1(二月七日――午後一〇時一〇分~午後一〇時五一分)
惨 殺
1(二月七日――午後一〇時一〇分~午後一〇時五一分)
見間違えるはずがない。
久郷の眼の前に姿を現した青年は正真正銘、あの夜に自分が打ち負かされた相手だった。
無意識の内に、ガバメント拳銃を握る力が強くなる。恐怖ではない、何かに促されるように身体が小刻みに震える。
その圧倒的な存在感によって舞台を席巻する青年――千条神羅は、整った顔に似合わない意地の悪い微笑を口許に滲ませながら、辺りを見回す。
やがて彼は誰にともなく口を開く。「どうやらここがパーティーの会場って事で間違いないみたいだな。アイツがでたらめ言ってなくて助かったよ」
周囲は静けさに支配されたままだった。一瞬前までの、人々が織り成す喧騒は影も形も感じられない。この一帯だけが、全く別の空間へと切り替わってしまったかのようだ。
「なぜ……お前が知っている……? この場所は招待状を送られた者にしか分からないはずだろう……」
沈黙を破ったのは久郷だった。ここに集まる誰もが、突如として姿を現した標的に対して、意識の底まで警戒しているようだが、以前に千条神羅と言葉を交わしていた久郷は、彼らとは僅かに意識が異なっていたのか、切れ切れでありながらも声を発する事ができた。
静寂の中で唯一、響いてきた音に千条神羅が反応した。その表情には、何か信じられないものを耳にしたかのような、驚きと疑問の色が見て取れた。キョロキョロと視線を泳がせて、声の主を探すような動きを見せる。
やがて人混みの中から久郷の姿を捉えた彼は、「あ――ッ!!」とこちらを指差しながら驚愕の声をあげた。それから、四方八方から銃口を向けられている事など意に介した様子もなく、久郷の方へと歩み寄ってきた。「オッサン! 生きてたのかよ!?」
彼の発する無邪気とも受け取れる声に、殺し屋の者達は一歩たじろいだ。やろうと思えば、誰もが銃の引き金を引く事ができただろう。しかし、誰もそうしなかった。
そう――感づいているのだ。今の状況を完全に理解する事ができなくても、自分達の眼前に君臨する銀髪の青年が、何かとてつもなく強大な存在である事に。
当然、そんな野生のカンが働いてない者もいる。久郷の傍らにいる革ジャン男などは、その良い例だ。彼らのような三流や、大部分の仲介人達は、その場の空気に流されて具体的な行動に移れずにいるだけだ。
だが、それで良いと久郷は思う。むやみに事を起こせば、その先の結末がどうなるのかは、まがりなりにも千条神羅という存在を体感した経験のある久郷には、簡単に想像する事ができた。
千条神羅は図々しいほどに遠慮なく、久郷の正面に立つ。久郷の周りにいた人間達は揃って身を退いていた。自然と、久郷と千条神羅を取り囲むように人垣ができる。
「久しぶりだなオッサン! すげえ、マジでありえねえよ! あれだけボコボコにしたのに死ななかったのかよ! とんでもない『生命力』だな! 目ん玉は? 右腕は? 俺が吹っ飛ばした部分はどうなったんだ?」
千条神羅の態度は場違いに明るい。しばらくぶりに会った友人にでも話しかけるかのように、投げかけてくる言葉に迷いはない。
久郷は千条神羅を見返しながら、「腕のいい医者がいたのでな」と答えた。「……こちらの質問にも答えてもらおうか。なぜ、お前がこの場所にいる?」
「決まってんじゃん」千条神羅は、さも当然といった調子で懐から一枚の封筒を抜き取った。「ここに入ってた地図を見たからだよ」
