12(二月八日――午前三時三八分~午前三時五五分)
12(二月八日――午前三時三八分~午前三時五五分)
「おら、これで終わりじゃねえだろ? さっさと立てよ千条神羅。ここがテメエの墓場だ」
学生服の少年と『エデンの使徒』の少女が去っていくのを見送ると、武田は地面に仰向けに転がる千条神羅を見据えた。
「痛ッてえな……せっかく彼女と会えたってのに……どいつもこいつも俺の邪魔ばっかりしやがって……ッ!」右肩を押さえながら、憎悪に満ちた声と共に千条神羅は立ち上がる。
武田は口笛を鳴らした。「なるほど、須磨の言った通りだな。強大な『セフィロト』を使えば、そのぶん他の部位を覆う光は少なくなる。テメエの防御があと少し遅ければ倒せてたんだが……そう上手くはいかねえか」
「一体、どこの誰かしらねえけど……死ぬ覚悟はできてるんだろうな?」
千条神羅の右肩から、ずるりと銃弾がこぼれ落ちる。出血は少なく、体内を鉛弾が食い破る前に受け止められたらしい。
「かははッ! 『どこの誰』ってよ……。お前にとっちゃあ、俺みたいなのは覚えてる価値もねえような、道に転がってる石ころって事か?」武田は乱暴に笑って、「ならよお」と前置きして続けた。「そんな石ころに、ボコボコにやられて地面に這いつくばる気持ちって奴を存分に味わわせてやるよおッ!!」
回転式拳銃を構える。間髪入れず発砲。
「そんなモンが効くかっての!」千条神羅の身体を光が覆い、銃弾は光に受け止められ――光が蠢いた直後、弾き返された弾が一直線に武田に襲いかかる。
しかし、それをあらかじめ予想していれば怖くはない。武田はすでに身を横に退いていて、銃弾は見当違いの方向へ飛んでいく。
武田は身を翻し、逃げ出すように走り出した。「こっちだぜ! クソガキッ!」
「殺す!」千条神羅が吠える。彼の身体から無数の光球が出現、武田の方へ一斉に射出。
すぐさま建物の陰に身を隠す。直後に、耳許で絨毯爆撃のように轟音が炸裂し、一瞬で建物が崩壊する。崩れてきたコンクリートの破片から逃げる。
「とんでもねえスリルじゃねえか……!」武田は苦笑いを洩らす。拳銃を握る手に、ジワリと汗が滲む。
鬼のような形相で千条神羅が、光剣を振りかざしながら接近してくる。武田は散発的に銃を発射しながら、距離を取り続ける。
「調子乗った事言ってた割には逃げてばっかりなんじゃないのかあああああああああああああッッ!!」
薙ぎ払われる光剣。振られる直前に、一気に一〇メートル近く伸長した刀身が、周囲一帯の景色を根こそぎ伐採していく。コンクリートでできた建造物や、ブロックの敷き詰められた地面が、紙屑も同然だった。
武田は全速力で、千条神羅の魔手から逃れる。まるで、要塞だと彼は思う。単体で軍隊のような戦闘力を有する人間――あの化け物が、自分と同じ人間とは思いたくないが。
とにかく、正攻法じゃ絶対に敵わない。正面から立ち向かっていったところで、ゴミクズのように蹴散らされて終わりだ。
走る。衰えた身体が悲鳴をあげるが、構っている暇はない。少しでも足を止めれば、待っているのは『セフィロト』による惨殺だけだ。
マシンガンのように連射される光弾を着弾寸前で回避し、槍のように伸びる閃光を、横に小刻みに動いてやり過ごす。時折、積もった雪で足を滑らしそうになる。
何棟ものマンションがそびえ立つ一帯を駆け抜け、樹木の生い茂る、それなりに広い公園を一気に横切る。背後から響く爆音は、留まる事を知らない。
やがて、行き着いたのは――行き止まりだった。
壁に囲まれた集合住宅街の端側、左右は建物の外壁で挟まれている。上を見上げれば、四角く切り取られた空が見える。飛び越して逃げ出せそうな高さの塀なども見当たらない。
「八方塞がりってのは、まさにこの事だな、クソジジイ」千条神羅がせせら笑う。
「ちッ……」武田は舌打ちし、「やべえな」と歯軋り混じりに呟いた。
「結局、どれだけがんばろうがテメエらはただの人間だ。俺達みたいな特別な存在に敵う訳がないんだよ。その猿以下の脳ミソで理解したんなら、さっさと俺に殺されろ。俺は早く『彼女』を迎えに行かなきゃならないんだよ」
「はッ! 迎えに行くと来たか!」武田は盛大に噴き出した。「知ってんだよ。テメエ、あの小っさい女の子……気絶したまま連れ回してたよな? で、あの子は今、高校生と仲良く逃避行の最中だ。どう考えても『拉致りに行く』の方がしっくりくるじゃねえかよ!!」
「黙れッ!」彼は憤慨した。「『彼女』は……俺のための存在だ! 世界から爪弾きにされた俺を唯一――」
