61:過去と選択の切り捨て
「わかってると思いますが、今更話し合いで解決しようなどとは言いませんよね?」
僕は警戒していた。右手で刀の柄を握ってしまえば、繋さんに攻撃を察知されてしまうからだ。そもそも左手に鞘入りとはいえ刀を抱えている以上、もう警戒もくそもないのだが、それでも刀は柄を持ち、鞘から抜かねば話にならぬので、右手をフリーにしているのは今できる最大限の『現在は攻撃する気なし』アピールだった。
「それは君次第だが......やめる気ないだろ?」
そうだ、もう止まれない。この戦いは止まらない。
一歩ずつ近づいて来る繋さん。僕はただ限界まで待つ、刀の間合いに入ってくるまで。
とてつもなく長い一歩、足の動きがまるでスローモーションだ。
あと十数歩で間合い......!
凛子さんからのレクチャーで、刀の間合いを教えてもらったが、結局付け焼き刃の訓練では、完璧な間合いを測る眼を手に入れることはできなかった。しかし僕はそれでも集中し、繋さんの動きを捉え続ける。
「どうして桜庭くんは僕を恨んでいるのかな」
唐突に藍河繋は立ち止まった。
このまま間合いに入ってくれるものかと思っていた。故に僕は悩む、このまま待ち続けるべきか、もしくは、前に進んで無理やり奴を間合いに入れるべきか。
「何故今そんなことを聞くんですか」
僕の選んだ答えは待ちつつ、対話をする事だった。
緊張など一切ないような繋さんは、小さく笑いながら言った。
「今しかないと思ったんだ、今がもう最後だからね」
僕の最後なのか藍河繋の最後なのか、それはわからない。
にしてもやけに様子が変だった。喫茶店での邂逅では、僕も気が気でなくて気付かなかったけど、昔会った藍河繋のような気持ちの悪い圧迫感を感じられなかった。
もしかしてこれは偽者で本物がどこかに隠れている? 隠れられるような場所などないはずだが。周囲をじっくり確認したいが、やってしまえば警戒されてしまう。予想と予測だけで決めつけるしかない......。
「だからもう一度聞くけど、どうして君は僕を恨んでいるのかな?」
「お前のせいじゃないか!」
と、反射的に言ってしまいそうだったが、僕はそんな喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
揺らいで集中力を削がれてしまえば、その隙を突かれて殺されかねない。
付け焼き刃の観察眼でも、繋さんが刀の間合いに入ってないことは明らかだった。故に、いくら挑発を受けても、僕は過剰な反応をすることはできない。必殺の一刀が決まる距離まで、理性で抑えておくしかない。
一方、藍河繋は喋ることをやめなかった。
「そこまでして僕達家族の夢を壊そうとするのは何故だい? 究極の天才──人類の理想を創り上げる、偉大な計画を邪魔する理由が僕にはわからないんだよ。多くの人間が期待していた、誰もが天才になれる最高の研究を、木っ端微塵にした君の罪は本当に重い、人間一人が背負うには余りにも重すぎる罪だ。本来相容れない、協力などしてはいけない各国の要人や裏の世界の住人が、この計画の成功の為に仲良くしようとするくらいの大きな物だった──」
完璧な人間を創る計画。それがどれだけ偉大なものなのかだとか、世界を良くするために必要だとか、藍河繋は僕に聞かせ続けた。
僕が藍河先輩に初めて出会ったのは、中学三年生になる前の春休みの頃だった。
偶然道端に倒れていた藍河先輩を見つけ、酷く混乱したものだ。何せ可愛い女の子が、患者服を着て倒れている状況なんて初めてだったから。
「だ、だ、大丈夫ですか!!」
もう何をすればいいのかわからず、パニック状態の僕は、大丈夫ですか大丈夫ですか、とずっと繰り返していた。普通の中学生には少し厳しい状況で、周りの人に助けを求めるとか(そもそも周りに人はいなかったが)、脈を調べたり、心臓マッサージをするとか、何も頭に浮かばなかった。
そうやってパニクった僕を尻目に、藍河先輩はよろよろ立ち上がって言った。
