11(二月八日――午前三時三一分~午前三時四〇分)
11(二月八日――午前三時三一分~午前三時四〇分)
――上手くいった。鈴鳴を助け出せた。
五十嵐は鈴鳴を両手で抱えて、廃墟と化した住宅街を駆け抜けていく。久郷に鈴鳴救出の概要を知らされた時は、自分の耳を疑ったが、自分の心配など余所に久郷は自身の役目をしっかりと果たした。九〇〇メートルからの狙撃を成功させる事によって。
久郷曰く、あの銀髪の青年――千条神羅は彼の標的らしい。彼は鈴鳴を助け出したあとは、自分の事は放っておいてさっさと逃げろと言っていた。
困っているところを助けてもらっておいて、礼もなしに逃げてしまうというのは、少しばかり失礼な気もするが……ここはお言葉に甘えさせてもらう。あんな化け物と再び相対するなんて、考えたくもない。もしいつか、もう一度彼と会うような事があれば、礼はその時にでもすればいい。
五十嵐は鈴鳴の方へ視線を落とす。「鈴鳴! 大丈夫か!? どこか怪我はしてないか!?」
「……うん、大丈夫」彼女は弱々しく、「助けにきてくれたんだね……」と言った。「ありがとう……」
「俺はたいした事はしてないけどな」五十嵐は自嘲気味に笑ってみせる。「葛城の知り合いが手伝ってくれたんだ。それがなきゃ、俺はお前のところに辿り着く事も無理だった」
あとの事は、久郷に任せる他ない。たかだか学生の自分が、どうにかできる境界はとっくに超えてしまっているのだから。
鈴鳴と共に、どこか人目のつかない場所に――
「――見いーつけた」
ゾクリと。
背後からの憎しみに真っ黒く染め上げられたような声を耳にした瞬間、全身の血液が凍結したような感覚に襲われた。
振り返れば――莫大な閃光をその身に纏わせ、こちらに跳びかかってくる千条神羅の姿が眼に入る。その血走った瞳には、砂粒程度の理性も感じられなかった。
殺される。最悪の結末が脳裏を過ぎったその時だった。
突然、真横から銃声が連続し、襲いかかる寸前の千条神羅の体躯を弾き飛ばした。
「な――ッッ!?」不可解な現象に、同時に声をあげる五十嵐と鈴鳴。
「ようやく追い詰めたぜ! 千条神羅よおッ!!」
銃声の炸裂した曲がり角から、腹の底から出したような大声が木霊した。
そこから現れたシルエットは久郷のものではなかった。五〇代くらいの初老の男だった。SATに強襲されて、葛城のマンションから逃げてきた時に、自分達に襲いかかってきた刑事だった。
「あ……アンタ……!?」
「何を呆けたツラしてやがんだ?」出てくるなり刑事はこちらを睨みつけて言った。「ガキがこんな時間に出歩いていて、良いとでも思ってやがんのか? 補導されたくなかったら、さっさと女連れてこっから消えろ!」
「アンタの目的は鈴鳴のはずじゃ……!?」
「違げえよボケ。俺が探してたのは、この銀髪黒づくめのクソガキだ」刑事は手にした回転式拳銃を倒れた千条神羅へ向ける。「テメエの抱えてるガキは、千条神羅と同じ『エデンの使徒』だと思ったから、何かしらの情報を持ってるかもしれねえと考えただけだ。千条神羅を見つけた今となっては、テメエらの事なんか眼中にねえんだよ。だから――どこへでも好きな場所に消え失せろって言ってんだ」
「良いのか……?」五十嵐は恐る恐る訊き返す。
「今度、こんな真夜中に遊び倒してんの見かけたら、問答無用で補導してやるからな」刑事は五十嵐を庇うように前に進み出て、「行け」と言った。「一世一代の大仕事だぜ!」
五十嵐は刑事に向かって頷くと、鈴鳴と共に逃走を再開した。
しばらく走り続けると、立ち入り禁止のテープが張り巡らされた出口が見えてきた。
「やった!」と五十嵐は声をあげた。あそこまで辿り着ければ、もう逃げれたも同然だ。
結局、あの刑事が何者なのかは分からなかったが、足止めしてくれるというのなら、好都合だ。利用できるものは何でも利用してやる。
