ドア
あるマンションの一室に鋼鉄製のドアがあった。
至る所に錆やヘコミがあり、これまで何年もの間色々な住人が利用していたことが分かる。どこにでもある普通のドアである。しかし、このドアは他のドアと違うところがあった。ドアは自我を持っていた。
ドアは五感のうち触感と聴覚だけを持っていた。もちろん蝶番で留められているため、自分で動くことはできない、ただ与えられる刺激を受け入れるだけだった。
ドアは動くこともできず話すこともできないので暇であった。聞こえてくる車や工事の音、風により飛ばされ自分に当たってくる小石など感触等しか日中は刺激がないからである。しかし、唯一そんなドアにも楽しみにしていることがあった。
そろそろその時間である、ドアは身構えた。
女性がドアの前に立ち、トントントンとリズム良くノックをした。
「やあ、こんばんは」
ドアが一日ぶりに聞く、住人である男性の声である。
「こんばんは」
そして、それに応答する女性の声。
女性は男性のガールフレンドであり、毎日夕方になると晩御飯を作りにきていた。彼女が部屋に入ると普段無口で人付き合いも良くない男性が頑張って話し始める。しかし、話すことは得意ではないので所々詰まったり声が裏返ったりする。しかし、女性は気にも留めずそれに対して優しい声で会話をする。ドアは、ノックから始まる二人の交際を聞くのが大好きだった。
時が経つにつれ男性もスムーズに話せるようになっていった。それに伴い二人の仲は深まっていき、遂に男性がプロポーズをしたのだ。女性が快諾したのを聞くと寡黙な男性は女性と交際することになった日と同じように嬉しそうな声を出し喜んだ。
ドアも喜んだ。二人の生活をこれからずっと見守っていけることが天からの恵みであるのではないかと思った。
しかし、そんな日常は崩壊した。
二人が住む国が戦争を始めたのだ。隣国からの侵略に抵抗する戦争であった。隣国の軍事力は高く、国は苦戦を強いられた。
そして、ついに、ドアが恐れていたことが起きた。男性に徴兵の通知が来たのだ。女性は悲しみの涙を流し、男性は、泣きはしなかったが、別れの言葉はか細い声であった。話せるものならドアも惜別の言葉を贈ったであろう。
男性が戦争に行ってからと言うもの女性は毎日男性の家を訪れた。もしかしたら帰っているのかもしれないという淡い思いを抱いて。女性はノックをする。しかし、いつもの男性の出迎えは無い。それでも女性は毎日毎日夕方に訪れてはドアをノックする。
女性が来るたびにドアは憂鬱になった。女性の足音が自分に近づいてくる音を聞く度に部屋の中に男性がいないことを知っているドアは辛く感じた。
戦争の状況は芳しくなかった。敵の侵攻が国の三分の一まで進んでいた。男性の家がある地域 までその手は伸びており女性は別の地域へ避難しなければならなかった。
女性がノックをする最後の日。荷物を背負った女性がドアの前に立っていた。そして、震える手でノックをした。
トントントン。
もちろん返事は無い。女性は名残惜しそうにドアに触れた。
そしてドアから背を向けたその時であった。轟音が鳴り、地響きが起こった。マンションが爆撃を受けたのだ。天井や壁にひびが走った。ドアも大きく縦に震動し金属の軋む音が聞こえた。
そして、女性の頭上の天井が崩れた。瓦礫が女性を襲う。眼を瞑り、鞄を頭に被せ女性はしゃがみこんだ。瓦礫が自分にぶつかる痛みに備えたが不思議にもそれが来ることは無かった。地揺れが終わるのを確認し女性は眼を開いた。その眼に映った物は自分を瓦礫から守るように盾となりひん曲がったドアであった。壁が崩れたことにより建てつけが外れ偶然女性に覆いかぶさったのかそれともドアが何かしらの力を使い女性を庇ったのかは分からないが確かにドアは女性を守った。ドアからただの金属板になったドアはすでに意識は無く、その後女性が無事避難できたかどうか確認することはできなかった。
ドアは気がついた。自分が意識を失ってから何が起き、どれくらい時が経ったのかは分からなかった。しかし、自分が再びドアとして利用されていると言うことは分かった。あの二人はどうなったのか戦争はどうなったのかドアは心配になった。しかし、自分はドアでありどうすることもできなかった。
その杞憂はすぐに解消されることになった。
トントントン。リズム良いノックが鳴った。
「おかえり」
「ただいま」
赤子を抱いた男性が買い物袋を持っている女性を出迎えた。そして、二人の会話が始まった。