62:頑固者のほぐし方
「どうして......止めたんだい?」
僕は刃が繋さんの首をはねる直前、その手を止めた。
「普通でいるため......です」
僕は選んだ。
兄も死に、藍河先輩がこれ以上普通から逸脱しない選択を。
「そうか......」
藍河先輩は僕に言った。
やりたいことを強く明確に思って実行に移せば、きっとうまくいくと!
死ぬより悪いことなんてない。先輩の教えを忠実に実行すれば、僕は生きる!
そう決意したのは良かったが、藍河繋を殺さず、なおかつ自分も生き残る道。どうすればその道にたどり着けるのかわからなかった。だが、それでも実行するんだ。
どうして藍河繋は僕を殺したくなったんだ?
それはきっと彼らの計画を邪魔したからだ。だから目障りな僕を殺して計画の再生を図ろうとした。そこから僕が殺しの標的から外れるには、やはりもう自分は無害だと主張するしかない。しかし無害だと主張しても、計画がリスタートしてしまえば、結局元通りになってしまう。
僕がやるべきことは、一番に自分の人畜無害さをアピールし、二番に計画の再始動を止めることだけど、これはもうかなり無茶苦茶だ。一番と二番は余りにも真反対のベクトルの問題だ。
自分が無害の人間では、計画が再始動してしまうし──計画を阻止するなら、やはり僕は有害な人間にならなくちゃいけない。
考えれば考えるほど、何かを諦めなくては突破できない問題だらけ。思わず歯ぎしりをしてしまった時だった。
「もういいんだ桜庭くん、もう考える必要はない」
繋さんはそう言って、唐突にその場に座り込んだ。
「は......?」
なんでこの人は急にこんなことを?
急に武力を放棄した男の意図が読めない。武力だとか以前に、そもそも武器を持ってきているような風ではなかった。だが、目の前に刀を持った人間がいる──一度は首筋ギリギリまで刃を振るったと言うのに、そんなもの意に介さず堂々とその場で座するのは、武器無き人間の最後の武器である、徒手空拳を捨てたということで......。つまり残されたかすかな武力も放棄したのだ。
今日一番で混乱した。思わず刀を持つ手に力が入る。
「驚くと思うけど、僕と桜庭くんはそもそも戦う必要はないんだ」
何か......狙いがあるのか......?
ただ彼は国家プロジェクトを担うほどのスペックがあるので、この状況を打破するのも特に難があるわけではないのかもしれない。
ならば僕を油断させた上で、一気に逆転し敗北感を与えて殺す。あり得る。
「いやだからさ、そんなに怖い顔しなくていいんだよ。本当だよ?」
すると繋さんは僕に何かを放り投げてきた。
至近距離でわずかに放物線を描いた黒い物体。左手の鞘を捨て、キャッチしてしまったが、本来殺し合い中にやってはいけないことだ。どんな殺傷能力があるかわからないから。
とはいえ僕がキャッチしたものは何の変哲も無い黒いスマホだった。いや、何の変哲も無い物こそ注意すべきだが。
「この通話相手......なんで」
僕は驚く。なぜなら受け取ったスマホは通話中で、藍河先輩の名前が表示されていたからだ。
「先輩......?」
恐る恐る、僕は電話の向こうの相手に問う。
『ああ、私だ』
いつも生徒会室で聞く藍河先輩の声だった。
「どうして電話に......まさか捕まってるんですか!? 今どこですか!?」
最悪な状況が次々に頭をよぎる。
『まあまあ落ち着け桜庭君』
しかし先輩は随分と腑抜けた声で、あまりに緊張感を感じさせない。
「お、落ち着けるわけないじゃないですか!」
落ち着けるわけない。僕は今、藍河先輩のために戦っているのに、急にターゲットから電話を渡されて、通話相手は守るべき人で......。
こうなると先輩がどこかに捕らえられているとしか考えられなくて。
