35:約束
★★★
四月二十九日。火曜日。
祝日なので学校は休み。
前日は李星人と色々あって疲れてたらちょうどよかった。
昨日の総括。
つい怒ってしまったら敵が勝手に帰っていった。
なんか知らないけどいつの間にか仲良くなったみたいに、アレクサンゲリアンとか言う桃が無料通話アプリのRAINで連絡してきた。
どこで連絡先を手に入れた。
ちなみに届いたメッセージは。
『キミの通ってる学校ってボクのアジトの上?』
というもので、すごく嫌な予感がしたので既読無視した。
にしても、昨日はよくああも上手く敵の侵攻を避けることができたものだ。
我ながら自分が恐ろしい。
ぶっちゃけ、あの李星人が勝手に意味不明なことを口走り始めて、僕の名前を聞いた後「フッハッハッハッハ!」と笑いながら去っていっただけなのだが。
マジでなんだったんだあいつは。
ちなみに、その後すぐに凛子さんから抗果汁剤を貰って、生徒会一同にそれを配った。
そして今日、午前十時。
僕は近所の公園に居た。
ベンチに一人座り込んでいた。
「あー、暇だなあ」
友達に遊びに誘われたのはいいけど、皆が僕の持っていないゲームで通信対戦をやり出すという、いじめだと思いかねない時くらい暇だ。
そんな暇を持て余している僕のために神様が何かしてくれたのか。
僕の眼前にザッザッザッと足音を立てて誰かがやって来た。
「桜庭君、おはよう」
藍河先輩だ。
片手をひらひらと振っての挨拶を見て僕も同じように挨拶する。
「おはようございます藍河先輩」
「ここで何を? ちょうど桜庭君の家に行くところだったからよかったけれどな」
「いっつも僕の家に来ようとしてません?」
別に駄目なわけじゃないけど。
「ほれ、これ買ってきた」
先輩は持っていた小袋から何か取りだし、そして差し出す手の上にはたい焼きが一つ。
美味しそうな匂いが鼻の奥にすうっと入り込んできた。
「あ、どもです」
たい焼きを受け取ると藍河先輩は僕の隣に腰掛ける。
僕は鯛の頭からがぶりと噛みついてやった。
「あまっ、うまっ」
甘くて美味しい。
こし餡うまぁい、やっぱりつぶよりこした方がおいしいんだよ。
「私はつぶ餡の方が好みだよ」
心を読んできたのか、藍河先輩はニヤッと笑って言った。
「こし餡の方がおいしいです」
「いやつぶ餡の方が激ウマだから」
「何言っているんですか、こし餡が神です。て言うかつぶ餡とかあれでしょ? 小豆潰したり皮取ったり裏ごし面倒だから放置したあれでしょ? てきとーあんこじゃないですか」
「君こそ何言ってるんだ。こし餡なんかあれじゃないか、とりあえず潰しとけーみたいなやつだろ? つぶ餡は舌触りとかインパクトあるし、小豆が残ってるから香りが良くて甘そう、というプラシーボ効果まであるんだぞ」
「それ個人の脳の処理によってまずくもなりますよね?」
「……うん」
駄目じゃん。
やっぱこれだね、ロッテリアのこし餡。
「まあこし餡も悪くはないけれどな」
僕のたい焼きがこし餡なので恐らく藍河先輩のたい焼きもこし餡なんだろう、それをおいしそうに頬張っている姿を見るとこう思う。
こし餡の勝利!
無言でたい焼きを口にし、しばらくして二人揃ってたいらげた。
「あーおいしかった」
「ですねー」
「随分と疲れてる顔してるが?」
「……全然。大丈夫ですよ」
「そうならいいが無理はするな。何かあったらすぐに私の元に来い、どんな病気だろうと治療してやる、優しく看病してやるから」
「病院行ってますね」
「おい!」
藍河先輩の治療は長引きそうだ。少しでも一緒に居たいからとかいって。
「ふぅ……」
僕は一旦心を落ち着かせ、体を落ち着かせる。
大きく深呼吸する。
「すぅー、はぁー。……よし」
「? どうした?」
「藍河先輩、今日ちょっと遊びません? 一緒に」
隣に。
「……ほほぉ、君からそんな誘いをしてくるとは……。なんだ? 今日は何かサプライズがあったりするのかな?」
「別に何もありませんよ」
「まあ、そうだよな。ただ証明しなきゃいけなくなったもんな。あんな啖呵切ってしまったら退くにも退けないだろう、はははは」
「しょ、証……明?」
「あ」
「ちょ、ちょっと藍河先輩もしかして」
「ん? 私はさっきはサイレントモードだったからどんな微かな音すらも発してないぞ? 多分桜庭君の幻聴だろう?」
ないない、ありえない。
「もしかして、もしかしてですけど先輩。昨日のあれ……聞いてたんですか」
マジで? マジで?
まさか、まさか、あの時の事を見られた?
「……聞いて……いない」
「本当の事を言ってください……」
「…………」
藍河先輩は少しだけ悩む素振りを見せてこう答えた。
「……見ました。全部見ました」
「うわ……そんな……」
恥ずかしい……。
超恥ずかしい……。
これは本気で頭が沸騰しそうだよぉ、な展開だ。
ぁぁ……嘘だろ……。
「いや、まあ、その、ごめん」
隣に座る藍河先輩がそっぽを向く。
「そのだな……決して故意じゃない。ただ、一人で薬品を取りに行くのは寂しいだろうし、敵が出てきたら危ないしと後から付いて行ってみたんだが、そしたら偶然にもあの状況に出くわしてしまったという……」
「ど、どこからどこまで聞いたんですか?」
「ほぼ最初から最後まで」
恥ずか死ぬ。
だって自分でも後から思い返して、我ながらすっげえこと言ったなぁと思ったもん。
あぁ、なんか目の前も頭のなかも真っ白になってきた……、どうしよう、どうしよう。
「桜庭君」
「は、はい」
「嬉しかったよ。とても嬉しかった」
藍河先輩にしてはちょっぴり小声でもごもごした喋りだった。
ひょっとすると藍河先輩がそっぽを向いたのも恥ずかしかったからなのかもしれない。向こう側でかぁっと顔を赤くしているのかもしれない。
「さすがの私としてもだ……。あんな風にストレートにずっと傍に居るだのなんだの言われると、ちょっと驚いちゃうと言うか。私のことを悪く言われて、桜庭君があそこまで言い返してくれることがすごく嬉しくて……ちょっぴり喜んじゃったというか……」
桜庭君──と想いのこもった声で、何もない虚空の方を向いたまま。
「ありがとう」
私は君のおかげでまだ頑張れそうだ──と言った。
「いえ……どういたしまして……」
それ以外に何も言えなかった。
数十秒の静寂が訪れた。
小鳥のさえずりや虫の鳴き声が聞こえるだけだ。
「なあ、桜庭君」
「はい?」
藍河先輩がようやく僕に顔を向けてくれた。
僕の好きな笑顔だった。
「今度は二人で一緒に言ってやろう」
二人で?
「私と桜庭君で、証明しよう」
……うん。
「私なんかとるに足らない一市民なんだって」
……うん!
「私は桜庭君と同じ人間だって」
★★★




