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Like A Broken Mirror  作者: 勾田翔
決戦
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5(二月八日――午前四時二八分~午前四時三九分)


   5(二月八日――午前四時二八分~午前四時三九分)


 千条神羅の身体がゆっくりと後方に傾ぐ。

 久郷の腹を貫いていた光剣はいつの間にか姿を消していた。傷口から栓を抜いたように血が溢れ出す。

 音を立てて、その場に倒れ伏す銀髪の青年。

 胸には赤黒い穴が三つも穿たれ、致命傷が深々と刻まれている。

「か……あッ……」パクパクと不器用に口を開閉させる。すでに言葉は出てこない。

 しかし。

 その相貌には、まだ戦う意志が残っている。

 彼の腕がガクガクと震えながらも、こちらに伸びる。

「やめておけ」久郷は冷静に言い捨てた。「『同じ手』は通じない。左腕か右眼か、もしくは脚か……どこを狙っているかは知らないが、俺の身体から直接『生命力』を奪い取ろうとしても無駄だ。お前は、あの時こう言ってもいたな。『しばらく力、使えなくなっちまう』と。原理は知らない。だが、他人の『生命力』を奪えば、急速な治癒を促進できる代わりに、一定時間『セフィロト』を発動できなくなる。違うか?」

「…………」

「この一帯には、大勢のSATが展開されている。力も使えない状態では、とても逃げおおせる事はできないだろう」それに、と久郷は続ける。「今の状態の俺に、そちらを満足させられるだけの『生命力』は、おそらくない。お前の傷は、もう塞がる事はないんだ」

「…………ッ」青年の瞳に、暗い絶望の色が差す。

 久郷は手にした回転式拳銃のシリンダーを開け、中を確認する。

 弾薬は、まだひとつ残っていた。

 これを使えば――今度こそ終わる。

 あの夜、果たす事ができなかった仕事が。自身の身体を奪っていった青年に対する復讐が。葛城と刈谷、不条理の闇に飲まれていった者達の仇討ちが。

 ――ぽとり、と。

 久郷は最後の弾薬をシリンダーから抜き取り、青年の身体の上に落とした。

「…………?」

「俺が手をくだそうが、くださまいが結果は同じだ。なら、気持ちを整理する程度の時間があってもいいだろう」久郷はもう青年に眼をやらない。彼に背を向けると、足を引きずりながら、住宅街の出口を目指して歩き出す。

 後ろから『セフィロト』が伸びてくる事はなかった。最期に久郷を道ずれにできるだけの力は残っていたはずなのに。その力を使って、あの夜のように久郷の身体から『生命力』を奪い取れば、助かる可能性だって本当はあったはずなのに。

 彼が行動を起こす事はなかった。

 青年の持つ力について、実際は全くと言っていいほど理解していないような素人の意見で、決意が揺らいでしまうくらいに。

 彼の心は、すでに折れてしまっていたのだ。

 武器は全て失った。右手に接続していた可動義手も、過重な負荷をかけ過ぎたせいで、今では指一本すら感覚が残っていない。人工皮膚が剥がれ、煤けた樹脂ミラーも剥がれ……その中には、衝撃で凹み、熱で焼かれた歪な金属の塊があるだけだ。

 それでも。

 終わった。

 久郷の胸の内で渦巻いていた何かが、とうとう消え去った。あの夜から大きくズレてしまった歯車は、再び正常に回り始めた。


 そう思った矢先。

 久郷の身体から一切の力が抜け落ちた。


 疑問の声をあげる間もなく、うつ伏せに倒れ込む。傷だらけの顔の皮膚に、コンクリートの床の細かな凹凸が突き刺さる。突き刺さるような痛みが神経を激烈に刺激してくる。

 ちらりと目線を地面の方へやってみれば、鮮やかな赤色が視界いっぱいに広がっている。それが全て自身の傷口から流れ出してきた血液だとは、とても信じられなかった。

 俺は。

 知っている。

 この感覚の正体を。

 全身を駆け巡る、氷よりも冷たく、炎よりも熱い、言い知れない矛盾した違和感が意味する事を。


 死。


 この世の、あらゆる生命に等しく待っている最後であり最期。

 それは、抗う事の許されない絶対の運命。どんなに恐れていようが、どんなに注意を払っていようが、そんな些細な意志など関係なしに訪れるもの。

 一度でも、その腕に掴まれれば逃れる術はない。ただ暗く冷たい地の底に引きずり込まれてしまうだけ。

 しかし、本来なら今際の際に陥って初めて体感するであろう感覚を、自分は既済の事柄として、今もう一度体験している。

 得体の知れない既視感に、疲弊し切った頭が苛まれていた時――

「……苦しいですか?」

 ――サグッ、と。積もった雪を踏み締める湿った音が、鼓膜を叩いた。

 同時に聞こえてきたのは幼い少女の唇から発せられる、澄んだ音色。まるで鈴を鳴らしているかのような、聞いていて心地の良いものだった。

 久郷は、首を動かして声の方向を見やろうとするが、鉛のように重くなった身体は全く動く事がない。そんな久郷のためを思ってなのか、足音はだんだんとこちらに近づいてきて、久郷の身体を丁寧に仰向けに転換させてから、ゆっくりと上半身を抱き上げた。