千条神羅の手にするそれは、まさしく見間違えようのない招待状だった。千条神羅殺害を依頼された仲介人に送りつけられた一品。それを標的である彼が持っているというのは、どう考えてもおかしい。
「なに、簡単な話さ」簡単な調子で、両手を広げる千条神羅。「ちょうど『彼女』を探している時にさ、殺し屋の奴らに出くわしたんだ。何か『競争相手がいない今がチャンスだ! これで手柄は全部俺のモンだぜ!』とか意味の分からない事言ってて、気になって殺る前に脅して色々訊いてみたら、聞き捨てならねえ話題が出てくるじゃん?」
――くそ、そういう事か。
久郷は苦虫を噛み潰したような顔で、内心呟く。
千条神羅は、ここに向かう途中だった殺し屋と仲介人のペアに偶然鉢合わせたのだろう。そして調子に乗った何者かは単身千条神羅に挑み、案の定敗北した。戦いの前にでも余計な事を口走っていたのか、それが、千条神羅が疑問を抱くきっかけとなってしまった。
あとは簡単だ。その何者かは敗れたあとに、脅されて情報を吐かされ、仲介人の方は招待状を差し出した。『おとなしく喋れば、命だけは助けてやる』なんて月並みな脅し文句にでも釣られたのかもしれないが、顔も知らない何者かは、もう呼吸していないだろう。
「さすがの俺もさ、こんだけの人数に団結されちゃったら、少しばかり困る訳よ」彼は笑みは崩さず、しかし面白くなさそうな声色で、「『彼女』を探す邪魔はされたくないんでね」と口にして――右腕を高くかざした。
瞬間、久郷は千条神羅のせんとしている事を直感した。「逃げ――ッ」
「『セフィロト』――――――――――――――ッッッッッッッッッッッ!!!」
ズヴォアッ!! と。
千条神羅の禍々しい叫びを合図に、彼を中心として、見えない力に導かれるようにして大気が渦巻く。そして現れる――彼の体躯を取り囲む、さながら生き物のように蠢く『青白い光』が。
「ッ!」久郷はすぐさま身を翻した。一歩でも遠く千条神羅から遠ざかるために。
直後に視界を埋め尽くすような爆音と閃光が炸裂した。発生した強烈な風が身体を叩きつけ、大きく吹き飛ばされる。ノーバウンドで宙を舞った久郷は、部屋の端の壁に背中を激突させ、ようやく動きを止めた。
「がッ……はッ!?」衝撃で胃が収縮し、吐き気が込み上げてくる。どうにかしてその感覚を押し殺し、正面に視線を移した久郷は絶句した。
つい数瞬まで久郷がいた場所。そこが無くなっていた。広大なフロアの一部分にぽっかりと巨大な穴が開き、下の階が顔を覗かせていた。階下の床には、人間でなくなった肉の塊が複数散乱しているのが確認できる。
「誰であろうと、俺の邪魔はさせねえ! テメエら全員皆殺しだあああああッッッ!!」
熱した鉄板のような音と共に、千条神羅の右腕から光の剣が飛び出す。彼自身が開けた大穴を、人間技とは思えない脚力をもってして飛び越えてくる。
「撃ち殺せッ!」
誰かが叫んだ。その一声が引き金となったように、呆気にとらわれていた者達の硬直が解け、一斉に拳銃の銃口が千条神羅に突きつけられる。
直後に耳を穿つ銃撃音が連続する。自動式拳銃と回転式拳銃から吐き出される九ミリ弾が、一人の人間を徹底的に集中砲火していく。千条神羅の放つ光にも負けない光量のマズルフラッシュが瞬き、周囲を埋め尽くす。
だが。
ザンッ! と。
光の中から傷一つ負っていない状態で現れた千条神羅が、光の剣を薙ぎ払い、一〇人近い人間をまとめて両断する。
「ちいッ!」久郷は舌打ち交じりに飛び起きると、ガバメント拳銃を握り締め、千条神羅に突撃していく。片手撃ちで銃弾を三発放つ。千条神羅が防御行動に出た瞬間、ゼロにまで距離を詰めた久郷は、彼の背後に回り込むと、その遠心力を保ったまま側頭蹴りを繰り出す。
