞かないと」
「うぅ…」
「ヴェイブス、代われ」
「ゼ、ゼンさん…!」
店長兼コーヒー畑管理長。ヴェルの父、ヴェイブスの隣に腰を下ろした。
「お前は経営とコーヒーの美味さだけを追求していればいい。ここは、私に任せろ」
「頼もしっ…」
不安そうな顔をしているが問題ない。最悪、どっかの国の傘下に入って扶助してもらえばいいのだから。それも大変なことだが時間を掛ければどうとでもなる。
「従業員給料アップ。それを果たせればいいだけだろう。それでいいな?」
「そうだけど、そんな簡単に…」
ハゲの単語に反応するヴェイブスを無視し、中間管理職の者に視線を移した。
「と、いうわけで。あんたの名前は?」
向かいに座っている中年に問いかけた。服装の質から中の下。回ってくる役割もそれほどいいもではない下っ端だろう。
「ジックと申します」
「なぁ、ジック。ここのコーヒーがどれほどすごいものかは分かっているよな?」
「はい。それはもちろん」
なるほど。とにかく平常心を貫くタイプの商人とみた。ならば、話し方を変えなければ。
「ここでの商談などは、王都に持ち帰って検討するんだよな?」
「はい」
「そうだよな。おい。賭けをしようか」
「賭け?」
「ジック。お前は何もしなくていい。このまま帰れ。ただし、上司に『バーキンス・アイゼンが「ヴィスティンハイムに観賞するな』と伝えろ」
さもなくば殺す。
相手の目を見ずに、声色と態度でその意思を伝えた。
ヴェイブスに視線を戻した。
「賭けの内容は、八日以内に今の給料より高い賃金を払わせる。できなかったら、その時は私が全額負担しよう」
「月給17万フィルが800人だぞ。払えるものか」
「では、その金額の倍払おう」
「やれるものならやってみろ」
「決まりだ。今日の話はここまでにしようか。ちゃんと上司に伝えろよ」
ふっ、と一度鼻で笑い退室した。
「1260万フィルを払わせる!?できなかったらその倍を一人でって、頭おかしいんじゃないの!?」
一階のカウンター席でヴェルに大体の事情を伝えた。
「ここ三年間ここで読書しかしてないゼンさんに何ができるの?」
「何も」
言葉の通り私は何もしない。
だが、高確率でこの賭けには勝てるだろう。
「ただ、八日待っていればいい」
「失敗したら?」
「最も悪ければ、国の怒りを買って一生タダ働きだな」
「冗談でしょ?」
「冗談になればいいが」
「前から変わってる人だと思ってたけど、ここまでとは…」
「いずれ分かる。それと、コーヒーおかわりだ」
「これはタダにはしませんよ!」
「…あ、あぁ」
懐から小銭を取り出し、ヴェルに渡した。
さて、ことが本格的に動き出すのは三日後あたりだな。
それまでに、今読んでいる本を読み終えておこうかな。