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Like A Broken Mirror  作者: 勾田翔
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8(二月六日――午後六時九分~午後七時四五分)


   8(二月六日――午後六時九分~午後七時四五分)


 人の気配の全くしない工場地帯は、何とも不気味な雰囲気を醸し出している。時折、何かの部品が落ちたのか、小さな金属音が木霊した。

「止まって!」隣を走っていた葛城が、声を上げた。

 五十嵐は言われた通り立ち止まるが、「何だ? もう安全なのか!?」と切羽詰まった声で彼女に尋ねる。

「違うわよバカ。第一、この状況で安全な場所があるとでも思ってんの?」

「ッ……じゃあどうするんだよ?」気づけば、彼女に対する敬語は完全に抜けていた。この異常事態では、そんな事に気をまわす余裕など全くなかったからだ。葛城の方も五十嵐の態度について、何か問いただしてくる事はなかった。

「こうするの」葛城は答えながら、ブレザーの内側から、ジュースの缶のような物を取り出した。「窒息死したくなければ下がってなさい」そう言って、手に持っていたそれを思い切り、地面に叩きつけた。

 次の瞬間、缶が破裂し、その中から何かが舞い上がった。

 銀色に輝く、大量の薄い紙のような物が辺りを漂っている。それは器用に空中で静止し、地面に落ちる事はない。五十嵐は恐る恐る、その中の一枚を手に取った。

「金属箔……?」

「当たり」葛城が人差し指を立てる。「聞いた事くらいあるんじゃない? 電波攪乱装置――『チャフ』よ。軍隊とかでも普通に使われてる。これによって電波が乱反射されて、電子機器が正常に作動しなくなるの」 

 彼女は、首を動かし、上空を見上げた。五十嵐も同様に上を見る。

 視線の先には、何台もの防犯カメラが設置されていた。

「今時、防犯カメラなんて街中のいたるところに設置されてる。そして、それらは必ずしも『正しい事』に使われているとは限らない」葛城は歌うように語る。「それなりの技術があれば、コイツらをハッキングする事なんて難しくない。犯罪防止を掲げて作られたカメラは、日夜、元気に犯罪の片棒を担いでいるのよ」

「つまり……あれか? さっき俺達を狙ったヤツが、ハッキングしたカメラを通して俺達を見ているって事か?」

「意外と賢いわね、アンタ。二学期の期末考査、赤点六教科も取ってた割には」

「ちょっと待て! 何で知ってる!?」顔を真っ赤にした五十嵐が、噛みつくように叫んだ。直後に、「うるさい」の一言と共に強烈な平手打ちをくらう。

 葛城は、眼の前の金属箔を指で弾き、「ま、でも問題ないわよ」と言う。「だからこそ、たった今カメラは全部潰した。ここに入ってしばらく経ってからチャフを使ったのは、今この瞬間も、私達を追っている者がいると推測したから」

「……? どういう……」

「あ、そこまでは分からない?」少し、小馬鹿にしたような表情を見せる。「この通り、ここは迷路みたいに入り組んでる。つまり、追跡者の方もこの迷路を攻略中ってわけ。だったら、対策は簡単。『しばらく泳がしておいてから、一気に情報を断つ』の。相手は私達を見失って、おまけにこの迷路に取り残される。十分過ぎるくらいに時間は稼げるわ」

 淡々と説明していく葛城。そんな彼女を五十嵐は唖然とした表情で眺めていた。

「……お前は……」やがて五十嵐は、怪訝そうに呟く。「一体……『何なんだ』?」

 瞬間。葛城の眼つきが変わった。小さく口許を歪める。気圧されそうになるが、どうにか平静を装った。

「頭が良い、悪いの問題じゃない……! チャフだったか? こんな代物をどうして持ってる? 俺は、軍とかそんなモンに詳しくはないけど、これを『ただの高校生』が持っていていいはずがない事くらいは分かってる……! こんな状況で、『ただの高校生』が冷静でいられるはずがない事くらいは分かってる……!」

