7(二月六日――午後五時五八分〜午後六時一一分)
7(二月六日――午後五時五八分〜午後六時一一分)
「武田さん、こっちです!」
笠峰が手を振る方へ、武田は駆けていく。息はかなり上がっている。――歳には勝てないな、と武田は内心で呟いた。
事件現場は、すでに数十人の警察官と救急隊員で埋め尽くされ、大勢の人間が担架に乗せられて、救急車に運び込まれている。武田の鼻孔を、気分を害するような濃厚な血臭がつついた。見れば、爆心地と思われる場所がブルーシートで包囲され、数人の鑑識が忙しなく出入りしている。
「……爆発は大口径の対物ライフル弾が、道路を粉砕した事で起きたようです……。直撃した者達が三人……すでに死体は原型を留めていませんでした……」悲痛な面持ちで、爆心地を見据えながら、笠峰は説明する。「負傷者は、一六人……跳んできたアスファルトの破片によるものです……」
どうやら三日前の件とは無関係らしい。しかし、それで杞憂に終わったなどとは思えない。あの一件とは違う、否が応にも視界に飛び込んでくる明確な事件。大勢の人間が傷つき、帰らぬ者となったという現実。
武田は奥歯を噛み締めた。「……犯人は、分かっているのか?」
「いえ……」笠峰は俯く。「ただ……使用された弾を、捜査官が見てみたところ……ひとつ、目星は立ちました……」
そこまで言ってから、再び彼はうつむいてしまった。僅かに覗く表情からは、言いようのない苦悩が見て取れた。できる事ならその先を話したくない、無言の内に、そう語っていた。
だが。
「教えろ、笠峰。お前が黙っていたとしても、いつかは知れ渡る事だ」武田は笠峰に詰め寄る。ここで、彼を哀れむような事はしない。
「はい……」やがて、笠峰は重い口を開いた。「……『身内』です。これをやったのは」
「『身内』、だと?」武田は眉をひそめる。
笠峰は頷く。「……特殊急襲部隊――SATです」
「ッ! 何だと!?」
「使用されたライフル弾が、うちの署の特殊部隊で使用されている物と、一致したんです……まず、間違いないと……」
特殊急襲部隊、通称SAT。日本警察の特殊部隊であり、ハイジャック、重大なテロ事件などの凶悪な事件への対処を目的として編成された組織である。
全く予想していなかった。笠峰の話を信じるならば、これを自分達と同じ警察がやったというのか? 自分達が守るべき民間人に銃を向けたというのか?
不意に、武田は携帯電話を取り出した。
「あの……一体、何を……?」
「決まってる! 署の方に直接訊くんだよ! その話が本当なら、SATの出動記録が残っているはずだ!」電話帳を開き、署の番号を探す。
見つけた番号を入力し、携帯を耳に当てる。
その時だった。
「お仕事おつかれさまでっす! お巡りさん達!」
「あ?」突如、背後から響いた軽快な調子の男の声を受け、武田と笠峰は、声のした方向に振り向く。
そこには、快活な笑みを浮かべた一人の青年が佇んでいた。安物の黒ジャケットに細身のブラックジーンズ、黒と白のコントラストが映えるブーツ――その格好だけ見れば、いたって普通。だが、そんな彼の普遍性は、たったひとつの特徴によって、崩されていた。
銀髪。
不気味に光り輝く髪を揺らせ、青年は武田達に歩み寄ってくる。その堂々とした態度からは、一切の躊躇は感じられない。
武田は、不機嫌そうに舌打ちして、「オイ、止まれ」と言って、青年を睨みつけた。「見て分かんねえのか? 今、捜査中だ。一般人の立ち入りは禁止。悪いが通行止めだ」
「ああ、すいません! 別にここを通りたい訳じゃないんですよ! ただ、ちょっとお巡りさん達に訊きたい事がありまして。少しお時間、よろしいですかね!?」
言葉の上では敬語。しかし、そこには年上に対する恭しさのようなものは、全く感じ取れなかった。青年の話し方には、どこか人を喰ったような、そんな感覚がある。
正直、あまり相手にはしたくないと思ったが、困っているというのであれば致し方ない。武田は溜息をつき、腰に手を当てた。
「……すまんが、こっちは忙しいんだ。あまり時間はかけないでくれ」
「あ、問題ないです! すぐに済む事なんで!」武田の言葉に対して、青年は少し大げさに手を振って、否定する。
――直後、武田の視界が『青白い光』に包まれた。
「は――――」武田が何か言おうとするよりも早く、背後で鼓膜を打ち破るような轟音が鳴り響いた。
真っ白な粉塵が周囲を舞い、同時に全てのパトカーと救急車から紅蓮の炎が湧き上がる。
「――ッたくよお……ようやく『見つけた』と思ったっつうのになあ……」
ゆらりと。煙の中で、人影が蠢く。先刻とはうって変わった、人を威圧するような声。それは、徐々に武田の耳許に近づいてくる。
そして――眼前に、鬼のような形相を浮かべた青年の姿が現れた。