が、千条神羅は自らの頭部に光を集め、難なく蹴りを受け止めてしまう。久郷の脚と、千条神羅の光が交差したのは一瞬であったが、ダメージを被ったのは久郷の方だ。
激烈な熱気に顔をしかめて脚を見ると、靴とジーンズの生地が焦げていた。皮膚の方も軽い火傷を負っているかもしれない。
「相変わらずの規格外っぷりだな」
「そりゃこっちのセリフだぜ」千条神羅はニヤリと笑う。「『セフィロト』の力を一度前にしておいて、まだ戦う気力が残ってるんだからな」
解き放たれる閃光。千条神羅の背中から幾本もの青白い光の束が噴出し、周囲一帯を蹂躙していく。内装が、天井が、壁が、人が。飴細工のように伸縮する光の触手によって、有無を言わせず破壊される。ゼロ距離から光に狙われた久郷は、驚異的な俊敏さをもって必殺の威力を有する光を回避。攻撃の隙間を縫って攻撃範囲から離脱し、一直線に刈谷のもとまで向かう。
「走れ! このビルから脱出するぞ!」茫然と佇む刈谷の腕を取り、まくしたてる。
刈谷は眼の前に広がるどうしようもない惨劇を眺めて、「何だよ、これは……」と囁くように言う。「これ……本当に現実なのかよ……ッ!?」
あまりにも一方的な虐殺。百戦錬磨の殺し屋達が手も足も出ずに、路上の蟻を踏み潰すかのような感覚で片づけられていく。その光景に尊厳の二文字は存在していない。
「自分を見失うな!」久郷は刈谷の襟首を掴み上げて激励する。「これはまごう事なき現実だ! 『あれ』が千条神羅だ!」
刈谷の腕を引き、他の出口がないか探す。最初に会場に入る際に使った扉は、もうダメだ。扉周りの床が崩落しているため、通る事ができなくなっている。
数メートル先に別の扉を見つけた久郷は、血飛沫舞う殺陣の中を走り抜け、勢い良く開け放つ。そこからは薄暗い廊下が続いていた。「走れ!」と再び刈谷を叱咤し、全速力で駆けていく。いくつかの部屋を潜っていくと、最初に乗ってきたエレベーターがある廊下に出た。瓦礫となった会場の入り口からは、千条神羅による惨殺の現場が確認できる。
廊下には、挽肉となったガードマンが倒れていた。会場に入る時に二回目の招待状提示を要求してきた男だ。久郷は、眼を見開いたまま絶命していた男のまぶたをそっと閉じ、短い黙祷を捧げた。
エレベーターはすでに停止していて、使えそうになかった。すぐ側の扉を開け、二人で階段を駆け下りる。コンクリートの壁や天井には、おぞましい量の血液が飛び散っていて、立ち込める鉄の臭いが鼻につく。ところどころに息絶えたガードマン達の姿があった。
一階のホールには、騒ぎを聞きつけて、他階から駆けつけたらしきガードマンが数人いたが、まともな戦力になるとは思い難い。久郷は彼らに、「ここはもうダメだ。早く逃げろ!」とまくしたてると、出口に向かう。
外も散々な有り様だった。何台かの車は炎上し、転倒しているものもある。死体の数も計り知れない。
そこで久郷は、ある一角にスーツ姿の男達が倒れているのを発見した。駆け寄ってみるが、すでに千条神羅の魔手にかかったあとらしく、反応は返ってこなかった。その中の一人、腹部を切り開かれ臓物を撒き散らした中年の男の姿を確認した刈谷が、「あ……」と干からびた声を洩らした。
「誰だ、知り合いか?」久郷は尋ねる。
「コイツ……俺に千条神羅殺害を依頼した……」
どうりで会場に主催者が来ない訳だ。つまりは、すでに手遅れだったという事だ。逆転の一手を知っているかもしれない――少なくとも今この状況においては――唯一の者であった男は、ただの床の汚れと化していた。
