月下の祈り
自分が追ってる作者様より、有り難くも続きが読みたいというお言葉を頂いた事もあり、別の作品も書いてるところではありますが、不定期にこちらも更新してまいります。
遅筆、拙い作品ではございますが、宜しければ、ご覧くださいませ。
少女が祈りを捧げていた。
森の奥深くにある泉の畔で。
二つの月が優しい光を泉の水面に投げかけていた。
顔に様々な模様を描き、身体には薄手の衣だけを纏い、祈りを捧げる姿。そこに夜空の切れ目から差し込む月の明かりが降り注ぎ、彼女を照らし出す。身にまとう衣は、降り注ぐ柔らかい月の光だけだが、彼女の肢体をぼんやりと浮かび上がらせていた。髪は金を溶かして糸とした様な色を持ち、肌は透けるように白く、耳は笹の葉の様にピンと尖っていた。
二つの月から降り注ぐ月明かりに照らされながら、少女は一心不乱にただただ、祈りを捧げていた。
「……どうか、我々をお守り下さい。」
彼女はそれだけを口にした。
彼女は自らのいる部族の巫女だ。その地位は先代が命と引き換えに行う奇跡によって、次代の巫女に引き継がれる。先代から引き継いだ巫女という地位にありながら、今、何も出来ていない自分が歯痒い。それ故に、鬼気迫るかの如く、祈りを捧げているのだ。
“ その願いに答えよう ”
その言葉が唐突に頭に入ってきた。反射的に顔を上げ、辺りを見回す。祈りの泉には護衛さえも近づく事は許されていない。それ故に人影はない。だが……蝶が一羽舞っていた。
「……カカ神様でございますでしょうか。初めて御言葉を賜ります、アミダルス氏族のエアリル・レム・アミダルスでございます。」
姿は無けれども、そこにいる。それが分かっている為、彼女はその場で膝をつき、深々と頭を下げた。そして、返事を待っていると、暫くした後、声が頭に入ってきた。
”よい。そなたの言葉は届いておる。その言葉に応えてやろうと思うて、今、そなたに声を届けておる。”
その言葉に、彼女は頭を上げ、蝶に向かって顔を向けた。
すると、いつの間にか、目の前に一人の少女……というよりも幼女がいた。
彼女よりも幼く、背も低い。しかし、その瞳には永劫の時を見つめてきたかのような深淵……そして、何よりも全てを見通すかの如き理知的な光を宿していた。
「ああ、すまぬな。どうしてもそなたに思考を送る方式では伝達に時間がかかってしまっての。少々力を使ってしまうが顕現する事にした。」
彼女がカカ神と呼んでいた存在。それが今、目の前に居る。彼女の伝え聞く限りにおいて、この様な事が起こったという話は一度もなかった。
「いきなり現れた幼女に神様と名乗られて面食らっておるのはわかるが、『これは信じても良いのだろうか?』と言う気持ちが表情にでておるぞ?隠せ、隠せ。」
カカ神はカカカッと笑うと、エアリルの瞳を覗き込んだ。相手の瞳に、自身の顔が映る。互いにどう見ているのか、見られているのか。見て取れる様だった。
「!!……平に、平にご容赦を!!」
「良い良い。いきなり現れた正体不明の存在の言葉を丸々信じるよりもよっぽどマシじゃ。ゆめゆめ、その警戒心を忘れぬ様にな。そなたの心根は、ワシは十分に知っておる。頑張ったのぉ。」
無礼な考えをいだいた事に気づいたエアリルは、片膝を付き頭を下げて陳謝した。その言葉には畏敬の念と、自戒の念を感じられるもので、エアリルの心をカカ神に伝えていた。
そして、カカ神もエアリルが今まで行ってきた事、祈ってきた事を知っているため、優しく、彼女の労を労った。膝をついているため、頭の位置が下がっており、金糸の如き髪をよしよしと撫でてやる。
「ワシはそなたの祈りを直截に解決することはできぬ。だが、ワシの持つ権限にて、可能性をそなたに用意することができる。」
「可能性……ですか?」
エアリルは、伏せた顔を少し上げ、カカ神の瞳を見つめながらその言葉を反芻するように口にした。カカ神はうむ!と笑顔を浮かべて頷いた後、先程までと打って変わった真剣な眼差しをエアリルへ向ける。
