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*5*

 前回からだいぶ間が空いてしまいました。

 子供時代の話を続けます。


 今回はちょっと、いえ、だいぶ辛かったお話です。

 それでも、誰が悪いというものでもないのであろうお話です。


 学童保育に通っていた私は、卒園時の作文に、ある悲しい出来事が衝撃であったと綴りました。

 その作文には絵をつけることも義務づけられておりましたので、絵も描きました。


 しかしそれらが明瞭に過ぎ、他の園児たちにデリカシーの無さを咎められたのです。

 子供という生き物は時に、正義を叫ぶことに酔います。

 そういう、一種の熱狂が彼らの内にあると、幼いながらに私は感じました。

 彼らが悪いということではありません。

 ごく一般の感覚での、私に対する非難だったと思います。

 しかし私は、自分がなぜ責められているのか、当時は理解できませんでした。

 正直は私にとって美徳であり、罪ではなかったのです。

 成長するにつれ、「正直」には「刃」がつく時があると知りました。

 私を責めた子たちの気持ちも、理解できるようになりました。

 そうして大人になってからも、当時の自分を過剰に責める呪縛から、中々解放されませんでした。



 幼い頃に親戚の集まりで、従姉のにきびを「どうしてぶちゅぶちゅがついてるの?」と言ったこともあります。

 どっと笑いが起こりました。

 従姉の表情は変わりませんでした。

 けれど思春期の従姉にとっては、とても辛かったのではないでしょうか。

 心無いことを言った相手が年下の子供だった為に、また、大人たちの集まる中であった為に、辛く感じた感情を隠したのではないかと、後に思い至りました。


 言葉や、表現を選ばなければ。

 自分と、人を傷つけないように。


 年々、痛感するようになりました。

 それは今でも変わらない、私の課題です。


 これを読まれている方で、周囲に発達障害の子や大人がおられる方には、思い当たるところもある話だったのではないでしょうか。

 悪気が無いことを全ての免罪符にせよとは申しません。

 ただ、少しばかり寛容になり、許容範囲を広げて、彼らと、私たちと接していただけませんでしょうか。


 少しずつ学ぶ姿を、見守っていただければ、と願います。



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