1(二月八日――午前三時五九分~午前四時五分)
決 戦
1(二月八日――午前三時五九分~午前四時五分)
つい先ほど、集合住宅街の出入り口付近から爆発音が木霊した。ここからではよく見えないが、どうやら建物が崩落したらしい。遠方からは、空に向かって砂煙が立ち昇っているのが確認できたくらいだ。五十嵐は無事に逃げる事ができたのだろうか?
最後に『セフィロト』と思われる閃光が炸裂したのは、この辺りだ。周囲に常軌を逸した破壊の跡が残っているので、ここで千条神羅が暴れていたのは間違いない。
「!」久郷はある一角に目がいった。建物と壁に挟まれ、行き止まりとなっている区画に人が二人倒れていた。地面に身を投げ出す彼らを中心として、べったりと血が付着しているところを見るに、すでに絶命しているらしい。
スーツを着た若い男の方は知らなかったが、もう一人――建物の外壁に寄りかかっている男には見覚えがあった。五〇代ほどの初老の男。昨日の昼間に、須磨を追跡していた際に、久郷のあとを追ってきた男だった。時間と状況から考えて、彼らを殺害したのも千条神羅に違いない。
しかし、彼らの近くには壊れた拳銃なども転がっていたので、単なる巻き込まれただけの一般人ではなく、久郷と同じように千条神羅を追っていた者だろうと推測できた。
血液が凝固していない事を鑑みるに、おそらく千条神羅は、まだ遠くにまでは行っていない。まだ近くにいるはずだ。
倒れる初老の男の側には、コートのポケットから滑り落ちたと思われる、回転式拳銃が落ちていた。シリンダーを開けて中を覗いてみると、四発ほど弾薬が残っていた。何かの役に立つかもしれないと考え、ジャケットにしまう。
――俺は絶対に、この者達と同じ轍は踏まない。再び、久郷は走り出す。
ロケットランチャーの爆炎が、夜の闇に染められた住宅街を照らす。積もった雪が蒸発し、薄い霧が漂っている。その全てを刹那の内にかき消して、長身の人影が姿を露わにする。
人影に向けてランチャーを放った張本人である久郷は、「やはり、こんなものではいくら撃っても効かないか」と発射装置を無造作に投げ捨てる。
「やっぱり……俺と『彼女』のいた場所に、ミサイルぶち込んできやがったのはアンタだったか……」人影――千条神羅は指をゴキゴキと鳴らして、「『彼女』が死んだら、どうしてくれんだよ?」と静かに憤慨する。
「その彼女とやらも、『セフィロト』を使えるのだろう? ならば、己の身を守る事くらいはできると踏んだだけだ」
彼は鼻を鳴らす。「ふん、オッサンも『彼女』を連れ出していったあの猿とグルか」
「五十嵐はどうした?」
「あの猿なら、まだ生きてやがる。さっき潰した二人組に足止め食らったおかげでな」
「なら」と久郷は、ガバメント拳銃を引き抜いた。「彼らが逃げるまでの、残りの時間は俺が稼ごう」
「本気かよ? 俺に死ぬ寸前まで追い込まれた事、もう忘れちまったのか?」
「そんな事はない」久郷は首を横に振った。「確かに俺は、あの時に負けた。お前の持つ正体不明の力に翻弄され、手も足も出ず……腕と眼を奪われた」
だからこそ。一度、完膚なきまでの敗北を味わったからこそ。
「俺は、もう負けない」久郷はハッキリと言い放つ。
「イイ目だ」千条神羅の口許が楽しげに歪む。「その威勢が、単なる飾りでない事を願うぜ」
光が、瞬く。
千条神羅を中心に『セフィロト』の閃光が渦を巻き、彼のジャケットがはためく。人間の力では、決して太刀打ちできない莫大で強大な力が、彼を支点に凝縮していく。
「行くぞ」両手から光剣を出現させた千条神羅が、明確に敵意をさらけ出す。
一度目は負けた。二度目は逃走した。そして三度目――――次はない。
勝者と敗者が、ここで確実に線引きされる。
一瞬の沈黙。そして次の瞬間、急激に展開が動く。