 霞んだ視界に、一人の人間の輪郭が浮かび上がる。

 一二、三歳くらいの少女だった。綺麗な銀髪をショートボブに整え、小柄な身体には厚手のパーカーとホットパンツ。そして、その上からは防寒着のコートを羽織っている。千条神羅を狙撃する際、彼と同じ室内に閉じ込められていた子だ。

 つまるところ、五十嵐が助けたがっていた人間である。久郷がロケットランチャーでの奇襲を敢行し、狙撃銃で足止めしていた隙に、彼女は五十嵐が助け出していたハズだ。彼には救出に成功すれば、そのまま遠くに逃げろと伝えていた。

「なぜ……戻ってきた……? 五十嵐は……?」

「あの人なら無事です。私は……自分の意思でここまで来ました」

 よく見れば、少女の顔は汗に濡れている。頬も上気していて赤い。久郷の背中に回した腕は小刻みに震えていて、彼女が明らかに正常な状態でない事を物語っていた。

「やっぱり……あなただったんですね。彼を止めてくれたのは……」

「どういう事だ……」少女の不可解な言葉に、久郷は眉をひそめる。

「私の事……覚えてないですか……?」

 少女が困ったように返してくるが、自分はこの少女を知らないはずだ。五十嵐から事情を聞いた時、この少女が千条神羅の言う『彼女』だという事には気がついたが、それだけだ。自分とこの少女に、面識はない。

 なのに――どこか、懐かしい。そんな不思議な感覚が、脳内を去来する。千条神羅の口から『彼女』という単語が出てきた時に感じたのと同じ、奇妙な感覚。

「あなたは今、苦しいですか?」思考を遮るように、再び少女が問いかける。

 久郷は、眼前の少女を見据え、「そうだな」と言った。「痛くて、怖くて、寂しくて、そして苦しい。自分の命が、ここで消えてしまうのかと思うと……ここに来るまでに全てを覚悟していたはずなのに……とても恐ろしいんだ」

 常に、死と隣り合わせの生活を送ってきた。多くの人間から、心の底から恨まれるであろう職業。いくつもの偶然が重なり合って、自分は今日まで息をしていたに過ぎない。

 その偶然が、自身を生かしてきた運が底を尽きた時、誰の眼も届かぬ場所で一人、のたれ死ぬ。みっともなく無様に。いつか必ず訪れるであろう運命を、しっかりと受け入れるつもりで、腹を括って生きてきた。

 だが、そんなちっぽけな覚悟は、すでに粉々に砕けてしまっている。あの夜に千条神羅に敗北し、死という恐怖と向き合ってしまった自分は、もう虚勢を張る事ができなくなっていた。

 不意に、身体全体が温かく柔らかい感覚に包まれた。一瞬遅れて、少女に身体を抱きしめられたのだと気づく。急激に体温が失われていく中、その温もりの恩恵に身をゆだねる久郷は、再び奇妙な錯覚に迫られる。

 前にも同じように、死に際に誰かが自分を抱き留めていた光景が連想される。

「……『セフィロト』」少女が呟く。

 人間の『生命力』を自在に操る事のできる力を、発動させる言葉。

 少女を中心として淡い青色が発光する。しかし、それは他人に危害を加えるような危険なものではなく、優しく包み込むような安心感のある光だった。

 少女の身体から発せられた光は、ゆったりと流れるように動き、やがて満身創痍の久郷の体表を覆っていく。

 燃料が至るところから注ぎ込まれ、空っぽになっていた身体に何かが満たされていくような感覚。その何かが血液の代わりのように体内を駆け巡り、心臓を動かす。

「…………あ……」

 その時だった。まるで厚い雲に覆われた空の隙間から細い光が差し込むように、久郷の思考に小さな亀裂が入る。

 その僅かな変調に疑問を抱く前に――さながら決壊した堤防から水が溢れてくるように、久郷という一人の人間の思考の波の中に、失われていた無数の記憶がなだれ込んでくる。

 そうだ。

 同じだった。

 暗く冷たい世界で、たった一人きりで自らの命の終わりを悟っていた時に、彼女は現れた。身動きひとつできなくなった自分の身体を、優しく抱きかかえ、抱きしめてくれた。

 慈悲そのもののような暖かな光。

 それが徐々に浸透していき、やがて眠気に覆われる。

 そうだ。

 全て、一度体感していた事だ。

「そうか……」薄れゆく意識の中、久郷は口許を緩めた。眼前の少女に向けて、震える声で告げる。「君が……あの夜、俺を救ってくれたのか……」

 この少女に助けられた事を忘れていた事について、きっと深い理由はないだろう。あれだけの不可解な現象を短時間の内に目の当たりにし、失血死確実のところまで命を削られた。それに対してのショック症状のようなものだったのかもしれない。