「私は大丈夫、構わないで」
そして立ち去ろうとする藍河先輩を見た僕は、構わないでという先輩の言うことを聞かず、馬鹿みたいに後ろを付いていった。何をどうすればいいのかなんて何もわからないくせに、正義だけは一丁前に心に秘めていたのだ。
「えっと、本当に大丈夫? 肩貸そうか?」
「いい、大丈夫だから、どっか行って」
何も言わず肩を貸してあげればいいのに、一丁前の正義とは逆に一丁前の勇気がなかった。
しかしどっか行けと言われても、今にも倒れそうな人は見捨てないくらいの勇気はあったが。
ただ、その日は結局何かが起きることはなかった。
藍河先輩はこの頃から既に才覚溢れていて、巧みな逃走術であっという間に撒かれてしまったのだ。
そして数日後、小さい寂れた公園で僕は藍河先輩に再会した。
「あっこの前の」
「はぁ......」
ため息をつく藍河先輩のおかしな様子に僕は気付く。体と服の汚れがすごかった、もう何日も家に帰ってないかのような。綺麗な白い肌と水色の患者服に、土の汚れは余りにも目立ちすぎた。
僕は藍河先輩を自宅に誘った。何かおかしなことに巻き込まれているんじゃないかと思い、それなら助けなければと思ったのだ。
この時、藍河先輩は研究所から逃げ出し、追っ手から逃げ隠れていたのだが、それでも思いっきり熱いシャワーを浴びたいという気持ちには抗えなかったようで──僕は両親のいない自宅に、無事初めて女の子を連れてきたのだった。
当時の僕の家は、親がよく仕事で家を留守にしていたので、藍河先輩を家に匿うのは案外うまくいった。
何故、藍河先輩が僕の家で居候することになったのか。それは僕が非日常に憧れる年齢だったのもあるし、先輩が僕の家を潜伏場所にぴったりだと判断したこともあったし、何よりとびっきりの美少女にお願いされたら、普通の中学生はまず断れないだろう。
それから春休みが終わるまで僕らは一緒だった。中学三年生としての中学生生活が始まり、この人は学校行かないのか? と思いながら、数週間経った頃だった。
家に僕と藍河先輩の二人だけの時、自宅に押し入ってきた黒ずくめの男達が、一瞬で僕らを捕らえた。
僕はそのまま暗い部屋に送られ、殺されるのを待つ身だったが、そこで凛子さんが助けてくれた。
そして僕と凛子さんは、藍河繋の所属する研究組織と相対することになった。
僕らが誘拐される少し前、藍河先輩は泣きそうになりながら言った。
「桜庭くん......ありがとう。私、こうやって普通に人と話して、普通に遊んだりすることが、こんなに楽しいなんて思わなかった」
僕が外で見たことを話したり、一緒にゲームをしたりするくらいだったが、それでも藍河先輩はとても喜んでくれていて──同時に研究に嫌悪を抱いていることを仄めかしていた。
凛子さんに研究の詳細を聞かされた時、中学生の女の子に施していいような行為ではない思ったからだ。
自由なんてない、ただ天才を超えた者になるためだけに、無理矢理決められたプログラムをこなすだけ。
簡潔に言えばこんなものだが、実際は想像を絶するものだ。
藍河先輩は天才だったけど、それでも普通の人間で、普通の感覚を持った普通の女の子だった。
彼女は普通の人間でありたかった。
その後、僕が持ち込んだ爆弾で組織は吹き飛んだ。彼女の両親は組織とともに亡くなった。
でも僕は悩んでいた。いくら外道な親とは言え、殺していいのかと。だって親が居なくなれば、藍河先輩はより特殊に近づく──普通から離れる。
だからこそ素直になれずにいた、先輩からの好意を受けても、どうしても彼女の両親を殺してしまったことを悔やんでしまう。
あんなことをしてしまった自分が、先輩といていいのか。
結局、なあなあの付かず離れずのままだった。
近付くわけにもいかず、離れたくもなくて。
「桜庭くん、何故僕を恨む?」
選択の時は既に迫っていた。
いつの間にか目の前に佇む藍河繋を見据え、僕は刀の柄を右手で掴んだ。
最速の一振り。
居合の轟音が鳴り響く。