ドッゴオッ! という轟音がしたかと思うと、久郷の眼前にいたはずの千条神羅が消え去っていた。彼の立っていた場所は、さながら爆発が起きたかのように砕けていた。
つまり。
千条神羅は。
眼にも留まらぬ速さで、久郷の眼前に姿を現す。
「――ッ!?」驚愕に眼を見開く。
津波のような勢いで、『セフィロト』の奔流が押し寄せてくる。視界に映る全てが、周囲の暗闇を吹き散らすほどの眩い光に満ち溢れていた。
その全てが、躊躇なく久郷に向けて叩きつけられた――。
果たして。
この世界に現存するあらゆる物質を粉砕できるような破壊力を有する暴力を、脆弱な人間に対して振りかざした千条神羅は、唖然とした表情で固まっていた。
理由は、これ以上なく簡単で明快。
その脆弱な人間が、変わらずそこに佇んでいたからだ。
「なん、で……?」
「単なる物理法則だ」そう言ってのける久郷の、ジャケットの袖が焼け落ちて露わになった右手には、何か『キラキラと輝くもの』が巻きつけられていた。つるつるとした滑らかな表面を持つそこには、茫然とした顔色の千条神羅が映り込んでいた。
鏡――人やものの姿を映し出すだけの、日常に溢れまわる道具だった。
「オッサン、テメエ……そりゃあ一体……ッ!?」
「樹脂ミラーという代物だ」久郷は淡々と説明する。「通常のガラス素材ではなく、名前通り樹脂で造られているので、このように折り曲げる事だってできる」
「違う! そんな事を訊いてんじゃねえ! テメエ、今『それ』を使って何をしやがった!?」
泡を喰ったような剣幕で喚き立てる千条神羅を前にして、久郷は冷静そのものといった調子で、「きっかけは、お前が刈谷を殺した時だった」と呟いた。「お前はビルのホールにいた。そして刈谷は車内にいた。そして、お前達二人の間には、『二枚のガラス板』があったんだ」
「はッ……? それがどうしたんだよ……」
「お前は、『セフィロト』による一撃で刈谷を殺す事ができなかった」
そう。
千条神羅の操る『セフィロト』は一撃必殺の威力を秘めている。思い出してみれば、会場にいた殺し屋や仲介人達は、『セフィロト』をたった一薙ぎされただけで、身体を真二つに両断され、ことごとく息絶えた。
腕や脚などの一部位を落とされただけなら、死なないのは分かる。しかし刈谷は、あの時顔面に直接、光球を叩き込まれた。彼は、最後は確かに死んだ。
だが。
彼の死因は、光球の勢いで吹き飛ばされて壁に身を打ちつけ、大量に出血した事による失血死であり、千条神羅の攻撃が直接の原因ではない。
「つまり、そこにお前の力の『本質』が隠されていた訳だ。思い出せ。お前と刈谷、二人の間には、ビルのガラス戸と車のサイドガラスがあった。そして、お前の放った光球は、その二枚のガラスを突き破り、刈谷の顔に当たった。一撃必殺の攻撃は、一人の人間の頭部を潰し切る事ができなかった。それが、何を意味しているか――」
久郷は告げる。決定的な言葉を。
「光、だ。『セフィロト』の外観を言い表す言葉ではなく、それそのものの本質は、ガラスに当てられれば弱まり、鏡に当てられれば反射するだけの、単なる可視光線に過ぎない」
千条神羅は何も言い返さない。それはつまり、彼自身この力について詳しく理解している訳ではないからだろう。ただ単に生まれ持った力を、乱暴に振り回しているだけ。
強大過ぎるがゆえに、今まで誰も気に留めなかった弱点。
彼と相対し、生き残った者がいなかったために確立されなかった突破口。
「さあ」と久郷は、挑むように銃口を千条神羅に突きつける。「あの時果たせなかった依頼を、再びこの場で果たそうか」
これより行われるのは、あの夜の再現。しかし、互いを取り囲む条件は違う。
今この瞬間、無能力者と異能力者の力は拮抗する。




