6(二月六日――午後五時四一分~午後五時四三分)
6(二月六日――午後五時四一分~午後五時四三分)
何やら、外が騒がしい。久郷は自分の横たわるベッドの右側にある、大きな窓を覗き込んだ。窓越しの景色は、お世辞にも平和的なものであるとは言えなかった。
久郷のいるこの大学病院の、すぐ側の交差点。彼から見て、手前の方にある横断歩道で砂塵が舞っていた。距離があるので、良くは見えないが、何人かの人間が倒れているらしい。救急車とパトカーのサイレンが響いてくる。
(爆弾……いや、違うな……もしそうなら、爆炎が上がる。音ももっと大きいハズだ……)
これは、むしろ――
(銃、だな。それも対物ライフル並みの代物だ……)
そう、結論づける。
特別、驚くような事はしない。殺し屋として、普段から銃器を扱っている久郷にとって、こんな出来事は日常の範疇だ。その手の職の人間ならば、誰でも当たり前に所持しているし、ただの民間人でも、それなりの手順を踏めば、どこかしらから密輸されたものを手に入れる事はできる。
だが、それでもひとつだけ久郷は怪訝に思った。
(『誰が』使っている……? さすがに、民間人ではそこまでの物は手に入らないはずだ。たとえ『同業者』でも、そんな『仕事』に不便な物を使う事はない……)
殺し屋が『仕事』の際に使用するのは、通常規格の狙撃ライフルが一般的だ。もしくは葛城のように『標的に近づいて油断したところを殺す』タイプの者が、日常用品に見せかけた銃器を使う場合があるくらいだ。
それが何を意味するか。答えは明快。知られたくない、という事だ。
殺し屋の『仕事』――標的の命を奪う事は、すなわち、その全てが『暗殺』に直結する。そんな事情の中で、わざわざ轟音を打ち鳴らし、自分の位置を知らせてしまう武器など不要にもほどがある。
この日本という国で、金で仕事を請け負い、銃器で人間を殺害する。警察に一度でも目をつけられれば、一瞬で信用を失う。それどころか自分の人生そのものが狂う。二度と元には戻らぬほどに。
そんな自分達にとって、標的と直接対峙する白兵戦など、できる事ならしたくもない、正真正銘、最後の手段である。だから――標的に感づかれる前に殺す。
つまり、あの対物ライフルを扱っているのは、殺し屋でも、民間人でもない。
使用者と考えられるのは、この二組の内、どれか。
警察――それも特殊急襲部隊か、もしくは自衛隊だ。
「…………」自分で自分の意見を否定したい、そう久郷は思った。
警察と自衛隊。彼らの役割など、わざわざ考える必要もない事だ。
――国を、そして国民を守る事。
どう考えても真逆である。もし、対物ライフルを発射したのが、彼らの内のどちらかなのだとしたら、それはつまり、彼らは何の罪もない一般人を殺したという事だ。
組織内の一部の人間達による暴動なのか、それとも『民間人の犠牲を払ってでも、何が何でもやり遂げなければならない任務』なのか。
「……考えている暇はないか……」思考を中断し、病室内のドアの方に視線を移した。
足音が近づいてくる。それは久郷の病室の前で止まると、ドアをノックし、開け放った。
現れたのは、一人の医師だった。白髪と、顔全体に刻まれた皺から、すでに還暦間近なのが窺える。三日前に、瀕死の重傷で運ばれてきた久郷を執刀した者だ。
「お身体の調子はいかがですか? 久郷さん」
「おかげさまで、だな。全く問題ない」
「そうですか。それはよかった」医師は笑う。その表情は優しさに満ち溢れている――そんな風に見えた。
『闇医者』――この業界では免許を所有しない医師ではなく、通常の医師と裏世界の医師、その両方の側面を併せ持つ者を指す。久郷のような殺し屋、暴力団、逃走中の犯罪者の治療及び整形手術、裏から流れてきた訳あり死体の解剖まで――種々様々な仕事をこなす。
つまり、彼らは例外なく、精神の底まで裏の世界に染まっている。人間としての価値もない久郷達、裏の住人を治療する目的など、たったひとつしか存在しない。
――莫大な金。
彼ら『闇医者』は、表沙汰にはできない傷を負った者達を治療する事で、患者から法外な治療費を請求する。
だから、目の前の、この医師の久郷を気遣う言葉も、人の良さそうな笑みも――全てが虚構、まやかしだ。腹の中では金の事しか考えていない。無論、彼らの患者が善良な一般人であれば話は変わるのかもしれないが。
年配の医師は、相変わらずの笑顔を浮かべながら、久郷に歩み寄ってくる。
「こんな時間に何の用だ?」久郷は僅かに嫌悪感を込めた声色で尋ねる。
「まあ、あなたの健康状態を確認しに来ただけでない事は分かるでしょう」久郷とは違い、彼は、医者特有の人を安心させるような声で言う。「ええと……朝、あなたのお見舞いに来た葛城さん、でしたか? 彼女から話は聞いているでしょう」
医師のその言葉で、久郷は彼が何を言いたいのか理解した。
「『義肢』の事か」
「ええ、そうです」医師は肯定し、右手を振って病室を示す。「あなたも長期の入院は望んでいないでしょう。なら、手っ取り早く済ましてしまった方が、あなたにとってもよろしいとは思いませんか?」
それもそうだ、と久郷は思う。元々、腕と目以外に目立った外傷はない。完治には程遠いが、治療を受けた以上は、もう問題はないハズだ。それならば、こんなところに長居する必要はない。さっさと義肢を装着してもらい、退院した方がよほどいい。
「今からか?」
「はい、こちらの準備はすでに整っております。今日、手術を受ければ、明日には退院できると思いますよ」
「そうか」久郷はそっけなく返す。「なら、頼む」
「了解しました」医師が言うと、開いたドアの向こうから、様々な機材を手にした、数人の若い医師達が入ってくる。久郷と年配の医師との会話を聞いていたと思われる彼らも、おそらくは『闇医者』だろう。
採血が終わると、医師の一人から、薄い緑色の手術着を手渡された。
「この後、他にもいくつか検査を受けてもらいます。同僚達には感づかれたくないので、なるべく手早くお願いしますね」それだけ言い残し、年配の医師は病室から出て行った。
――病室内には、いまだ外から耳障りなサイレンの音が響いている。