「……ふうん」と葛城は瞳をギラつかせた。「知りたい?」

 刹那。

 腹に鈍い痛みを感じた。肺から空気が絞り出される。一瞬遅れて、葛城に膝蹴りを突き込まれたのだと悟った。

「がッ……!?」

 しかし、ここで彼女は止まらない。五十嵐が背負っていたコートの少女を引き剥がし、さらに彼の鳩尾に拳を叩きつける。重い。昼間に殴られた時とは比べものにならないほどの威力だった。思わず、よろめく。一瞬で意識が飛びそうになった。

 何の抵抗もできないまま、五十嵐は首を鷲掴みされる。直後、硬い地面に叩き伏せられた。背骨が軋み、無言の悲鳴を上げる。口の中に鉄の味が広がった。

 間髪入れず、葛城は五十嵐の身体に馬乗りになった。彼女の太腿が触れ、体温が伝わってくるが、性的な興奮は全く感じられない。あるのは、明確な恐怖。

 彼女は胸ポケットに手を伸ばすと、そこから一本のシャーペンを取り出した。その先端を五十嵐の首筋に押し当てる。次いでシャーペンのノックボタンに指をかける。

「分かる? これね、銃なのよ」微笑を浮かべたまま、彼女は言う。「ここのボタンを押したら、先端部分が外れて、通常の九ミリ弾が発射される。平たく言うとね――私の気まぐれでアンタは死ぬの」

「なッ……」

 迷いなく断じた葛城に、五十嵐は言葉を詰まらせる。もちろん、今の彼女の話が全て嘘だという可能性もある。だが、彼女の醸し出す迫力と殺意は、そんな五十嵐の希望をグチャグチャにすり潰す。百歩譲って、このシャーペンが銃でなかったとしても、そのまま先端で首筋を貫かれるような気がして仕方ない。

「――殺し屋」

「は……?」唐突に彼女が口にした単語に、五十嵐は間抜けな声を洩らす。

「私の『正体』、よ。よく映画とかで出てくるヤツ。金で仕事を請け負って、依頼人が死んでほしいって思ってる人間を、代わりにぶっ殺してあげる職業」信じられないでしょ? と、彼女はからかうように言う。「でもね、殺し屋(私達)は実在するの。憲法も法律も――正義を掲げたルールの垣根を越えて、裏の世界に息づいてる」

「……俺を……殺すのか……?」

「このまま、お荷物抱えて逃げるのは御免こうむるわね」氷のように冷たい笑みで、葛城はシャーペンを握る手に力を込めていく。

 首筋に鋭い痛みが走る中、五十嵐はもはや喚き声を上げる事もできなかった。

 彼は、傍らに寝転がる少女に視線を落とす。

「この子は……どうする気だ……?」

「どうせ、動けないだろうし、このまま置いていくわ。私一人が逃げる分には、アンタを殺すだけで事足りるしね」そう言って、彼女はもう一度、五十嵐の方を見据えた。

「ッ!」彼にはもう恐怖に負け、眼を固くつむる事以外、選択肢はなかった。


「――冗談よ」


 不意に――虚を突くように。葛城は砕けた声を洩らした。

 五十嵐は呆けた表情で、まぶたを開ける。彼の視界に映る彼女の顔には、すでに氷のような冷徹さは微塵も感じられなかった。ただの人を小馬鹿にしたような、いつも彼女が見せている笑みが張りついているだけだ。葛城は五十嵐の首にあてがっていたシャーペンをしまい、彼の上から退くと、手を差し出す。彼女の手を取り、五十嵐は立ち上がる。

 彼女は手の平で制服についた汚れを払いながら、「ホントにアンタを殺すつもりなら、一緒に逃げたりしないわよ。爆発が起きたあの時点で、さっさと一人で逃げてたわ」と間延びした声で言う。「試しにからかってみたけど、なかなか面白い反応見せてくれるじゃない」

