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友達に関しては、こんな失敗談もあります。
私は争いごとや、人との優劣をつけることが苦手で、嫌いでした。
カッとするところがある反面、感情の摩擦の「ひりひり」にひどく弱かったのです。
他を押し退けて一等賞をとるより、独りぽつねんと絵を描いていたほうがいい。
そんな子供でした。
今でも、その名残はあります。
ある冬、小学校で持久走大会がありました。
高学年の頃だったと思います。
私は前回お話した子とは別の、親友と呼んで差支えない子と並走していました。
仲良く、そのまま走っていくつもりでしたが、徐々にその子が遅れ始めました。
だいぶ距離が開いた時、私は決心して、わざとペースダウンしました。
みるみるその子との距離が縮まり、私はまた一緒に走れると安心しました。
けれど、その子は、怒ったような顔で私を睨むと、ぐっと脚に力を籠め、どんどん先に走って行ってしまいました。
私はショックを受けました。
よかれと思ってしたことが友達を怒らせ、一人で走って行かせることになってしまったのです。
しかし心のどこかで気づいてもいました。
自分が、友達のプライドを傷つけてしまったことに。
相手の心に悲しみと怒りを呼んだ軽率さに。
その子は競技を純粋に競技として捉えており、仲良く走り続けることなど望んでいなかったのです。
今であれば当時よりはっきりと、自分や相手の心の動きが解ります。
子供であってもプライドはあるのです。
私は、自分自身がプライドの高いほうであるにも関わらず、友達のプライドを蔑ろにしてしまいました。
その子はからっとした性格なので、幸い、そのあとも付き合いは続きました。
私は今でも相手の感情や状況を捉え損ね、ちぐはぐな言動をやらかしてしまうことがありますが、それは子供の時から続いていることなのです。
自分が発達障害であると知ってから、以前よりは慎重になりましたが、時々、まだうっかりやらかしてしまうことがあります。
毎回毎回、懇切丁寧なフォローもできません。
ですからなるべく、自分がうっかりなぶん、人にも「ほんわか」することで調整しよう、と心掛けています。
相手にだけ我慢を強いるのではないバランス法で、人とのコミュニケーションを保持しよう、と努力する日々です。
発達障害でなくても、人には何がしか欠点、短所があります。
そのことで人間関係に悩みもします。
相手に何を期待できるかも大事ですが、相手に自分が何をできるか、考えることも大事だと思います。
状況や場合により、何もできず離れるしかないこともあります。
そこの見極めは年を経るごとに学んでいけるかと思います。
それは少し、「悲しい学び」です。
次回からもまだ、子供時代の話が続きます。
ここでお心に留めていただきたいことがあります。
私の語りは特殊な訓練を受けたものでも、それに特化したものでもない素人のものです。
そして、あくまで私の場合に限っての狭い話です。
私は「カモフラージュ型」と分類されるくらい、発達障害とそうでない状態との間のグレーゾーンに立つ者です。
それならそれであるからこそ、お伝えできることがあるかと思い、こうして筆を執っている次第です。
また、書くきっかけの一端となった出来事があります。
以前、偶然にツイッターで、自分はアスペルガーである、と呟く人を見ました。
私も少し知っている、まだ若い青年です。
活力に溢れている筈の時期の。
それから自暴自棄な呟きが続きました。
病院に入れられるかもしれない、と。
もっと一見しただけでわかるような病気なら良かったのに、と。
私は心の中で呻きました。
自分もよく知る感情だったからです。
恐らく、多くの人が知る感情でもあるでしょう。
何か、書くことで変えられはしないだろうか。
その思いが今も私を動かしています。