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言ったほうがいい言葉かどうか迷います。
起こしたほうがいい行動かどうか悩みます。
発達障害の方は、特にそんな方が多いのではないでしょうか。
少なくとも私はそうです。
せっかちでそそっかしく、空気を読むことの苦手な私は、人と対する時においてかなり構えてしまいます。
構えて、しかしそうなると相手にも構えられて双方、緊張してしまう為、いつからか笑顔を、またはにこやかな言葉を心掛けるようになりました。
ツイッターに関しては前回お話しましたね。
それについても同様のことが言えます。
一度手痛い経験をしただけに、地雷を踏まないよう、不安を抱えながら続けています。
中学の頃です。
自分の言葉が人に与える影響、人が返す反応に過剰に怯えるようになった私は、ほとんど喋らなくなりました。学校でも家庭でも、です。
必要最小限の言葉だけを口にして、あとは首を縦に振る、横に振る、などのジェスチャーで意思疎通を図っていました。私の内側で肥大したストレスは、就寝中の激しい歯軋りとなって表われ、それは別室で寝ている両親の耳にも聴こえるほどでした。
そのくらい寡黙を極めていたものですから、当然、同級生に訊かれました。
「どうして話さないの?」
それは疑問と言うより、非難めいた口調でした。
私は答えることが出来ませんでした。
自分が喋ることで返る人の反応が怖いのだ、とは言えませんでした。
けれどそんな態度が許されるのも中学時代あたりが限界でした。
高校に入ると否が応でも社交的にならざるを得なくなりました。
喋らなければ待っているのは孤立です。
今でも、昔ほどではありませんが喋ることが苦手です。
かと言って、寡黙な訳ではありません。
逆です。不安を払拭する為に饒舌気味になります。
本当に気心の知れた相手としか言葉少ない会話は出来ません(本当に楽しくて饒舌になる場合もありますよ)。
怖いです。
人が怖い。世間というものが怖い。大声で叫ぶ人が怖い。
軽い対人恐怖症かもしれません。
それでも私が人と繋がることをやめないのは、やめられないのは、そこに確かに存在する明るい絆めいたものがある、と信じるからです。
過剰な信頼はおっかないのでしません。
緩やかに、適度な距離を持ちつつ、こうして、これを読んでくださっている方とも繋がっていたいと思うのです。
距離の取り方、信頼の仕方は例えアスペルガーでなくとも難しい。
そうではないかと、私は考えもするのです。