「久郷……これからどうする気だ……!?」
「そんな事は決まっている」久郷は躊躇なく答える。「まずは一刻も早く、この場から逃げるのが先決だ。幸い、車の方は無事みたいだしな」
久郷の見据える先には、刈谷の所有する外国車があった。損傷は全くない。あの怪物じみた力を振るう千条神羅が暴れたという事実を鑑みれば、もはや奇跡に近いだろう。
「キーは持っているな? どこかで落としたりしていないだろうな?」
「さすがに、そんなマヌケな事はしてねえよ。……しっかりここにあるぜ……」震える声で返しながらも、刈谷はスラックスのポケットから車のキーを取り出す。
「よし」久郷は頷くと、辺りを十分に警戒しながらも車に近づいていく。千条神羅と戦うためにと思って用意していた武器が入ったスーツケースも、ちゃんと後部座席に納まっている。
刈谷は車のロックを解くと、運転席に乗り込む。「久郷! お前も早く乗れ!」
エンジンがかけられる。しかし――久郷は動かなかった。
「おい! 何してるんだ!? 早く――」
「音が止んだ……」
「何……ッ!?」久郷の洩らした囁きに、刈谷の眉がピクリと動く。
そう――ほんの少し前までビルの中から響いていた『戦いの音』が忽然と姿を消していた。悲鳴も、銃撃音もしない。時間相応とでも言うべき静けさが周辺を満たしていた。
「まさか……」
「たッ、助けてくれえええええええええええええええええええええええええええッッッッッッ!!!」
久郷が言いかけたその時、恐怖に染まった甲高い叫びが聞こえてきた。久郷達が一階に下りるために使った階段を駆け下りてきたらしき、声の主は涙で顔を濡らしながら、ホールの中を出口に向かって走っていた。その姿には見覚えがある。会場内で久郷につっかかってきた三流――革ジャンの男だ。ジャケットはすでに脱げかけているが、男の方にそれを気にしている余裕はないらしい。ただ誰にともなく助けを求めながら、無我夢中に歩を進めている。
とっさに久郷は呼びかけていた。「こっちだ! 早くここに来るんだ!」
手を振る久郷の姿に気がついたのか、革ジャン男は久郷にケンカをふっかけた事も忘れてしまったかのように、安堵の表情を浮かべ――
――背後から突如として現れた光の触手によって、彼の身体は八つ裂きにされた。
「――――ッ!?」
一秒前まで生きていた人間が、細切れの肉となり、地面にボトボトと落ちていく。喜怒哀楽の感情を持った人間は、もういない。あそこにあるのは単なるタンパク質と脂肪の塊。
はっきりと提示される、明確な死。
「おお、いたいた。いつの間にかオッサンがいなくなってたから、ちょっと焦ったぜ。知らない間に消し炭にしちまったのかと思った。やっぱ、一筋縄じゃいかねえな、アンタ」
ホールの奥から、全身にくまなく返り血を浴びた千条神羅が姿を現す。彼がここに来たという事。それはつまり、五〇人以上の殺し屋との戦闘が終了した事を暗に示していた。
仲介人を含めれば、武装した人間が一〇〇人。しかもその内半分はプロ。
それが、たった一〇分にも満たない時間の中で全滅した。それをやった張本人は、今なお息ひとつ切らせる事なく、傷ひとつ負う事なく、涼しい顔で立っている。
「くそッ!」久郷は車の後部座席を開け、その中に積んでいたスーツケースを取り出す。
「させねえって!」遠方から千条神羅の声。彼は右手を大きく振りかぶり、野球のピッチャーのような体勢になっていた。そして――その腕には莫大な閃光が凝縮されている。
