3(二月八日――午前四時一五分~午前四時二三分)
3(二月八日――午前四時一五分~午前四時二三分)
ひとつ。
久郷は五十嵐に頼んでいた事があった。
建物にいる千条神羅を奇襲したあと、自分はあの場に向かうという事は、あらかじめ伝えていた。その際、久郷は五十嵐に、建物へ向かうまでの道中に武器を隠しておいてくれと言っておいたのだ。
彼が通る道は事前に二人で決めてあったので、隠された武器は簡単に見つかった。サブマシンガンやロケットランチャー、手榴弾。その他、銃の予備弾倉まで。
そして。
「――ッあああぁぁッッ!」光剣による斬撃。『セフィロト』によって増幅された身体能力で放たれた横薙ぎの一撃は、義手に装着した樹脂ミラーの籠手――ではなく、久郷が右手に持った、縦三〇センチ、横二〇センチほどの鏡の板の裏側に取っ手をあしらった『盾』。それを使って斬撃を弾き返す。
ハッキング用の機材を使うために葛城のマンションに忍び込んだ際、彼女の部屋にあった姿見を、いくつかに切り出して制作したもののひとつだ。様々な武器の他、全部で六つの『鏡の盾』を五十嵐には隠してもらっていた。
いくら鏡が『セフィロト』を反射し防ぐ事ができるとは言っても、本来、鏡の反射率は一〇〇%ではない。つまり、僅かにだがダメージは通るのだ。樹脂ミラーの籠手は柔軟な素材でできているため、攻撃を受け続けても割れる事はない。
しかし、籠手の下にある義手は別だ。連続で籠手で防御すれば、義手の方がいつか耐久値を超えてしまう。千条神羅を倒す事ができるのなら、今更、義手が壊れようが知った事ではないが、緊急の防御手段が失われる事態だけは避けたい。できる範囲は、この『鏡の盾』を使用するつもりだった。
十数回の攻撃を受けたところで、鏡の盾の表面に一気に亀裂が広がり、砕け散る。ここぞとばかりに光の触手を伸ばしてくる千条神羅。本数は五本。当然のごとく、その全てが必殺の破壊力を秘めている。
久郷は最初に襲いかかってきた二本を、走り抜けざまに回避。続いて仕掛けてきた二本の内、一本は身体を横に捻って紙一重でやり過ごし、残る一本を右腕で上から叩きつける。
最後の一本を、直撃寸前で下に潜り込むように、背中から滑り込む。
千条神羅を視界に捉え、サブマシンガンの掃射を浴びせかける。触手を作り出す際に『セフィロト』の大部分を裂いていたせいか、防御に回す光が足りなかったようだ。
数発の五・五六ミリ弾がヒット。胴体から赤色の尾をなびかせながら、苦悶の声と同時によろける千条神羅。
弾倉の空になったマシンガンを投げ捨て、すぐさま飛び上がると、一直線に彼の懐に入り込む。『セフィロト』を無効化する籠手が装着された右腕による、強烈なラリアット。
とっさに眼前で腕を十字に交差させた千条神羅だったが、そのガードごと久郷の強靭な腕が彼の体躯を後方に吹っ飛ばす。
間髪入れずガバメント拳銃による追撃。炸裂音が轟くが、放った弾丸は光に受け止められる。その瞬間、「何ッ――!?」と久郷は眼を見開いた。
弾丸を掴み取る、蠢く光。それが『内側』に収縮していた。光越しに見える千条神羅の凶暴な笑みを確認した瞬間、背筋を悪寒が突き抜ける。
反射的に、真横に倒れ込むようにして跳躍した。直後に収縮していた光が外側に拡散し、受け止めていた銃弾が、久郷に向けて一斉に放たれる。
「がああああああッッッ!?」右脇腹に灼熱の痛み。未確認の攻撃に対して回避行動が遅れた。脇腹に弾がかすり、裂傷を刻む。「くそッ……!」
「どうしたどうした!? こんなモンかオッサン! 俺の知ってるアンタは、この程度で泣き喚くようなチキン野郎じゃねえはずだッ!」
大地を突き抜け、青白く輝く大樹が次々に出現する。――マズイ。
