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同居して慣れ親しんでいた祖母は、私が生まれた時にはもう胃癌を患っていて、私が小学二年の時に亡くなりました。
年上の姉とは性格の反りが合わず、習い事を強要させられるなど、辛いことが重なりました。
「悲しみ」「苦しみ」を自覚するのに時間がかかる。
それもまた、私の特質の一つでした。
生き辛さを感じながら、しかしそれを明確に誰かに訴えることもなく。
「こういうものなのだろう」
そう思いながら成長していきました。
もう一つのエッセイに、小学校低学年時、私が鉛筆を齧る癖があったと書いたと思うのですが、それもストレス発散の手法だったのかなあ、と今では考えています。
うちは動物が飼えない環境だったので、帰り道の家の犬を非常に可愛がって懐かれ、そうすることで寂しさを紛らわせたりもしていました。
今、思い出しても心が痛む、心無い軽口を同級生に言ったこともあります。
激怒してくれたら良かったのに、相手は戸惑うように笑っただけでした。
平身低頭でお詫びしたい気持ちです。
私は、ごく稀にでしたが、そんな失敗をしました。
もちろん子供同士、言われるばかりでなく、むしろ私のほうが、痛い言葉は言われやすい子供だったかもしれません。
また、私にとっては些細と感じる理由で、親友に激怒されたことがあります。
謝れ、と言われましたが、それは理屈としておかしい、と思った私は頑固にも謝らず、背中を拳で殴られてから、絶交されました。
相手は気性が率直で激しい子でした。
少し、私と通じるものがあったかもしれません。
長い絶交期間がありました。
お互いに意地を張っていました。
そして、相手のことをよく知っているのも、自分だとわかっていました。
ある時、その子が、とても澄んだ目で私に言ってきました。
「あの時のことは、どう考えても自分が全面的に悪かったと思う。ごめん」
小学生にしては大人びた台詞です。
でも、真摯で、極めて誠実な気持ちの籠る言葉でした。
私は、叫び出したいくらいに嬉しかったです。胸が脈打ち、温かくなりました。
その子の潔さに敬服する想いもありました。
奇跡のような言葉を言ってくれたその子とは、今でも親友です。