60:夜空の下の決闘
街で一番背の高いビルの屋上で、僕は夜空を見上げていた。昼間のような流れて行く雲はなく、動くのは小さな飛行機だけだ。それぞれ違う輝きを持つ星々に見惚れつつ、僕はその瞬間を待ちわびていた。
数時間前、凛子さんは言った。
「この店から歩いて十五分くらいのところに、でかいビルがあるよ」
「ビルに何かあるんですか?」
「何かあると言うわけじゃないよ、でも一番高い建物の屋上に居れば、別地点からの狙撃などは防げるからさ。そうすれば藍河繋は直接君を叩きに来るしかなくなる」
凛子さんは奴がヘリコプターに乗り、屋上と平行線の位置まで飛行し、銃撃してくる可能性があることも示唆したが、藍河繋の感情論がそれを許さないと、凛子さんは判断した。
無茶苦茶な論である。
もっと直接的な方法、ナイフや鈍器、自分の手で君を殺しにくるはずだと言ってはいるけど、いまいち納得しかねる。
とは言え一般人である僕の論理より、多くの才を持つ凛子さんの論理の方が、的中する確率が高いのは確かである。
命を張るような状況ならば、自分を信じ、貫き通した方がいいのでは? と虫のいい意見もあるだろうが、命を突っ張るのならどう考えても生存率の高い方を選ぶべきだ。あえて確率の低い方を選んで、逆に生存率を高くしようなどという手も、なくはないが......しかし僕はただの人間で、これはただの人生で、決して脚色された作り物なんかじゃない。
論と理のない逆張りはただの自殺行為であり、ドラマチックな希望を持って神頼みの選択をしたところで、現実がそれを打ち砕く。
藍河繋に勝つと言うのなら、神頼みを捨て、勝利の確率が少しでも高い道を選び、たった一つでも勝ち筋を作っておくべきだ。
そういうわけで僕は僕より優秀な凛子さんの頭を信じることにした。優秀でない僕なんかが信じた人間は本当に優秀なのか、そんな堂々巡りになる問いなんて捨て、僕は必死に凛子さんの考えを聞いて、まとめて、理解しようとした。
結局凛子さんの出した答えは、後の先を取り一撃必殺問答無用で敵を切り伏せる、というものだった。
屋上と感情論の二つが遠距離攻撃を防いでくれている。更にビルの屋上は障害物もなく、隠れる場所がないので、奇襲を受ける心配がなかった。と言うより、奇襲を受ければそこで終わりなので、正面切って戦うのが最も勝率が高かったというだけなのだ。
凛子さんは僕に一本の刀をくれた。
しかし和の物ではなく、完全にデジタルな武器だった。
「これは充電式の自動居合斬マシーンだよ。これを使って彼を倒すんだ」
「自動居合斬り? この刀が勝手に動くんですか?」
「そうさ、間合いに入った敵を自動的に一瞬で斬る近接武器だ」
自動......ほとんど僕のやることはないんじゃないだろうか。ただ顔と顔を合わせるだけで終わりそうだ。
「実際のところこれが確実だし、これ以外はきついだろう」
「わかってます」
そう、わかっている。藍河先輩には及ばずとも、藍河繋もまた天才なのだ。そんなやつと自力の格闘になったとして、勝てる確率なんてゴミクズのようなものだろう。ならばもう武器に頼るしかないのだ。
ため息をついていると、突然凛子さんが僕の肩に手を置き、口を開いた。
「それでも君の先輩よりは弱い」
「......それはそうなんでしょうけど」
「いつも彼女の隣に居たんだ、僅かに確率はある。人ならざる天才に慣れた一般人なら、ごく普通の一般的天才程度ならどうにかなるかもしれないってことだよ」
たとえ全身全霊の一刀が届かずとも、決して諦めるな──と凛子さんは僕を励ましてくれた。
夜風に当たりすぎて少々冷えてきた。
僕は過去の回想を終え、腕時計を確認した。
「もうすぐ十二時だ」
鞘を握る手が震える。汗が滲む。
本当に僕は大丈夫なのか? もうちょっと凛子さんに、アドバイスを貰った方が良かったんじゃないのかな。そもそもプライドなんか捨てて、藍河先輩を除く生徒会の面々に、援護を求める方が勝率は上がるというものだし。
とは言え、もう決めてしまったことだ。今更変えることはできない、なかったことにはできない。今までの選択が僕をこの瞬間まで運んでくれた。もう後悔なんかせずに、当たって砕けるだけだ。
もちろん砕ける気など毛頭ない。それは藍河繋も同じで、僕らの本気と本気のぶつかり合い。しかしそれは一瞬で終わる殺し合い。
僕の一振りが回避されたり、防御されたり、不発に終わったりすれば、もう為すすべはない。
ついネガティブ思考に陥る僕を正気に戻したのは、屋上につながる唯一の扉が音を立てて開いた時だった。
「本当に来るとは思いませんでしたよ、繋さん......」
藍河......繋!
「こんばんは桜庭くん」
繋さんは優しく微笑み、そして最初で最後の殺し合いが火蓋を切った。