「鈴鳴、安心しろ。もうすぐだからな!」
「あのおじさん……あそこに残してきて、本当によかったの?」鈴鳴が訊いてくる。
「別にいいんだよ。一度はお前を殺そうとしたヤツだ。同情の余地なんてないし、向こうも何か勝機があるから出てきたんだろ。じゃなきゃ……あんなモンに立ち向かおうなんて思わないはずだ」
「そう……かな……?」彼女は、なおも心配そうだ。
「大丈夫だって」と五十嵐は、彼女の不安を覆い隠すように言う。「それに……すぐ久郷のオッサンが、ここに到着する。あの人なら――」
「上――ッ!」突然、遮るように鈴鳴が叫んだ。「止まって!」
疑問の声をあげる暇もなかった。『それ』はすぐにやってきた。
最初に耳を打ったのは、頭上からの連続した爆音だった。見上げてみれば、空が紅蓮に染まっていた。周囲の建造物と、この集合住宅街を取り囲む外壁がまとめて爆破されたのだ。あるべき形を乱されたコンクリートの破片が、一斉に降り注いでくる。
逃げようとしたが、気づいた時には目の前に巨大な塊が迫っていた。このまま押し潰される――そう悟った時、鈴鳴が声をあげた。「セフィロトッ!」
それを合図に、彼女の腕に青白い閃光が結集し、コンクリートの塊にも引けを取らない大きな手が現出した。彼女が手を振るった直後、質量数トンはあろう塊が、打ち返されたテニスボールのように飛んでいく。
鈴鳴は五十嵐の腕を振りほどき、地上に降り立つと、全身から閃光を撒き散らしていく。光を纏った腕を地面に叩きつけると、二人の周囲を取り囲むように幾本もの大樹が大地を割りながら生え、さらにそれらが内側に湾曲し、半円状のドームができあがる。
樹のドームは、次々に落下してくるコンクリートを全て受け止めたあと、鈴鳴が指を鳴らすのと同時に、煙のように消え去る。
周囲を埋め尽くす砂塵が晴れた時、広がった光景を目にした五十嵐は絶句した。
出口が、塞がれてしまっていた。倒壊してきた大量のコンクリートの破片が、唯一の出入り口を完璧に覆い隠していた。
「嘘……だろ?」五十嵐は希望の欠けた表情で、茫然とその景色を見た。
だが――
「いたいた……今度こそ逃がしませんよ……」
――そんな絶望は、序の口に過ぎなかった。
ゆっくりとした足取りで、暗闇の中から一人のシルエットが浮かび上がってきた。口調から分かる通り、千条神羅でも久郷でもない。しかし、それは自分の知っている男の声だった。忘れたくても忘れられない恐怖に満ちた声だった。
「お前……!」五十嵐は後ずさる。「まだ生きてたのか……ッ!?」
「勝手に殺さないでくださいよ。僕が死ぬ訳ないじゃないですかあ……。これだけ、いろんな奴らに侮辱されて……僕の肌にこれだけ一生モノの傷を負わせて……」
青年は病院の手術衣の上から、直接血に濡れたダッフルコートを着ていた。袖や襟元からは、無理矢理引きちぎったと思しき、点滴のチューブのような管が何本も覗いていた。
頭には包帯も巻かれていて、左眼には眼帯もついている。服から覗く肌には、小規模な火傷や、切り傷がいくつも見受けられた。
「僕はSATの須磨だ……選ばれた人間だ……今まで何人も『裏の人間』を殺してきたんですよ……! それが……殺し屋に無様に負けて見逃され……高校生のガキごときに手こずらされ……しまいには、還暦間近の老害刑事に拷問される? こんなのただの悪い夢だ! 僕がそんな醜態を晒すはずがないんですよ! だから、全部ぶっ殺してやる! あなた達も! 殺し屋も! 刑事も! 千条神羅も! 何もかも真っ平らにして元通りにしてやるんですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!」
青年の地獄の底から噴き上がってきたような怒号を引き金に、周囲一帯から爆炎が撒きあがった。




