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私は、主観的に見て正直過ぎるほど正直で素直で、やや粗暴な子供でした。
自分の感情に良くも悪くも正直でした。
泣ける系統の絵本を読めばいつまでもわんわんと泣きやまず、親に心配されました。
そんな私の転機は、保育園の卒園と同時にやってきました。
事情により、それまで家から遠く離れた保育園に通っていた私は、今度は家から歩いて通える距離の小学校に入学することとなりました。
それまでの友達が一人もいない環境に、いきなり放り込まれたのです。
やむをえないとは言え、振り返って思えば、新しい環境に馴染みにくいアスペルガーの子供であった私にとって、これはかなり過酷な環境変化でした。
小学校の入学式、父につき添われて歩く私は、なるべく遠回りをして学校に着くまでの時間を稼ごうと、道の右端を歩き、今度は左端を歩き、うねうねと蛇行するという悪あがきをしたりしました。
子供なりに必死だったのです。
未知の環境を、とても恐ろしいと感じていました。
保育園では活発なほうだった私は、小学校ではひどく萎縮し、大人しく目立たない、ひっそりした子供になりました。
見知らぬ子供に怯えました。
しかも妙にマイペースであったため、攻撃的な子によく突っかかられたりもしました。
泣けばそれはそれで苛立ちを誘ったようで責められました。
別にその子が悪だとか、そういうことではありません。
円滑な関係が築きにくい間柄だったのです。
それでもやっとできた数人の友達は、私の居場所となりました。
一緒に遊べば楽しくて、保育園を思い出しました。
両親が共働きだった私は、放課後は学童保育に預けられました。
私はそこも苦手でした。
一人で家にいて絵を描いたり、本を読んだりして過ごすほうが、よっぽど楽でした。
どうも苦しいなあ、変だなあ。
そう感じるようになっていました。
今、思い出しても、なぜそんなことをしたんだか、と赤面することがあります。
小学校の授業中、例えば国語の時間、先生の語りに合わせてジェスチャーをしていたのです。
手振りでぱたぱた。
これは相当に周囲から浮いていたと思うのですが、この奇妙な行動をからかわれた記憶は、不思議とありません。
記憶から消してしまっただけかもしれません。
しかし、思い出すだに、非常に恥ずかしいです。