「……その割には、殺されるくらいの勢いで殴られたんだが…………」

「あー、それはアンタが私にナメた口聞き続けた罰ね」

 どうやら敬語を使ってなかった事、メチャクチャ気にしていたらしい。五十嵐は背中に冷や汗が流れるのを感じながら、これからは本気で気をつけようと心に誓う。

「い、いやあ……でも、ビックリしましたよ……。いきなり殺し屋だなんて言われたから――」


 パンッ! と。

 五十嵐が言い終わるより早く、葛城の手にしたシャーペンから乾いた音が響き、五十嵐の背後の壁に銃弾が突き刺さる。


「――――――――ッ!?」

「……悪いけど、殺し屋ってのは本当」葛城が鋭い眼光を五十嵐に向けた。

 絶句する五十嵐を尻目に、彼女は口笛を吹きながら歩き出す。

 弾痕が刻まれた壁からは、摩擦で熱が発生したのか、僅かに煙が上がっていた。それを見た五十嵐は、恐れおののいたように生唾を飲み込んだ。さっきの彼女の言葉を借りるならば、葛城の気まぐれ次第で、自分がこの壁のようになってしまっていたのかと思うと、背筋が凍りつく感覚に襲われた。

 ――殺し屋。この三文字が脳内でフラッシュバックする。

 こんな、自分と同じ年齢の少女が、今まで何人も人を殺してきたというのか? こんな、澄ました顔をして――。

「早くしないと置いてくわよー」

「え、あッ、はい! い、今行きます!」急かされ、五十嵐は、慌ててコートの少女を背負い直し、葛城のあとを追いかける。



 工場地帯を抜けると、五十嵐は大きく息を吐いて深呼吸した。ここまでぶっ通しで走ってきたせいで、脚の筋肉が絶叫している。普段、運動をしていないだけあって、かなり堪えた。

 一方の葛城はというと、息ひとつ乱れた様子はなく、涼しい顔で周囲を見渡していた。

「怪しい人影はなし、何とか撒けたかな?」

「あの……これから、どうするんでしょう……?」五十嵐は、恐る恐る尋ねてみる。

 すると、葛城はこちらを振り向いて、わざとらしく唇に人差し指を当てて、考える素振りを見せて、「そうねえ……。ま、危険も去った事だし、このまま解散でいいんじゃない?」とこぼした。「ていうか、それ以外に何かする事ってあるっけ?」

 とぼけたように言う彼女を見て、五十嵐はようやく肩の力が抜けた気がした。やがて身体全体から力が抜けていき、思わずその場にへたり込んでしまう。

「それじゃ、私はもう行くわね。また明日~」気楽な調子で、ひらひらと手を振りながら、葛城は、五十嵐の帰る方面とは逆方向に歩き去っていく。

「俺も帰るか……」溜息をつくと、立ち上がる。葛城の背中を見送りながら、駅の方に向かって歩き出す。

 ――と。

「ちょおおッとタンマああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 突然の大声に、びくりと肩を震わす葛城。――やべえ勢い余って敬語抜けた、と胸の内でこぼしたが、もう遅い。彼女は五十嵐の方に振り向いて、「……なに?」と不機嫌さマックスといった表情で、ジロリと睨みつけてくる。

 五十嵐は彼女に走り寄ると、何度か平謝りして、「実は……」と切り出す。「昼間に葛城さんに『渡した』財布の中に、俺の家の鍵と定期が入ってたんですよ……できれば、それだけでも返してもらえないかなあ……と……」

 この短時間で色々あり過ぎたせいで、当初の目的を完全に忘れていた。自分は、葛城真彩に略奪(さっきは、彼女の機嫌を損ねまいと配慮して『渡した』と言った)された財布(の中に入っている鍵と定期券)を取り返すために彼女をつけていたのだ。結果的に変な事件に巻き込まれたり、衝撃の事実を聞かされたり、いまだに頭の理解が追いつかない事案で脳内絶賛ショート中だが、それでもこれだけはスルーして良い問題ではない。