久郷は激痛もお構いなしに、メチャクチャに地面を転がりまわる。すぐに、直前まで久郷のいた場所から槍のような大木が生えてくる。傷口を押さえながら、突き出してくる樹の間を縫って近くの建物の陰に転がり込んだ。
――あった! 久郷は内心で歓喜した。五十嵐が隠していた鏡の盾と、ロケットランチャーを素早く手に取る。陰から飛び出すと同時、ロケットランチャーを発射。着弾し、爆炎が千条神羅の周囲を蹂躙している間を見計らい、鏡の盾を正面に構えて走り込む。
レーザー光線のように一直線に直進してきた光の束を、正面に向けて携えた鏡の盾で弾いていく。連続した銃撃を受け止めたせいか、すぐに盾からピシリという亀裂の入る音がしてきた。久郷は恐怖によって、こめかみから冷や汗が垂れてくるのを感じながら、それでも前に突き進んでいく。爆炎が晴れると共に、眼と鼻の先に青年の顔が現れる。
「おおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
獰猛な咆哮をあげて、手にした鏡の盾を振りかざす。盾の表面を用いて、青年の側頭部を渾身の力で強打。
彼の体躯がグラリと傾いたところに、一切の躊躇なく鏡を連続して振り下ろす。肉を叩く鈍い音に混じって、バリバリと鏡が割れる音が響く。
鏡が粉々になり、攻撃と防御の手段が失われた直後、強化された拳が久郷の顔面を殴り飛ばした。鼻から血が噴き出し、口の中で何かが砕ける音。続けざまに鳩尾に突きを喰らい、込み上がる吐き気に耐え切れず喀血すると、折れた歯が吐き出された。
血に濡れた顔に、凶悪さの象徴とも言えるような笑みを張りつけた千条神羅が、片時も手を休める事なく、両の拳による連撃を叩き込んでいく。
骨を砕かんばかりの破壊力の拳が突き込まれるたびに、一瞬で意識を刈り取られそうなほどの衝撃が、体内を駆け巡る。痛みによって収縮した筋肉が、次に行うべき挙動を阻害する。
最後に一際強烈な一撃を頬に受け、脳震盪を起こした久郷が地面に叩き伏せられる。
勝ち誇った千条神羅の手に閃光が集まる。動けなくなった久郷に対し、確実にその生命にピリオドを打つために。
「――まだだああああああああッッッ!!」悲鳴のような雄叫びをあげ、コンマ一秒の素早さでガバメント拳銃をクイックドロウ。防御の手薄になっていた千条神羅の左脛を鉛玉がぶち抜く。
絶叫と同時に膝を折る千条神羅。久郷は刹那の内に拳銃のリロードを完了させ、懐から取り出した特殊音響閃光弾を青年の眼前で起爆させる。
鳴り渡る爆音。広がる眩い閃光。目許をサングラスで覆っている久郷は、依然、視界が開けているが、不用意に近づいて、反撃を喰らう事は避けたい。事実、千条神羅の周りには、自らを脅威から守るように『セフィロト』の壁が築かれていた。
踵を返して千条神羅から離れる。彼が身動きの取れない間に鏡の盾を調達しなければならない。とはいえ……。
(戦闘開始時に三枚を消費……そして先ほど二枚を損失。残りの盾はもうひとつだけ)
最後の鏡の盾が壊れる前に、決定的な反撃を仕掛けたい。このままではジリ貧だ。五十嵐に備蓄してもらった武器や弾薬も底を尽きかけている。自身の被ダメージも半端ではない。身体の至るところから出血し、いつ意識が途切れてもおかしくない。
千条神羅にもダメージはあるが、彼の場合『セフィロト』を使って傷の回復を早める事ができる。消耗戦になれば、先に久郷の方に限界が来るのは確実だ。
「やるしかないか……」久郷は瞳を据える。
戦闘開始直後からの、互いによる捨て身の戦いによって、蓄積された損傷は両名共に無視できる範疇を超えてしまっている。
つまり。
――次に始まるラウンドで主導権をもぎ取った者が、勝者となる。
「そ、こ、かああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!」