「テメエの身の上話なんざ興味ねえよドアホ」
「――――――ッッッッッ!!」彼の表情が、おぞましいほどの怒気に塗り潰される。増幅していく彼の怒りに比例するように、『セフィロト』がさらに膨れ上がり、眼球を焼き焦がすかと思うような眩い閃光が瞬く。「身のほどをわきまえやがれッ! この老害がッ!」
千条神羅の右腕を基点として、一気に光が膨れ上がる。スピーカーから流れるノイズだけをサンプリングして増幅したかのような、耳障りな音が走り抜ける。
彼の手にあるのは、もはや綺麗に整えられた武器ではない。それは、ただの塊だった。人間の持つ黒い部分が寄り固まって生まれたような、そんな禍々しささえ感じる。
本能が警告する。あれに少しでも触れれば、一貫の終わりだと。――だが。
「ガハハハッッ!」武田は、この状況において豪快に笑った。その立ち振る舞いに焦りや恐怖の類は感じられない。「来いよ! そんなオモチャで、俺を殺せるモンならなあッッ!!」
千条神羅のこめかみに青筋が浮かぶ。「上等だ! 髪一本残さず消し炭に――」
「――こっちだ!」
「!?」突如、背後から飛んできた第三者の声に、彼は思わずといった様子で振り返った。その先にいたのは一人の人影。そして――
それが、明暗を分けた。
その隙を見逃さず、回転式拳銃の撃鉄を起こす。乾いた発砲音が木霊し、直後に千条神羅の脇腹から鮮血が舞った。――ちッ、さすがにこの距離からじゃ頭は無理だったか。
しかし、それでいい。初めからそんな奇跡には期待しちゃいない。
武田は地面を蹴り抜いた。先ほどの声の主――笠峰が稼いだ時間を無駄にする訳にはいかない。悶絶する千条神羅の懐に飛び込む。
「ぐッ……!」伸びる光の触手。しかしそこに力は感じられない。無意識に『セフィロト』の力を、傷の治癒に回しているのかもしれなかった。
――好都合だ。武田は吐き捨て、コートの内側に手を伸ばすと、そこから大型の自動拳銃――デザートイーグルを抜き放つ。今のこの光量から考えて、ゼロ距離からのデザートイーグルのマグナム弾を相殺するだけの威力はねえ!
千条神羅の眉間に照準を合わせ――躊躇なく引き金を引いた。
一際大きな銃撃音が、周囲の大気をしばし反響させていた。やがてその音が止み、静寂が一帯を包み込んだ時、「なんで……?」という絶望と疑問の入り混じった声がした。
武田だった。
彼は冷や汗すら、すっかりと退いてしまった顔で、手許の拳銃を見やった。
壊れていた。もちろん最初からではない。先刻の千条神羅に向けて放った銃弾は、正常に射出されていた。つまり、そのあとだ。一撃目が放たれた直後、デザートイーグルの銃身が、さながら見えない手に握り潰されるようにして粉々に砕け散ったのだ。
「知ってるか、ジジイ? 何も身を守るって行為は、『防ぐ』だけじゃないんだよ。『避ける』って選択だってある。『セフィロト』を使う俺は、躱す事もできないとでも思ってたか!?」
どこからともなく聞こえてきた音声に、聞き耳を立てる暇もなく、『セフィロト』によって強化された拳が、武田の左肩を砕き、地面に叩き伏せた。
「あがあああああああああああッッ!? ごッ……えああああッ……!?」絶叫し、転げまわる武田。想像を絶する痛みに、脳が麻痺し、思考を巡らせる事さえできない。
「武田さんッ!」
「来るな笠峰! 早く逃げろおおおッッッ!!」反射的に武田は声をあげていた。遠方にいた笠峰が、ビクリと肩を震わせて立ち止まる。
「ハッ! 最初の威勢はどうしたジジイ! もう終わりか!? 全然張り合いねえな!」嘲るように言いながら、千条神羅は光の剣の切っ先を武田に突きつけた。「飽きた。もう死ね」
――剣の先端が肉を突き破り、煌めく血が舞った。
千条神羅の口許が歪んでいた。敵対者にとどめを刺した喜びと――少しの驚きによって。
「……無駄な努力と友情、ごちそーさまでした」
彼の放った最後の一撃。その刺突は路傍で転がる武田の身体を、明確に貫いていた。胸の中央を深く深く。絶対的な致命傷として。――しかし。
千条神羅と武田の間には、もうひとつの人影があった。
苦痛に耐える呻き声が聞こえた。武田の眼に映るのは――自分の部下の後姿だった。
「ふん」という一声と共に、剣が引き抜かれる。傷口を塞いでいた栓が取っ払われ、二人の胸に切り開かれた隙間から、噴水のように体液があがった。四肢を支える力を失った笠峰の体躯が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