「そう、あくまでも可能性じゃ。ワシを含む神々はいずれか一つの国を明確に勝たせる様な手助けはできぬ決まりとなっておる。どれだけ信仰心が厚くともじゃ。その代わりに、因果の乱数として、この世とは違う世より、人という可能性を連れてくることができるのじゃ。」
「人という……可能性……。」
「ワシらは、その者がこちらに来た後は、その者の判断に委ねることとなる。勿論、それなりにその者の素性や、性質というものを考慮はしておるが、こちらの世へ来たことによって考えが変わることはあり得る。故に、可能性なのじゃ。」
カカ神は神々の決まりごとと、そして、可能性について説明をした。エアリルはその内容を聞いて、頷く。
「……なるほど。その方のご助力を得られなかったり、ご助力いただけても力及ばなかった際は致し方なし……ということですね。」
「その通りじゃ。天運がなかった、相手の方が上手だったと諦めよ。」
カカ神の冷徹な言葉に、エアリルは頷くと共に笑顔を浮かべた。
「カカ神様、ありがとうございます。……私どもは座して滅ぶのを待つしかないところでございました。そこに、一片と言えども可能性をいただけるのであれば、十分でございます。」
「……そう言ってくれるとありがたい。しかし、もう一点、負担をして貰わねばならぬことがある。お主自身にじゃ。」
エアリルの満面の笑顔に、カカ神は罰が悪そうに顔をそむけ、頬を掻いた。自分自身にできることは限られている上に、絶対ではない内容なのに感謝の気持ちを率直に伝えてくるのだ。いたたまれないとはこのことだろう。更に、エアリル自身に一つ負担を強いねばならない。この事が、二重に罪悪感となっているのであろう。
「ワシが用意した可能性は、業病に蝕まれておる。これを癒やさねば、かの者の実力も落ちる上に、数ヶ月と保たぬであろう。」
「それを私が癒やすのですね。代償は何でしょうか。」
「・・・そなたの寿命の半分じゃ。そなたら森人族は数百年と生きる。その膨大な寿命の半分を使うほどの病じゃ。ワシがそなたを介し、そなたの生命を元に病を癒す。それほどじゃ。」
「謹んでこの身、この生命を捧げます。」
カカ神の代償についての説明を受けて、エアリルは笑顔を浮かべたまま、頭を下げた。願いを聞き取ってくれて、可能なことをしてくれる。であれば、自身の生命がいかほどの事であろうか。自分自身の生命の半分を捧げるだけで、彼女が抱える問題の突破口になる可能性が出てくるのであれば、代価としては安い。なにせ、今ここで死ぬわけではないのだ。父や母、一族に比べれば早く死ぬだろう。でも、今、ここで死ぬわけではないのだ。それならば、捧げることは厭わない。そう、彼女の心は叫んでいた。
カカ神はその言葉を受け止めるように、彼女の頭を優しく抱きかかえた。
二度、三度と頭を撫でた後、彼女の顔を自分に向け、鬼気迫る瞳でエアリルへ指示を出す。
「そなたは泉に浸かり禊をせよ。ワシはこれより、可能性を呼び寄せる。」
「承知いたしました。」
「うむ。・・・楓よ。聞こえておろう?門を開くぞ!」
『御意。既に交渉済みにて、準備万端整っております。』
エアリルは、カカ神に指示された通りに泉へ、静々と浸かっていく。そして、一度頭の上まで潜り、泉から上がろうとした所、丁度カカ神がその力を振るう寸前の光景を目の当たりにする。
「我が名、愛宕権現の名において、全ての神々へ奉る。ここに二つの世をつなぐ門を生み出さん!彼の地よりこの地へのみの道を、今一度、ここに!!」
カカ神・・・愛宕権現がそう祝詞を口にすると共に、白く光る球体が現れ、光を増していく。それは夜なのに真昼の如く辺りを照らし出し、直視することは困難だった。エアリルも耐えられずに片手を目の前にかざし、隙間から見届けようとする。
暫く光を放つと少しずつ弱まっていき、それと共に、球体が二つの人影になっている。片方は片膝をついたかたちで、もうひとりは足を組み、腰を下ろした状態なのがわかる。
「愛宕権現様、おまたせ致しました。かねてより指示のございました、大谷刑部少輔吉継殿をお連れ致しました。」
そう、そこに居たのは関ヶ原より消えた大谷刑部少輔吉継と、誘った当人である修験者姿の楓であった。