「刈谷! 今すぐ車から降り――」
久郷が言い切る前に、千条神羅の投げ放った光の『球』が直進してくる。それはビルの出入り口となっていた自動ドアのガラスを突き破り――久郷の視界の端を走り抜け――
――運転席側のサイドガラスを叩き破り、そこにいた刈谷に直撃してしまう。
「刈谷ッ!」
助手席側に吹き飛ばされた刈谷は、その勢いに任せたままドアを身体全身で叩き破り、何度も体躯を回転させながら、一〇メートル以上宙を舞う。やがて別のビルの外壁に身を叩きつけ、壁に深紅の花が咲く。蛙のような呻き声をあげ、ずるずると下に落ちていく。
刈谷の吐いた血が積もっていた雪にかかり、それをジワリと溶かす。
「俺達は――」砕けたガラスの散乱した出入り口をまたぎながら、不意に千条神羅は、そんなふうに切り出した。「親共が自分らの欲求を満たすために交尾した結果、こうやってこの世に生まれ落ちた。性欲に耐えられなかったのか、本当に自分達の子供が欲しかったのかは、今はもう分からない。けど、その結果……俺という存在は誕生したんだ」
彼は笑っていた。どうしようもないほどに大きく笑っていた。
「なのによ……蓋を開けてみりゃあどうだ? 他の親が作った子供と違って、髪の色がおかしい。他の子供と違って、ちょっと特別な『力』があった。それだけ――たったそれだけだぞ? それだけの理由で俺は蔑まれた。足蹴にされた。卑下された。見捨てられた! いきなり訳の分かんねえ連中に拉致されて、暗い地下に放り込まれた! 何年も何年も、いつ終わるかも分からない地獄の実験の材料にされる日々! 何度殺してくれと思ったか、もう覚えてもいない! そんな……そんな世界で生きてきた奴が、『まとも』でいれる訳がねえだろうがッ!!!」
千条神羅の感情の昂りに呼応するかのように、彼の身体が発散される光が強大になっていく。それはもはや、天災だ。人間の力ではどうする事もできないような、地震や津波、火山噴火や異常気象。それらと同じ次元にある何かだ。
「――『生命の樹』」と不意に千条神羅は口にした。「旧約聖書の創世記に、エデンの園の中央に植えられたとされる樹の事だ」
「……それが一体どうした」久郷は意味が分からないといった様子で返す。
「それと同じ名前をつけられた俺の力『セフィロト』は、その名前に従い『生命力』を操る。人間っつう生き物が、心臓動かして血液を体内に循環させるための『見えない力』。この世界の至るところに漂い、人の身体に渦巻く不可視の『力』――俺はそれを自由自在に操れるんだよ」
「まさか……」
「そう。『これ』がそうだ」千条神羅は自身から絶えず溢れ出す『青白い光』を指し示す。「周囲一帯の『生命力』をかき集め、自分の思う通りに練り上げ、錬成する。凝縮された『生命力』は、それ自体が本来持つ色を発現させる。それを自分の手足として振るいかざす。それを自分の体内に注ぎ込み、自身の『生命力』として還元し、身体能力を引き上げる。怪我を負った箇所を短時間の内に修復する――それこそが、このくそッたれな力を神サマに与えられた俺達、『エデンの使徒』だ」
『エデンの使徒』――聞き覚えのある単語だった。確か、昼間に死闘を演じたSAT隊員の須磨という青年が口にしていたはずだ。あの時は意味が分からなかったが、千条神羅の説明を受けた今、その言葉は重みを増す。
この青白い光――光る樹――『セフィロト』という異能の力を持つ者全般を『エデンの使徒』と呼称するのであれば――
――この『力』を持つ者は、複数存在する事になるのではないか?