 五十嵐の言葉を受けて葛城は、一瞬、何かを考えるように眼を丸くして、すぐに納得したように胸の前で手を叩いた。「ああ! アンタ、それで街中でずっと私の事つけてたのね!」

「って、気づいてたんですか!?」思わず、ずっこけそうになった。

「当然でしょ、あんな下手な尾行すぐにバレるわよ。メンドくさそうだったから、あえて無視決め込んでただけよん」

「マジですか……」

「ああ、それで何、財布だっけ?」言って彼女は自分の鞄の中を探り始めた。すぐに、「あったあった」と能天気な声が聞こえてくる。「ハイ、これでしょ? アンタの財布」

 葛城が投げ渡してきた財布を、少女を背負ったままの五十嵐は慌てて片手でキャッチした。「あれ……財布の方も返してくれるんですか?」

 最悪、鍵と定期すら返してもらえない事も視野に入れていたので、何とも意外だった。

「まあね~、今日の事は、私がアンタを巻き込ませてしまったところもあるし、そのお詫びみたいなモンよ。ありがたく受け取っておきなさい」

 つーか、もともとは俺の物なんですがね! という心の叫びをどうにか言葉にはせず、感情の奥底に押し留め、五十嵐は、「ありがとうございます」とお礼を言う。

「さて、他に何か用は?」

「ありません!」

「うん、いい返事だ」

 適当に会話を切り上げ、今度こそ二人は別れ、その場をあとにした。



 駅――券売機の前で五十嵐は立ち尽くしていた。

 長かった一日も、これでようやく終わりを迎える。

 だが、もうひとつ。早急に解決しなければいけない問題がまだ残っていたのだ。

 五十嵐の背中にぐったりと身体を預けるこの少女。ノリでここまで連れてきてしまったが、このままで良いハズは絶対にない。

 裸の上に直接コートという、奇妙な格好。言っては失礼だが、汚れた身体は僅かに臭う。

「まさか……ホームレスとかじゃないだろうな……?」

 実際、一〇〇%ありえない話ではないところが怖い。この時代、何があるか分かったものではないのだ。それは五十嵐自身が、今日一日で身をもって思い知った事でもある。

 警察にでも連れて行った方がいいというのは分かっているが、ぶっちゃけ、普段から通学路くらいしか歩いていない五十嵐は、この一帯の土地勘がほぼ皆無であった。交番がどの辺りにあるかなど、全くもって検討がつかないし、あんな事に巻き込まれた今、これ以上、この場所を動き回りたくはなかった。

 どうしたものかと、五十嵐が頭を悩ませていると、背中の少女がもぞもぞと蠢いた。

 起きたかな? と思って五十嵐が何の気なしに、少女の顔を覗き込むと、彼女は眼をつむったまま一言。


「……おなか……すいた……」


「……………………………………………………………………」

 五十嵐は無言のまま、財布を開いた。小銭入れの中には、一〇〇円硬貨が一枚と五〇円硬貨が一枚、そして一円と五円が数枚。

 ――残金、一六三円。

 三人ほど入っていたはずの野口英世は、いつの間にか一人残らず失踪していた。

「あの女……確かに『金』を返すとまでは言ってなかったが……!」五十嵐はこめかみに青筋を浮かべながら、ギリギリと歯軋りする。

 結局、返ってきたのは家の鍵と定期券、財布とカードと僅かな小銭のみだった。当然のごとく、これだけで少女の腹を満たせるのかと問われると、自信はない。五十嵐は沈痛な面持ちで券売機に小銭を突っ込むとボタンを押して、少女の分の切符を購入する。

 ……児童誘拐とかになったりしないよな、コレ……? と、ごもっともな心配をしながら五十嵐は改札を通った。

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