漂着
長い年月を経て海辺に辿り着く硝子片のように。
人の思いが届く瞬間があります。
就職が上手くいかず、発達障害の診断を受け、成す術なく私は長らく離れていた実家へと戻りました。両親は私の障害を当初、理解出来ませんでした。
やっとアスペルガーの認知が広まり出した頃でした。
家に居場所がなく、私はひどく辛い思いをしました。
それから数年を経て、やっと両親もアスペルガーの何たるかを以前よりは理解するようになり、私への態度も軟化しました。
私が、ある、どうしようもなく苦しい思いを抱えていた時期。
精神的に弱っていた私は、父に謝りました。
「アスペルガーで生まれてきてごめん」
泣きながらそう言いました。普段であれば絶対に言わないことです。
そうしたら父はこう返したのです。
「それなら儂も謝らんといかん。儂もアスペルガーやから」
診断された訳ではありませんでしたが、父は自分を発達障害があると認識しているようでした。
私の謝罪は、他のアスペルガーの方たちに対して、失礼なものだったと今では思います。言い訳ですがそうした分別がつかなくなるくらい、私はぼろぼろだったのです。
ただ、私の心に、父の言葉は慈雨のように沁みました。
つい先日、母に、中学生時代のことを話した時。
「気づいてあげられなくてごめんね」
そう言われもしました。
時間は時に苛酷で残酷です。
容赦なく人を苦しめもします。
しかし稀に、温もりある漂着物を届けてくれることがあります。