大気を振動させる咆哮が炸裂。久郷の頭上から文字通りの『槍の雨』が降り注ぐ。
――くそ、予想以上に復活が早いッ。
無数に襲いかかる光の槍を全て回避するのは不可能だ。久郷は自身に向かって落下してきた槍の内、急所に突き刺さる可能性のあるものだけを右手の籠手で弾き飛ばす。
肩に槍の先端が突き立てられ、その他の刃が皮膚をかすめて薄く裂く。痺れるような痛みに顔をしかめて声の方を向くと、歯を剥き出しにして笑う鬼神のごとき千条神羅の姿。
久郷の足許や周囲から、幾本もの大樹が現出。さらにマシンガンのように襲いかかる無慈悲な掃射と、広範囲に薙ぎ払われる光の大剣。
回避し切れない光の弾丸を籠手で受け止める。しかし数発が被弾。急所は避けたが、重ねるように激痛が上乗せされていく。身体をくの字に折り曲げた瞬間、亜音速で突き込まれるボディーブロー。内臓が凄まじい勢いで圧迫され、土石流のように口から血液が溢れ出す。ノーバウンドで一〇メートル近く吹き飛び、背中から地面に強打。さらに吐血。
起き上がろうとしたが、腕に力が入らない。動かない身体と悪戦苦闘している間に、千条神羅がこちらに走り込んでくる。五メートル以上に伸長させた両腕の光剣を振りかざす。
「――ッッッッッ! ――ッッッッッッッッ!!」地面を転がり、斬撃から逃れる。耳許でゾッとするような斬撃音。コンクリートの地面が紙のように引き裂かれていく。地面を転げまわるたびに、服ごと肌が擦り切れる。
痙攣する手で、ジャケットから痛み止めの注射器を取り出し、キャップを開けると強引に腹部に突き立てる。透明な容器の中にある薬品が体内に注ぎ込まれるにつれて、僅かにだが痛みが緩和されていく。
言う事を聞くようになった身体を起こし、逃走を開始。
「ちょこまか逃げてんじゃねえぞ! オッサン!!」口から泡を飛ばす青年。彼の眼前に展開された閃光の盾が変質し、そこから続々と熱線が照射される。
迫りくるレーザーを迎撃し切れず、右胸を光線が貫く。「かッ……!」
バランスを崩し、大きく転倒。その際、額を打ちつけ、皮膚がちぎれると同時に脳が揺さぶられる。サングラスのレンズも割れた。
千条神羅が地を蹴って上空に跳び上がる。上空三〇メートルほどに達した直後、とてつもない光量の剣を振り上げながら、久郷めがけて急降下。インパクト直前、すんでのところで身をよじったが、発生した凄まじい爆風が周囲を蹂躙。久郷の体躯が風量に負けて吹き飛ぶ。硬い地面を二、三度バウンドし、ようやく停止する。
口から血の塊を吐き出しながら、レンズの割れたサングラスを無造作に投げ捨てる。
息を切らせながら、建物の裏側に回り込むと、奇跡的に最後の鏡の盾を発見した。しかし隠されていたのは盾のみで、他に使えそうな武装は見当たらなかった。だが。
――これがあっただけでも十分だッ!
盾を手にする。同時に背後から攻め込んできた触手を、盾をかざして弾き飛ばす。
勢いよく足を踏み込み、千条神羅のもとへ突撃していく。行く手を阻むように襲いかかってくる閃光は、ひとつ残らず盾で迎撃する。
二人の距離が、三メートル近くにまで詰まった瞬間、久郷は盾を最小の動作で投げつける。青年の周囲に張り巡らされた『セフィロト』を無視し、鈍器と化した鏡は、彼の顔面を殴り飛ばす。
――チャンスだ。久郷はガバメント拳銃の銃口を跳ね上がらせる。このまま引き金を引けば――!
そう考えていた久郷の思考が途切れる。
理由は明快――彼の手にしていたガバメント拳銃が、突如として粉々に砕け散ったのだ。
一瞬にも満たない時間の中で、久郷は思い出す。あの夜、千条神羅を狙撃した直後、久郷の使っていた狙撃銃は破壊された。その際、奇妙な点があった事に今更ながらに気づく。
――あの狙撃銃は、今と同じように『セフィロト以外の要因』で壊れた!
