西ヨーリン砦。
西ヨーリン砦。
人族と魔族の国境に立つ堅牢な砦も、今まさに墜ちかかっていました。
すぐそこまで、魔族の軍勢が迫っています。
人狼やオークなどの獣人と、それらを率いる巨大フェンリル。
外では魔族の尖兵と砦の弓兵隊が戦っていました。
年老いた賢者が、その砦の中。
最後の希望、"召喚の儀"を執り行おうとしていました。
もはや女神ラティシアの加護を受けし、異世界の勇者に全てを託すしかありません。
この砦を超えられてしまえば、人族は徐々に追い詰められていくだけでしょう。
中々儀式が成功しないうちに、賢者自身が最前線で戦わざるを得ない状況にまで苦戦してしまいました。
その儀は今日も成功するかどうかは、分の悪い賭けでした――が。
魔力を放ち、術式を終えると――。
辺り一面に光が満ちました。成功したのです。
光の中から現れた人影は――。「おぉ、――」と賢者が喜びの声を挙げる最中。
現れたと同時に、疾風の如く賢者や護衛の兵士の間を縫うように走り抜けていきました。
転生陣からの光が収まった頃には、その姿はもう外へと消えていました。
「おぉ、成功した……!?
……いやっ、もういないッ!?
一体どこへ…これは、どうなったのじゃ……?」
残された老人と兵士の驚きは、続きます。
勇者の為にと用意をしておいた伝説の勇者の剣や鎧、小手、具足、兜などの一式装備が消えています。
何故か、"言語の腕輪"だけが残してありました。
今の、召喚の光から現れし何者かが盗っていったとしか思えません。
しかし、本来は異世界から現れた勇者はこの世界の言語を話せないのです。
まずは召喚されし勇者へと言語の腕輪を授けて、様々な説明をして――。
勇者にその使命などを話す役割こそが、賢者の使命だったはずなのです。
勇者の剣は、斬った相手の魔力を全て奪う。
勇者の鎧は、倒した敵の魔力の一部を集める――などなど装備の説明もあります。
勇者の装備は、例えば竜になったりすると爪や牙、鱗となって守ってくれる――などなど。
すぐそこにまで軍勢が迫っているので、説明は端的なものになるはずでした。
それでも、老人の話は長いものですが。
しかし、何の説明もなく勇者らしき何者かはもう旅だってしまいました。
「あの剣や、鎧は勇者にしか扱うことは出来ん……。
きっと、儀は成功したのじゃろう……。しかし。」
呆然としつつも、賢者がそう呟いて。
何故、言語の腕輪を持っていかなかったのか。不思議そうに首をかしげます。
やはり使い方が分からなかったのか。
この世界では、精霊などと話す上でも必須だというのに。
――いずれにせよ。
召喚は成功し、賽はもう投げられた。
魔力を使い果たしたことで、賢者は疲れてしまいました。
護衛の兵士が賢者に肩を貸してくれつつ。
近くにあった椅子へとヨロヨロと向かい、ゆっくりと座れば。
そこに、巨大狼――。
フェンリルの咆哮が、聴こえてきました。