首筋を何か冷たいものが駆け抜けていく。そんな事があっていいのか? 単体で災厄レベルの破壊を生み出すような『力』を有する人間が、何人もいるという事が。
「オッサンは、どう思う?」千条神羅は問いかける。久郷の方を明確に見据えて。「オッサン……アンタはこんな『力』を持つ俺の事をどう思う? そのために、包み隠さず話したんだ。なあ、アンタみたいな人間はどう考えるんだ? 俺達を貶めてきた、人間の皮を被った悪魔共と同じ考えなのか?」
「俺は」久郷は、千条神羅の真意を悟ったような気がした。しかしそれを踏まえた上で、彼は自らの信念に基づいて返事を送りつけた。「……正直に言って、『どうでもいい』だ」その声色に嘘偽りはない。「確かに、お前は特別かもしれない。常人にはできない事ができるかもしれない。だがそれがどうした? 程度の差こそあれ、何かしら人と異なるものを持っていて他人から差別される事など、人間なら誰にでもある事だ。それはいちいち嘆くような事じゃない。自身が『そういう存在』なんだと認め、それを踏まえたうえで、他人と関わっていく事こそが、もっとも重要な事だ」
人を殺す手段を熟知している者でも、他人と信頼を築く事はできる。
人を誘惑し殺す事を得意としている者でも、他人と信頼を築く事はできる。
人を金儲けの手段として扱う性格畜生な者でも、他人と信頼を築く事はできる。
つまりは、そういう事だ。
「千条神羅……お前の言っている事は、俺からすれば、単なる子供の我がままだ。『こんな自分を受け入れてくれないから、他の人間共は全員すべからく悪だ』。そんなふうに泣き喚いているようにしか聞こえない。たとえどんな重荷を背負っていようが、自分からその姿勢を見せれば、人は自然と集まってくる。お前が人を自分の都合で殺していく事については何も言うつもりはないが、これだけは言っておこう。――間違っているのは、お前だ」
「は、はははッ。そうかい。そうかよ! 結局、アンタも他のヤツらと一緒なんだな! 俺を……俺だけを悪モンに仕立て上げたいんだな! はははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!」
笑う。笑う。笑う。嗜虐に満ちたような笑みで、千条神羅は甲高い声を雪空に向かってあげ続ける。「やっぱダメだ! この世界は、こんな奴らばっかりだからもう終わりなんだ! ダメだ! こんな悪魔共じゃない! 俺には、やっぱり『彼女』が必要なんだ! この世界でただ一人、俺を心の底から受け入れてくれる天使が! 汚れきった豚共は一匹残らず排除してやる! 俺と『彼女』、二人だけでいい。他の奴らは必要ない。俺達だけの楽園があればそれでいい!」
久郷の言葉は、微塵も千条神羅には届いていない。届かせるつもりも毛頭なかったが、自分の突きつけた自論は、彼にとっては火に油だったようだ。
(しかし……何だ?)
久郷は千条神羅の言葉を聞きながら困惑していた。
(なぜ……千条神羅から『彼女』という言葉が出た時、ここまで胸にのしかかってくるものがある……!?)
『彼女』。
千条神羅の口ぶりからして、彼は『彼女』とやらを探しているらしい。最初に対峙した時も彼は口にしていた。『彼女』を追いかけてこの街までやって来たと。
あの時は、何も感じていなかった。ただ標的が、独り言のように何かを言っている。その程度にしか考えていなかった。事実、それは仕事には一切関係のない事だった。
そして、今だってそのはずだ。千条神羅にとっては重要な人物なのかもしれないが、久郷にとっては顔も知らない赤の他人でしかない。
なのに――その響きは、自分にとって無関係な戯言だと一蹴する事ができない。
(何なんだ……この奇妙な心情は……、――――ッ!?)
とっさに久郷は我に返る。千条神羅の操る『セフィロト』が、大剣の様相を成して襲いかかってきていた。真上から真下へ。単純だが、これ以上に強力なものはないであろう斬撃が降りかかる。
バックステップでは躱せない――悟った久郷は、斜め後ろに身を退いた。自分のすぐ側を大剣が擦過し、路面を抉り飛ばす。文字通りに大地がめくれあがり、砂塵が吹き荒れる。
粉塵を剣の一振りでかき消す千条神羅。視界が開けた瞬間、彼の生成した球状の『セフィロト』がいくつも久郷に襲いかかる。光球そのものに追尾性能などはなく、最小限の回避挙動でやり過ごせた。しかし、それが本命という訳ではない。