「テメエら『人間』が余計な事してくれたおかげで、また『彼女』を見失っちまったんだよ!! どうしてくれんだ!? ああッ!?」
ゴアッ! と。
青年の怒声を合図にしたかのように、彼の中心で何かが渦巻いた。
青年が、右腕を振り上げる。そしてそこには、ジリジリと熱した鉄板から発せられたような音を立てる、まばゆい『青白い光』がまとわりついていた。
武田の喉が干上がった。三日前の通報してきた者達の言葉が脳裏を過ぎる。
――爆発の正体は、青白い光。
武田は確信する。あの件の犯人は――この目の前の青年だと。
「ッ……あ、ああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
瞬間、武田が雄叫びを上げた。恐怖ですくむ脚に鞭を打ち、無理矢理動かす。すぐ隣で硬直していた笠峰を殴り飛ばし、自身も真横へ跳ぶ。
直後、一瞬前まで武田と笠峰のいた場所が、轟音と共に爆砕した。
青年が、『光』に包まれた右腕を上から下へ。ただ、振り下ろす。
たった、それだけ。
それだけの動作で、数十メートルに渡って、アスファルトが木端微塵に砕け散ったのだ。
大地が両断される――そんな光景を、生まれて初めて、この眼で見てしまった。
周囲は再び、地獄と化していた。野次馬は全員、悲鳴を上げながら逃げ出し、この一帯にいた大勢の鑑識、救急隊員及び要救助者は、青年の放った一撃で肉の塊へと姿を変えた。
武田の視線の先では、尻餅をついた笠峰が、腫れた頬を押さえる事もせず、ただ呆然と口をパクパクとさせていた。唐突過ぎる出来事に、パニックに陥る事すら許されていないのだ。思考が停止してしまっている。
「くそがッ!」武田は吐き捨て、懐から小型の回転式拳銃を取り出した。
同時に、ガチャガチャと金属質な音が響く。生き残った警官達も、武田と同様に青年に向けて拳銃を突きつけていた。
「…………」だが、この状況においても、青年は眉ひとつ動かさない。それどころか、口許に微笑すら浮かべている。「……クハハッ! 面白いなアンタ達! ……『拳銃』ごときでどうにかできると思ってんのかああああァァッッ!?」
青年が動く。気づけば、青年の身体全体が青白い光に覆われていた。
「撃てえええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇッッッ!!!」
武田の叫び声が、狼煙となった。刹那、青年に向けられた銃口が一斉に火を噴いた。乾いた銃撃音が連続する。
一瞬の内に、全ての弾を撃ち尽くした武田達は、次の瞬間、驚愕に息を呑んだ。
「なッ……!?」
あれだけの銃弾を浴びていながら、青年の身体には傷ひとつ、ついてはいなかった。
青年の身体から発せられる青白い光――それが全ての銃弾を直撃寸前のところで、掴み取っていた。
「お返しだ」不意に、青年が吐き捨てる。
途端、武田の背筋を悪寒が突き抜けた。
「ッ! 伏せろッ!!」叫び、茫然自失状態の笠峰を蹴り倒し、自身も身体を倒す。
しかし、武田の言葉は他の警官達に届く事はなかった。
青年を包む光が、内側に収縮した。
直後、光によって掴まれていた弾丸が、警官達に向けて一斉に放たれた。
弾丸は、正確に警官達の額に撃ち込まれ、悲鳴を上げる事も許さず、絶命させる。いや、警官だけではない。救急隊員や、担架に乗せられて運び込まれようとしていた負傷者にまで、青年の魔手は及んでいた。
野次馬もいない今、ノイズのような悲鳴は上がらない。静寂が漂う広い空間の中、武田と笠峰、そして青年の息づかいが小さく響くだけ。
「……飽きたわ」やがて、青年が溜息混じりに呟いた。武田や、散乱する死体を見下ろす瞳には侮蔑の色が滲んでいる。
だが、もはや武田にはそれに対して、腹を立てる気力も残ってはいない。周囲の寒さなど、全く感じさせないほどに、彼の顔は大量の汗で濡れていた。青年に対する恐怖で身体が震える。死体から流れてきた血液が、武田の服を赤く染め上げた。
「あっけなさ過ぎだろ、アンタらさあ。腹いせぐらいにはなると思ったけど、とんだ期待ハズレだわ。こんだけの人数いてこの程度かよ。この前やり合ったオッサン一人の方がよっぽど楽しめたぜ」動かなくなった死体を踏みつけ、さらに蹂躙しながら青年は不機嫌さを露わにする。ブーツの底がついに死体の頭部を砕いた時、彼は幾分か落ち着いた様子で口を開いた。「……さて、と。もしかしたら近くにまだいるかもしれないし……探すだけ探してみるか……」
それだけ言い残し、青年は身を翻して歩き去って行く。
武田の手にはまだ拳銃は握られていた。予備の弾も持っていた。しかしそれでも――彼はその場から指一本も動かす事は叶わなかった。
嵐が過ぎ去った後のような光景が武田の視界を、ただ埋め尽くしていた。