 自分にとって理解のできない現象についての記憶を、無意識的に削除しようとしたのかもしれない。皮肉にも、命を救われた事は忘れ、殺されそうになった事を覚えていたが。

「……あの夜、私は偶然、満身創痍のあなたを見つけました。近くに彼の力の気配を感じていたので……すぐにあなたが、彼によって傷つけられたんだと分かりました……」少女は、久郷を安心させるための微笑みと、悲痛な感情が合わさったような表情を浮かべて、「助けなきゃいけない、とも思いました」と口にした。「でも……それ以上に……あなたなら、きっと彼を止めてくれるって思ったんです」

 彼女は、少し離れた場所に転がる青年を見つめながら、久郷へと言葉を向ける。

「この世界に対して、憎しみの感情しか持つ事のできなくなった彼を、この悲しみの連鎖から解放してくれるんじゃないかって……」

「過大評価だ」久郷は否定した。「俺はそんな大層な人間じゃない。金のために、命令ひとつで命を奪えるような異常者だ」

「でも、あなたは彼を殺さずに止めてくれた」

「それは正しくない。俺は時間を与えただけに過ぎない。彼はもう死にかけている。……いかに特別な力を有していようと、助かる見込みはない。保ってあと五分程度だ」

 そう。

 千条神羅へ向けた最後の一撃も、久郷は一切の容赦をしなかった。自分が彼を殺す事を全くためらっていなかった確かな証拠である。彼が即死しなかったのはただの偶然、ボロボロになった左腕が、最後の最後で言う事を聞かず照準が狂っただけだ。

「それでも……」少女は久郷の考えを遮るように告げる。「私はあなたに感謝しています。本当に殺そうとしていたんだとしても……私達に最後の時間をくれたのは……あなたなんですから」

「…………」

「あなたのおかげで……私は、やっと彼を救う事ができる……」

 発光が収まった。

 久郷の身体を包んでいた『セフィロト』も消え、辺りは再度、闇に覆われる。

「……俺も、もう助かる希望はないのだな……」久郷は感情の色を見せない声で呟く。

「はい……あの人を助けるために、私の『生命力』はほとんど使ってしまったので……今の私には、あなたにほんの少しの力を分け与えて……痛みや苦しみを紛らわせるだけ――もう、あなたを安らかに死なせる事しか……できないんです」

「構わない。もとより、すでに死んでいる命だ。本来、あの夜に俺の人生は終わっていたんだ。その運命を……君が覆してくれた。俺に第二の人生を、君は与えてくれた。その中で、俺は自分自身の心残りを解消できた。だから……」

 久郷は重い息を、すうっと吐いて、まぶたを閉じて笑った。

「もう……満足だ。刈谷や葛城の葬儀をしてやる事はできないが……。ふっ……あいつらなら許してくれるだろう。俺の行き先も地獄だろうが……たとえ、そうであったとしても仲間がいるのなら存外、楽しいものかもしれないな」

「大丈夫ですよ」少女は希望と確信が伴ったようなまなざしで、久郷を見つめた。「きっと地獄なんてありませんから。たとえ、どんな人でも……天国で皆仲良くできるって……私は、信じてますから……」

「なら、俺は最後に君を信じてみる事にしよう。希望を持って旅立つとしようか」言って、久郷は立ち上がった。こちらの様子を心配する少女へ向けて微笑みかける。「……俺なんかに時間を裂いていないで、早く彼のところへ行ってやれ。……用済みとなった役者は、ここで退場するとしよう」

「あなたは……?」

「君のおかげで、動けるようにはなった。さっき格好つけたような事を言っておいて何だが……ここはひとつ足掻いてみる事にする」

 少女は首を振った。「そんな、無茶です……」

「ああ、確かにな」小さく頷いてみせる。しかし。「だが、俺はまだ生きている。やれる事は、必ず残っているはずだ」久郷は、少女に背を向けて歩き出した。「じゃあな」

 おそらく、自分の運命は変わらない。病院に辿り着く前に力尽きて倒れるだろうし、仮に病院まで命が保ったとしても、それで助かる可能性も極めて低い。自分の事は自分が一番よく分かっている。――助からないという現実を。

 それでも。

 歩みは止めない。

 たとえ、確定した未来しか待っていなくとも。

 たとえ、その先に一筋の光すら見えなくとも。

 今にも崩れ落ちてしまいそうな足を、必死に引き摺りながら。

 出口も何も見えない、どこまでも続くようなトンネルの中で。

 ひたすらに前を向いて進み続ける。

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