両手に光剣を携えた千条神羅が、人間離れした身体能力を駆使して斬撃を繰り出してくる。さらに彼の体表から浮き出てきた光球が、久郷を追撃。光に触れられただけで戦闘不能確実の久郷には、その脅威から身をそらす事しかできない。
反撃の隙はなく、全神経を研ぎ澄ませて攻撃を躱していく。
だが、このまま何も仕掛けない訳にもいかない。久郷は覚悟を決めた。
「シッ――!」薄く息を吐く声と共に、義手の右拳を千条神羅の顔面に向けて突き込む。機械の腕は、千条神羅を包み込む『セフィロト』の光に触れると、途端に人工皮膚が剥がれ落ち、剥き出しになった装甲が朱く変色した。
義手を通じて、僅かな熱気が伝わってくるが、久郷は気に留めない。そのまま思い切り拳を振り抜く。直後に鈍い音が響き渡り、「がはッ!」と短い悲鳴をあげながら、千条神羅の身体が傾く。最悪この一発で義手が壊れてしまう事も予想していたが、幸いな事に右手はまだ動いていた。
久郷はその刹那の時間を使い、後部座席に乗せておいたロケットランチャーを取り出した。発射準備を済ませ、発射装置を肩に乗せる。
千条神羅に砲口を突きつけ、迷いなく引き金を引く。爆音と同時に砲弾が発射され、一直線に千条神羅へと突き進む。着弾と共に爆炎が巻き上がった。
スーツケースのひとつから取り出したスモークグレネードをいくつも起爆させていく。
一瞬で視界が白煙で満たされ、一メートル先も見えなくなる。だが、この一帯の地形情報は戦闘の間に、頭に叩き込んであった。刈谷の倒れている場所まで駆け抜け、ぐったりとうなだれる彼を背負うと、路地裏に飛び込んでいった。
「しっかりしろ!」呼びかけるが、刈谷はもう手遅れといっても差し支えなかった。
千条神羅の投げ放った球が直撃した顔面の右半分は焼け焦げ、ビルの壁にぶつかった際に圧迫された身体からは、潰れた果物から果汁が染み出てくるかのように、至るところからドロリとした血液が溢れてくる。
刈谷は震えていた。眼球が潰れ、空洞同然となった眼からは、血と涙が混ざった液体を流し続けている。「ここは……どこだ……? 俺、一体何が……ちくしょう、真っ暗じゃねえか。明かりは……明かりはどこにある……?」
「刈谷」久郷は彼の名を呼ぶ。「残念だが、ここは屋外だ。明かりもある。お前の視界が暗闇に包まれているのは――もう、お前に眼球がないからだ」
「は……」と刈谷は、僅かに言葉を詰まらせた。それから、焼けただれた顔面に歪な笑みを浮かべて、「つまんねえ冗談言ってんじゃねえよ……」と言った。「そんな事、ある訳ねえだろ。ほら、早く電気を……」
「刈谷」もう一度、久郷は彼の名を呼んだ。
その真剣な声を受けて、刈谷は現状を受け入れたようだった。「俺……もう、助からねえのかな? このまま、闇の中一人っきりで……死んじまうのかな……?」
「…………」久郷には答えられない。瀕死の友人に、直接、残酷な現実を突きつける事などできなかった。彼は血が滲むほどに唇を噛んだ。「……すまない」
「どうしてお前が謝るんだよ」刈谷は小さく噴き出した。「……いくつか、頼みがある……」
「何だ?」
「俺の事務所に残ってる金、全部使っていいからよ……。盛大な葬式で送り出してくれや……。最期くらい、華やかに逝きてえからな……」
「分かった。そうしよう」久郷は頷いた。
「それと、もうひとつ……」刈谷はほとんど動かなくなった手で、久郷の腕を取った。「俺の……仇を討ってくれ……ッ! 俺をこんな姿にしやがったクソ野郎を……ぶっ飛ばしてくれよ……ッ!」
「ああ」と久郷は力強く答えた。「お前の無念は、俺が必ず晴らしてやる。もちろん、俺自身の恨みも含めて、千条神羅には全てを清算してもらう」
「ククッ……その意気だぜ、久郷。あのふざけたクソガキに、大人の怖さって奴をたっぷり教えてやれ……!」
その言葉を最後に、刈谷の手が久郷の腕から離れ、ぼとりと地面に落ちた。
彼は、もう動かなかった。彼の口が減らず口を叩く事は、もう未来永劫ない。
久郷は、刈谷の着ていた上着を脱がせると、そっと顔を隠すように覆い被せた。
立ち上がる。友人の亡骸に背を向ける。
「全てを終わらせたら、ここに迎えに来る。それまで待っていてくれ」