『頼むから冷静になって私の言うことを聞いてくれ、ただ聞くだけでいい。耳に入れるだけでいい』
情報を入れるだけでいいんだ──と藍河先輩は言う。
僕は繋さんの方を一瞥する。何も変わらない、さっきとポーズも表情も。
「......わかりました」
意味不明な状況から脱するために、僕は先輩の言葉をまずは聞いてみることにした。
そうしなければきっとこの場は始まらない。それだけは確かだった。どういうわけか理解しようにも、今の熱くなりすぎた僕の脳では、とてもじゃないが重すぎる処理だった。
そして藍河先輩は真剣な口調で言った。
『私と藍河繋は和解した』
戯言にしか思えなかった。
「いや......でも、それは」
『信じられないかもしれないが事実なんだ』
突然の事実に僕は黙っていた。沈黙以外に行動できなかった。
しばらく音はなく、夜風だけが僕の身体に触れていた。
どうしようもない沈黙を破ったのは繋さんだった。
「僕は元々君を殺す気はなかったんだよ」
わけがわからない。
『私達はもうとっくに昔の仲に戻っていたんだ。君は知らなかっただろうけど』
「仲直りなんていくわけないじゃないですか。だってこの人は藍河先輩に......」
『......前提として私の才能、スペックは藍河家で一番だという事を忘れるな。それがわかれば、あの時の事件が茶番だったってことがわかるはずだ』
簡単に理解できてしまった。
なぜ気付かなかった。あの喫茶店での誘拐事件。そもそも藍河先輩は藍河繋に捕まることはない。何故なら藍河先輩は藍河繋より天才だから。
確かに、昔は組織に捕らえられたりもしたが、それとは全く違う。研究組織が藍河先輩を監禁することができたのは、藍河家の父母もまた天才で、更には多くの構成員を動員することもできたからだ。
先輩と繋さん。タイマンならまず先輩の敗北はありえない。凄すぎて一人ではどうしようもないから、組織も多くのリソースを注ぎ込んで、藍河先輩を抑え込まねばならなかった。
「理解......できました」
だけど、それでも納得できないところがある。
「でもどうして和解なんてできたんですか? 藍河先輩は繋さんのこと許せるんですか?」
『許すしかないんだよ、前に進むには』
それに、と付け加えて、
『うちの兄だって被害者なんだからな』
「藍河繋が......?」
『繋は研究に参加せざるを得なかった。そうじゃないと組織に抹殺されるからな』
......そうか、繋さんも藍河先輩に及ばずとも、世間的にはとびっきりの魅力ある天才なんだから──それに組織が目をつけないわけがない。結果として被験体ではなく研究者としてだが、研究に大きな影響をもたらしたはずだ。
仮に反発しようものなら、藍河先輩のようにどうしようもない数の暴力で、ひっ捕らえられたはずだ。しかも大事な被験体ではない以上、使い捨てなど容易なのだから、殺されてもおかしくない。
『繋は......殺される覚悟でここまできた。だからちゃんと話し合ってほしい、お願いだ』
「......善処します」
しかしどうして。
「どうしてこんなやり方を......?」
『ははは、君は普通に話したって納得しないだろ。だから特殊な状況を作ったんだよ』
「そんなことないですって!」
『いやあるね』
否定しつつも、なかなか納得しなさそうな自分が想像できた。こんな状況だからこそ、あえて聞く耳を持てたというのも、間違いはなかったのかもしれない。
僕は全くもって悪い意味で頑固だ。
よく考えもせず、盲目的に怒りをぶつけすぎていた。だから藍河先輩も繋さんも困って、わざわざこんなまどろっこしい方法を取ったんだ。
今更ながら自分自身が呼び寄せた騒動に、笑いが込み上げてくる。
僕って馬鹿だなぁ。
「藍河先輩......僕、ちゃんと話します」
『頑張れ、君ならうまく話せるさ』