千条神羅は、こちらになど一瞥もくれずに立ち去って行った。
本当に、単なる面倒事を片づけただけといった調子で――。
自分の傷などお構いなしに、武田は笠峰の近くへ這いずり寄る。彼は奥歯を砕く勢いで食いしばりながら、「お前ッ……何やってんだよ……!?」と地面を叩いた。「逃げろって言っただろうが……なんで俺の事なんか庇って……!」
「あはは……つい出しゃばっちゃいましたけど……あんまり意味、なかったですね……」笠峰は口の端から血を流しながら、申し訳なさそうに微笑んだ。「俺も武田さんも……こっ酷くやられちゃいましたね……」
「もういい! もう喋るんじゃねえ……ッ!」武田は干からびた喉から声を絞り出す。
笠峰の出血は止まらない。ちぎれた服の隙間から覗く傷口からは、眼をそらしたくなるような光景が広がっていた。引き裂かれた繊維の内側は、赤く筋張った肉が見えていて、その中には紫色をした臓物と、一際目立つ白色をした骨がうずくまっていた。
――俺のせいだ。俺が、あの時コイツを引っ張り出してきたから。松坂のもとへ向かう時に、自分の思惑を笠峰に話していなければ、コイツがそれ以上巻き込まれる事はなかったハズなのに。俺の身勝手な正義が、笠峰を殺した。
「違いますよ」彼は武田の心情を見透かしたかのように、首を横に振った。「俺は、殺されたんじゃないんです。武田さんを守ったんです。結局、守れてはいないですけどね……」笠峰は焦点の合わなくなった瞳を、武田に向けながら、「俺……武田さんに、すげえ憧れてたんです。自分の信念にまっすぐで、どんな難事件でも絶対に諦めなくて……。俺、最初は本当に何の思い入れもなく警官になったんですけど……武田さんと過ごす内に『ああ、俺もいつかこの人みたいになりたいな』って、考えるようになったんです。いつか武田さんの意思を継ぐ警官になって、退職していくあなたに、『あとはまかせろ』って胸張って言えるようになりたいって……ッ、ごほッ! ごほッ!」
せき込むと同時に、口から血が吐き出される。笠峰の顔から、みるみる生気が蒸発していく。もう、彼の命は保たない。
武田は、今すぐ自分を殺したくなった。今まで自分は、心のどこかで彼を見下していた。まだまだ自分が見ていてやらないといけないヒヨッコだと。
だが、武田の知らぬ間に、彼はすでに一人の立派な警察官となっていたのだ。
そして――自分は、そんな彼の未来を奪った最低な人間だ。
この罪は、もう償えない。償おうにも、償うべき相手がいないのだから。笠峰はもうすぐ帰らぬ者となってしまうのだから。
「あなたは、そんな人間じゃない」震える唇で、笠峰が言う。「やめてくださいよ……最後の最後に、そんな弱音を見せないでくださいよ……」と精一杯の力でこちらを睨みつける。「あなたには……いつまでも俺の憧れで……いてほしいんですから……」
笠峰は最後に、「家族に電話をかけてあげてください」と言った。「武田さんのせいで、離婚したのなら……これがきっと、家族にちゃんと謝る最後の機会ですよ……」
カクン、と。
笠峰の表情から、今度こそ完全に色が抜け落ちた。彼は、もう何も言わなかった。もう彼のまぶたが開かれる事はなかった。
笠峰は、最後まで武田の事を想いながら、静かに息を引き取った。
武田は建物の壁に、背を預けていた。自分の意識も、すでに半分霞みがかっている。
血に濡れた手には携帯電話が握られていた。電話をかけるべきか悩む。笠峰の言う通り、このチャンスを逃せば、永遠に家族に謝罪できる日は来ないだろう。自分が、この世界からいなくなってしまうのだから。
そしてそこまで考えてから、武田は小さく笑った。――そうだよ、どの道ここで死ぬんだ。なら、グジグジ悩んでいるより、最期に爽快に決めてやる。
思い立つと、彼は携帯の電話帳を開き、妻の家の番号を打ち込んだ。数回のコール音と共に、『もしもし』と可愛らしい声が聞こえてきた。妻ではなく、娘の声だった。
「俺だ」と言うと、娘はすぐに察したらしく、『こんな時間に何の用?』と不機嫌そうに訊いてきた。
自分には残された時間は、もうなかった。だから武田は娘の質問には取り合わず、「今まですまなかった。これからも元気でいてくれ」とだけ言い残し、通話を切った。
身体から力が抜けていく。
携帯を握る事すらできなくなり、そのまま取り落としてしまった。ほんの少しの充足感に心が潤わされ、すぐに心地のよい眠気が包み込んできた。