そう。狙撃銃も、拳銃も。この二つは、さながら見えない力に押されるように、独りでに損壊した。久郷は高速で思考を回転させ、ひとつの推測に行き着く。
「空気圧かッ!?」
「正解」千条神羅の引き裂くような笑み。「『セフィロト』を使って圧縮した空気の塊を、高速で叩きつけたんだよ! こんなふうになあああッッ!!」
ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッッ!!! と。
殺到した圧縮空気の群れが、久郷の身体を三六〇度全方位から叩きつけてくる。
巨大なハンマーで殴りつけられたような鈍い痛みが、全身で弾ける。身体全域を打撲したような感覚が、あらゆる痛覚を支配し、まっすぐと立っている事を許さない。
「カハハハハッ! どうだ!? 決定力にゃあ欠けるが、見えないんじゃ躱す事もできねえだろ!? 俺の方が一枚上手だったみたいだなあ!」
「ふん」と久郷は、鼻で笑った。「お前が言った通りだ」しかしそれは青年の『後者』の言葉を肯定する返事ではない。「これは決定力に欠ける。こんなものをいくらぶつけたところで、俺を屈服させる事など到底できない」
「強がりはナシにしようぜ、オッサン。もう武器もねえだろ? 勝敗は決まったも同然だ。アンタに敬意を表して、おとなしく降伏すりゃあ、一撃で終わらせてやる。これ以上苦しまなくて済むぜ?」
「悪いが、受けつけられない提案だ。……この程度で諦めてしまえば、刈谷や葛城に申し訳が立たないからな」
「頑固だな」
「そちらも似たようなものだろう」
「そりゃ言えてる」
二人して含み笑いを洩らす。その押し殺していたはずの声は、徐々に大きくなっていき、やがてそれは、雑音と雑音を混ぜた騒音へと姿を変えていく。
しかし、周囲はすぐにもとの静けさを取り戻し、二人は再度睨み合う。
互いが、一歩を踏み出す。
そして一気に加速。正真正銘、最後の力を振り絞って、久郷と千条神羅は打ち倒すべき敵に向かって猛進していく。
二つのシルエットが重なる。
結果。
――久郷の義手は千条神羅に届く事はなく。
――千条神羅の光剣は確実に久郷の胴を貫いていた。
ゴボッ、と。半開きになった唇から、ドロドロとした赤い体液が溢れ出す。
――久郷の顔に表情はなかった。
――千条神羅の顔には喜びがあった。
色をなくした殺し屋は、カクンと首を下に傾けて――
「『この時』を待っていた―――――――――――――ッッッッッッッッ!!!」
――ガシッ! と。
こちらに密着したままの千条神羅の襟首を右手で掴み上げる。
「なッ……にッ――!?」千条神羅は驚愕しながらも、光のフィールドを展開させる。
久郷は懐に手を伸ばし、千条神羅に殺された初老の男が所持していた回転式拳銃を抜き放った。銃を握り締める左腕を、躊躇なく『セフィロト』の波の中へ潜り込ませていく。
彼の眼の色が変わる。「オッサン……テメエまさか……ッ!?」
たとえ、攻撃のため『セフィロト』が分散している時を見計らって銃弾を撃ち込んだとしても、結局はそれも決定打にはならない。どんなに少なくとも、光が千条神羅を守っているという事実は変わらないからだ。
だから――こうする。
彼の身体を覆う光。それは彼の身体に『密着』している訳ではない。あくまでの表面を覆っているだけなのだ。『セフィロト』は触れた者にとっては身を滅ぼす凶器だ。それは使用者本人である千条神羅も同じだろう。
人体に触れても『害のない光』と『害のある光』は、おそらく切り替え可能。しかし、自らの身を守ろうとすれば、身の回りに展開するのは『害のある光』でなければならない。
つまり正確には、彼の身体を覆う光と彼の身体の間には、『セフィロト』によって守られていない空白が存在する、という推測が成立する。
ならば。
焼かれる事を気にせず腕を伸ばせば。
その先に待っているのは、銃弾で簡単に貫ける柔らかい人肉だけだ。
「やめろ! その手をどけろ!! 俺に……それを向けるんじゃねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッッ!!!」
義手によって襟首を掴まれているため、千条神羅は逃げ出す事すらできない。
回転式拳銃を構えた久郷の左腕が、肉を焼く音と共に光の中へ沈み込んでいく。
徐々に炭化していく腕。突き抜ける激痛。だが、痛覚が生きているという事は、まだ腕が動くという事を示している。
やがて腕が光の外に出た。そこには、最後の一撃を遮るものは何もない。
銃口を青年の心臓部に押しつけ――引き金を引いた。




